クロユリの隠し事
やっぱり、ビンゴだったか。深山からの返信と、手元の鍵とを見比べて……鍵番号が一致したことに、犬塚は尚もフゥムと唸っていた。
(だけど、ヴァイオリン自体には、おかしい部分はなかったんだよな……?)
使い込まれてはいても、特殊な点は見当たらない。警察でもそれなりに調べはしたようだが、一般的な品物だと言うこともあり、そこまで注視もされていなかった。今は証拠品として保管されているが、明らかに凶器でもない以上……ヴァイオリン自体は、証拠品返却までそのまま放置される可能性が高い。
(肝心の凶器はまだ、見つかっていない……。だからこの場合、凶器を探す方が先だろうが、どうもヴァイオリンが引っかかるんだよな……)
そう……大富豪が大切にしていたヴァイオリンは、いつでも何の気なしに購入できるような、ありふれたものでしかない。いくら作りは確かとは言え……価格帯からしても、初心者〜中級者向けの品物。ガラスケースにしまい込まれるレベルの特注品ではないだろう。
(そうなると、やはり趣味絡みの貴重品なのだろう。……思い出の品か、或いは……うん?)
犬塚がコーヒーを飲みながら、難しい顔をしているのが心配になったらしい。脇腹に軽やかな重みを感じたので、横を向けば。そこには、ちょっぴり遠慮がちに体をくっつけたクロユリが、ちょこんと座っている。
「あぁ、ゴメンな。別に、お前が心配するようなことは、何もないから。だけど……お前がどうして、この鍵を隠し持っていたのかは、気になるな。……ホント、お前が喋れれば、犯人も一発で分かるのに……」
「キュウゥン……」
きっと、クロユリが隠し持ってさえいなければ、犬塚もここまで気にはならなかっただろう。だが、クロユリが限られた状況で鍵を隠すのではなく、飲み込んでいたとなれば……彼女なりに鍵を持ち出す必要があると判断したからに違いない。
……クロユリは本当に賢い。躾が行き届いている以前に、所作の1つ1つが気取っていて、犬とは思えない程に洗練されている。そもそも、敢えて意地悪ができるのは、賢い動物である証拠なのだ。相手を選んで態度を変えられる時点で、クロユリの知性はどことなく人間臭い。
(しかし、ヴァイオリンには不審な点はなかった。それなのに、クロユリが鍵をわざわざ持ち出したとなると……)
さっきの遠慮はどこへやら。今度は無遠慮に膝の上で丸くなり始めたクロユリを撫でながら……尚も、犬塚は考え込んでしまう。クロユリの言葉が分かれば、こんなにも悩む必要はないのかもしれないが。……それはあり得ないことと割り切り、揃っている手札で考え抜くより他にない。
被害者・宗一郎の趣味はクラシック鑑賞。しかし、宗一郎はクラシックに関しては割合、柔軟な嗜好の持ち主だったようで、由緒正しい正統派クラシック以外にも、新ジャンルとも言われる「ネオ・クラシック」にも手を伸ばしていた。そのことは、上林が手配していたコンサートチケットのラインナップからしても、ウラは取れている。
(うん……待てよ? もしかして、あのヴァイオリンは……コンサート関連の品物だったりするのだろうか?)
たとえ、ありふれたヴァイオリンだったとしても。奏者が名だたるプロだった場合は、一気に唯一無二のプレミア品へと昇華することだって、あり得るかもしれない。それでなくても、宗一郎は多忙を極める合間を縫ってまで、コンサートには定期的に足を運ぶ程のクラシック・マニアでもある。もしかしたら、彼には熱を上げていたヴァイオリン奏者がいて、その相手から譲ってもらった品であれば……ガラスケースに大切に保管されていたとしても、不自然ではなくなるだろう。
(上林にはもう一度、聞き込みをした方が良さそうだ。場合によっては……あのヴァイオリンの由来も知っているかもしれない)
犬塚が聞き込みをした中で、宗一郎の趣味にまで言及してきたのは、彼女だけだ。チケットを手配していたのだから、それも当たり前と言えば、それまでかもしれないが……彼女の証言は、あまりにも鮮明過ぎる。純粋に優秀な秘書だからだとしても、コンサートマスターまで逐一覚えていたのには、彼女自身も相当にクラシックに明るいとするべきか。
(そうと決まれば……ダメ元で、掛け合ってみるか)
そうして、携帯電話に手を伸ばし……真田に調査許可を頂くべく、電話をかけてみる犬塚。すると……。
「……ふん、ふん……なるほど。上林直美が怪しいと思うんだな?」
「いえ、そこまでは思っていませんが。ただ……彼女はまだ何か、知っている気がします。宗一郎氏の趣味を的確に把握していたのは、彼女だけですし……」
「確かにな。犬塚の言う通り、ヴァイオリンには不審な点もあるかも知れん。……そちらは念の為、再度鑑識にかけてみることにするよ。それで、聞き込み調査に関してだが……」
「はい……」
「……そうだな。君の現場調査の実績は、私もよく把握しているつもりだよ。ただ、聞き込みは2人1組が基本だ。だから……ふむ。ここは私が同行しよう。丁度、明日は出かけられそうだし……」
「本当ですか⁉︎」
「うむ、任せておきなさい。折角だ、上林へのアポイントメントは私の方でしておく。明日じゃなくても、日程が決まったらメールで連絡するよ」
「はい、よろしくお願い致します。しかし……メールですか?」
「あぁ。メールで、だ。……少し、気になることがあってな」
真田の寛大な決定に、犬塚も一安心だが……それとは別に、真田には個別に伝えたいことがあると言う。どうやら、署内で話すには不都合があるらしい。
(真田さんが気になること……か。真田さんは見た目は丸くても、中身は結構鋭いからなぁ……)
きっと、彼は彼で、何かに気づいたのかも知れない。