クロユリの天敵はタッグを組む(6)
梓に全てを被せるべく。早速、辞令発行に取り掛かる英臣であったが。彼は目先の保身に走ったが故に、とうとう物事の優先度を見極める事も忘れてしまったらしい。本当は真っ先に、ジュラルミンケースの中身を清めるべきだったのに。……これ以上、梓に余計なことをされたくない焦りもあり、英臣はジュラルミンケースを机の上に放り出したまま、パソコンの画面に向かっている。
「……」
来客の予定はないはずだが。逸る英臣の神経を掻き乱すかのように、コンコンと、警視総監室のドアをノックする者がある。もしかして、梓が「最後のお願い」にやってきたのだろうか……と、軽く首を振りつつ。外で大騒ぎされても敵わないと、英臣は渋々、「入れ」とドアに向かって返事をするが。
「警視総監。少しお時間、よろしいでしょうか?」
しかしながら、英臣の予想に反して入室してきたのは、梓ではなく……境を引き連れたライバル・真田だった。
「何の用だ? 特段、話し合うべき報告内容はなかったと思うが」
「いいえ。今すぐに、確認しなければならない事があります。……ふむ。やはり、警視総監のお手元にありましたか」
「……何がだ?」
真田が言わんとしている事がピンと来ない時点で、英臣は既に相当に出遅れている。
それはそうだろう、梓は基本的に周囲に神経を砕けないタイプの人種である。それでなくとも、青梅での邂逅がバレていると気付かされたのだって、つい先ほど。英臣にジュラルミンケースを引き渡す段階で、目撃者を作るという最大級のミスをしていたと知るはずもなく。しかし、万に一つ、彼女が気づけていたとしても。非情にも、クビを宣告してきた叔父を心配する事はなかっただろうが。
「そちらのケースですよ。実は、園原課長と例の多田見さんが接触したと、報告がありましてな。その際に……園原課長がジュラルミンケースらしきものを預かっていたと、聞いておりまして。……そちらのジュラルミンケースの中身を検めたく、やってきた次第です」
「……!」
真田の有無を言わさぬ物言いに、彼の後ろでニタァと堺が口元を歪めている。
(くそっ……! 私は警視総監だぞ……? それがどうして、尋問なんぞされなければならない……?)
警視総監であろうとも、罪を犯せば犯罪者である。そんな単純な事さえ気づけぬ時点で、英臣の非常識加減は末期症状と言っていい。しかし、頭のキレだけは未だに健全な英臣は逃げ道を必死に探すが……。
(押しても、引いても、手詰まりか……?)
さて、どうする?
ここで素直に引き渡せば、堺がいる以上、確実に足が着く。指紋を清めていないため、ジュラルミンケースの中身……2丁の拳銃には、結川や多田見の指紋がしっかりと残ったままだ。しかも、片方は境に「こっちじゃない」と指摘され、苦し紛れに「メンテナンス中だ」と嘯いたパーカライジングの「M1917」である。ジュラルミンケースの搬送ルートを彼らが知っている時点で、指紋を検められる以前に、余計な追及は免れないだろう。
しかして、ここで断固拒否を貫けども、窮地を脱せるとは考えにくい。ここで引渡しを拒否することは即ち、ジュラルミンケースが証拠品であると、暗に匂わせることに他ならない。それでなくとも、ジュラルミンケースは見た目からしても物々しい。中身が拳銃である事を考えれば、物騒なのはジュラルミンケースのせいだけではないのだが。いずれにしても、外観からしても「重要な何かが入っています」と主張するのだから、非常によろしくない。
「引渡しを迷われるとなると、余程に後ろ暗い事がありそうですな?」
「いや、そういう訳では……」
「さよか。ほなら、これはワシが預かるよってに。よろしおすな?」
「ちょっと待て! 第一、誰の許可を取って、こんな真似を……!」
しかし、英臣の静止も虚しく……机上のジュラルミンケースを素早く押収する堺。まるで子供がいたずらをするノリで、「取った! 取った!」と言わんばかりに、プラプラとジュラルミンケースを掲げて見せるのが、これまた憎たらしい限りだが。ジュラルミンケースを取り戻そうと、手を伸ばす英臣を制する真田も非常に憎たらしい。
「……許可は取っておりませんが、事件がひと段落したらば、東京都公安委員会へ警視総監罷免の嘆願書を提出する予定です」
「なんだとッ⁉︎ そんな事をしたら、警察は多大なダメージを……」
「えぇ、そうでしょうな。……警察官のトップが指名手配犯をわざと逃していただなんて、前代未聞の醜聞です。無論、我々も無傷では済みますまい。同じ警察組織に属している以上、あなたを野放しにしていた罪は重い」
「その通りだ。それに、責任は梓に取らせる予定だから、安心するがいい。……あれは幸いにも、非常に出来が悪い。私の失態ではなく、梓の失態とした方が自然……ッ⁉︎」
意気揚々と、姪っ子へ罪をなすり付ける算段を語る英臣の言葉が、鈍い音で掻き消される。見れば……真田が机に拳を叩きつけ、怒りの形相を露にしていた。
「いい加減にしろッ! 何が楽しくて、結川を逃したのかは知りませんが……あなたがした事は、到底、許される事じゃない! 指名手配犯を逃すだなんて、何を考えているッ⁉︎ その事がどれだけ、市民の平穏を脅かすのか分からんのかッ⁉︎」
きっと、真田も自分可愛さあまりに、自分の手を取るに違いない。しかし、英臣の期待を裏切り、真田は英臣の共謀の手を振り払った。優秀であろうとも、真田はどこまでも穏やかで、ぼんやりとしていたはず。それなのに……その真田が、今の英臣には別人にさえ思える。
「いずれにしても、こちらは重要な証拠として鑑識課に預けます。結果次第では、内部告発も辞さないつもりですし……警視総監も、それなりに覚悟をしておいて下さい」
「ま、待て! そんな事をされたら……」
「クビどころか、社会的に死ぬかも知れへんな? でも、しゃなぁないこっちゃで。……トーマが言う通り、あんさんがやった事は許されへん。……キッチリ首洗ろぅて、待っときや」
もはや無言の真田とは対照的に、最後の最後まで楽しそうな堺。そんな彼らが退室するのを見送って……英臣は魂が抜けたように、深々と椅子に座り直す。
どこで間違えた? 何がいけなかった? 警視総監にまで上り詰めれば、人生も地位も安泰だと思っていたのに。この椅子を守り抜くために、出来うる限りの手回しもし、最大限に努力もしてきたのに。
(本当に、馬鹿げているな。……こんな事だったら、梓を取り立てるのではなかったか……)
梓の母親の願いを聞き届けたのが、そもそもの間違いだったと思い至り。英臣は疲れたように、虚空を見上げる。私情を優先し、身内を贔屓し、あまつさえ手柄を捏造し……結果、最も守り抜きたかった地位を失って。英臣に残ったのは、犯罪者に落ちぶれるのをただただ待つ、擦り減った権力だけだった。




