クロユリのご主人様と顧問弁護士
犬塚は今、日本赤十字社医療センターの手術室前の椅子に、腰掛けている。隣には焦燥しきった上林。そして……更にその隣には、関豊華が座っていた。犬塚としては、彼女と実際に会うのは初めてではあるものの……どことなくよそよそしい空気を感じ取っては、どうしたものかと思案している。
(……いつかに彩華ちゃんが言っていたことは、本当だったのかもな……)
きっと、上林に呼ばれて渋々やってきたのだろう。赤の他人であるはずの上林が大泣きしていた一方で、豊華は涙どころか……心配そうな面差しさえ、微塵も見せない。とは言え……彼女は心配こそしないにせよ、何かに焦ってもいる様子。病院に駆けつけた際に、軽く自己紹介もしたのだが……その時に、豊華の顔に一瞬の曇りが見えたのが、犬塚は気になって仕方がなかった。
「それはそうと、上林さん」
「は、はい……」
「……普段から、彩華がご迷惑をおかけして、すみませんでした。まさか、あなたの所に転がり込んでいるなんて、思いもしませんで……」
「いえ……大丈夫ですわ。むしろ、彩華ちゃんがいてくれて、助かっていた部分もありますし……。それなのに、私の不注意で、彩華ちゃんが……!」
慇懃が過ぎる豊華とのやり取りで、またも罪悪感をぶり返した上林が涙を流す。そんな彼女にハンカチを差し出しつつ、背中をさするってやると同時に……ふと、視線を上げれば。豊華がまずまず苦渋に満ちた表情で、上林を睨んでいるではないか。
(もしかして、関さんにとって……上林さんが彩華ちゃんを預かったのは、不都合だったのか……?)
「余計な事をして」と言いたげな、詰るような視線。当の上林は俯くばかりで、豊華の表情を知ることはないだろうが。彼女の表情をはっきりと捉えた犬塚には、「ご迷惑をおかけして」だなんて思ってもいなさそうに見える。
(それに……さっきのやりとりも、少しばかり不自然だったような気がする……)
化粧っ気はないが、キリリとした表情。敏腕の弁護士だと聞き及んでもいたが、豊華の面差しは、どことなく柔らかい印象の彩華のそれとはかけ離れている。それに……犬塚が病院の到着した直後のやり取りで、とある疑惑が浮上してからというもの。犬塚は豊華は果たして、本当に母親なのだろうかと訝しんでいた。
(……彩華ちゃんの血液型はO型だったと、医者が言っていたが……)
O型の血液パックが足りないと、血液の提供を求められた際……真っ先に、母親である豊華に協力のお願いが入ったのだが。その豊華はAB型だと答えたため、結局は同じO型の犬塚が採血に応じることになったのだ。しかし……だとすれば、豊華と彩華は本当の親子ではない可能性が非常に高くなる。
何故なら、親の片方でもAB型だった場合、O型の子供は基本的には生まれてこないはずなのだ。ごく稀にシスAB型という、O型因子を持つAB型も存在するには存在するが。まずまず、一般的な概念からすれば例外中の例外であり、豊華と彩華は本当の親子ではないと仮定した方が無理もない。
「……そう言えば、関さん」
「なんでしょうか、刑事さん」
「彩華ちゃんですが、本当にあなたの娘さんなのでしょうか?」
「……」
犬塚の質問に沈黙する豊華と、驚いて顔を上げる上林。2人の視線を受けたから、というわけではないが。手術室の前というロケーションもあって、空気が更に冷え込んだ気がすると、犬塚は「参ったな」と内心で気まずくなってしまう。それでも……何故か、刑事の勘と血が騒ぐような気がして。犬塚は淡々と、豊華に疑問を投げかけた。
「……先程、あなたは自身の血液型をAB型と答えていましたね?」
「えぇ、そうですね」
「その際、看護師さんが不思議そうな顔をしたのに、気付かれませんでした?」
「……なるほど。刑事さんも気付かれましたか。そうですね……えぇ、そうですとも。AB型の母親から、O型の娘は生まれない……そうおっしゃいたいのでしょう?」
鋭い表情に少しだけ、諦めの色を滲ませて。意外にもすんなりと、豊華が彩華との関係性を白状する。
彩華は豊華の実の娘ではなく、交通事故で亡くなった実妹・彩音の娘なのだそうだ。豊華は当時乳幼児であった彩華を引き取ると同時に養子縁組を成立させ、法律上でも正式な親子になってはいるが……いくら弁護士と言えど、法を通す事はできこそすれ、血液型の不一致は覆すことはできなかった。
「その事を……彩華ちゃんはご存知なのですか?」
「いいえ、知らないでしょうね。私も話してきませんでしたし……何より、あの子についてはもう諦めてもいますから。努力家だった彩音の娘とは思えない程に、彩華は怠慢そのもの。正直なところ、自分の娘だと思われるのも煩わしいのです。妹のように立派な大人になってほしいと、それなりに母親を演じてもいましたが……色々と疲れてしまいました。私の方がこの調子ですから……あの子と腹を割って話す機会は、もうないでしょう」
「……」
薄情に思われるでしょうが……と、皮肉っぽく笑いつつ。「疲れてしまった」の言葉に嘘はないだろうなと、一方の犬塚は押し黙るより他にない。
(なるほど……豊華さんにとって、彩華ちゃんは邪魔な存在になりつつあったのか)
口ぶりからするに、それなりに親子の情はあったのかも知れないが。彩華を煩わしいと切り捨てる同じ口で、彩音と言うらしい妹を褒めるのを聞くに……豊華の愛情は彩華にではなく、亡くなった妹へと注がれていたようにも思える。しかし、行き場のない彩音への愛情を彩華へ注いでみたところで……彩華は豊華が思うような優等生ではなく、自堕落な娘になってしまった。その「思うように行かなかった」ギャップを彩華にぶつけるのは違うのではなかろうかと、犬塚は思うものの。沈痛な静寂を前にして、これ以上は言い募ることはできないと……今はただ、手術が成功することを祈ることしかできない。




