クロユリの天敵はタッグを組む(5)
犬塚からのジュラルミンケース引渡しの報告を受けて……きっと梓はすぐに動くに違いないと、真田は踏んでいたが。どうやら、彼の予想は大当たりだった様子。警視総監室へ続く廊下の向こうから、相変わらず履き心地も悪そうなヒールでズカズカとやってくる梓の姿が、すぐさま目に入る。
「おや、園原君。……どうしたのかね?」
「別に、なんでもありませんわ!」
「そうか。では……質問を変えようか。私に報告するべき事は、ないのかね?」
「えっ?」
「……報告するべき事が、山ほどあるだろう。例えば、結川の行方とか、青梅で多田見さんと接触した事とか」
「なっ……?」
真田の指摘に、ついぞ押し黙る梓。真田も上司であるとは言え、梓にしてみればこれまた、面白くない相手だ。
真田とは捜査チームを率いる同じ管理職として、張り合っていたが。真田と梓では階級も違えば、評価も大幅に異なる。まだまだ「大富豪殺人事件」の犯人逮捕には至っていないが、最初に結川を逮捕せしめたのは、真田のチームだ。彼の方は、事件の合間にきちんとコンスタントに成果を上げている。片や、自分はどうだ? 自身のチームから指名手配犯を出した上に、梓自身の功績も芳しくない。
(どうしてよ……! どうして、私だけ上手くいかないのよ……!)
その原因は他ならぬ、自身の怠慢と傲慢によるものだが。プライドも高い梓が、そんな単純なことに気づけるはずもなし。その上、英臣から見放され、クビの宣告を受けたばかりなのだ。見れば……真田の背後では、彼の同僚の堺がニタニタと意地悪い笑みを浮かべているのだから、ますます気に食わない。
「……私の報告内容は警視総監に聞いてください」
「あーあぁ。ホンマ、仕方のない奴っちゃねんな。その警視総監が真っ黒やさかい、ワシらでどうにかせにゃアカンのに。何を、ふざけた事ほざいとるんや」
しかしながら、真田も堺もこんな所で梓を苛めている暇はないと……ますます不貞腐れた様子の彼女を横目に、警視総監室へ急ぐ。
見たところ、梓の手元にジュラルミンケースはない。だとすれば、既に警視総監に引き渡し済みと考えるべきだろう。そうともなれば、彼が証拠を隠滅する前にアタッシュケースごと押収しなければならない。
「……急ぐぞ、アキラちゃん」
「せやねんな。ケースの中身は、知らへんけど。……ヤッコさんに指紋を拭かれたら、アウトや」
多田見には警視総監との何かしらの繋がりがあることは、とうに知れたこと。堺が調べ尽くした結果、多田見にまつわる事件は警視総監が悉く口を出しており、彼女に綿々と恩を売っていた事もうっすらと判明してきている。堺には警視総監がどうして多田見に拘るのかまでは、流石に分からなかったものの。しかして……多田見が警視総監に協力している理由はなんとなく、理解できていた。
「……この際やから、多田見さんについてもほじくり返さな、アカンな」
「そのようだな。……しかし、彼女の生い立ちを知ってしまった今となっては、警視総監はともかく……彼女を追い詰めるのは、少々心苦しいものがある」
「んなこと、言っとる場合か。下手すると、結川をおじゃんにされかねへんで」
警視総監室まで、後少し。そんな場所で、堺の言わんとしていることも逡巡し……真田はやれやれと肩を落とす。
多田見の両親が自殺に追い込まれたのは地東會のせいであり、彼女が親戚から厄介者扱いされたのも、これまた地東會のせいであった。彼女にしてみれば、人生の転落は全て地東會によるものだと言っても、過言ではないだろう。そして、実は腕利きの探偵だという素顔からするに……彼女も知っている可能性が高いのだ。結川が地東會の構成員であり、本名は有川であるということを。
「さて……着いたな」
「せやな。ここからが正念場やで、トーマ。……今日こそは、追い詰めに追い詰めちゃるで」
多田見の動向も気になるが、それ以上に今は難敵を徹底的に締め上げる方が先だ。今回も2対1でやや卑怯な気がすると、真田は思ってしまうものの。難攻不落の警視総監を攻め落とすには、堺クラスの助っ人は必須だろう。
(とにかく、やるしかない……か。東京都公安委員会に駆け込むのは、警視総監をキッチリと追い詰めてからだ)
決意と共に、進め。いくら相手が警視庁のトップとて、一警察官として彼の所業を見過ごすわけにはいかない。
武器を所持した指名手配犯を逃すことが、どれ程までに市民の生活に影を落とすのか。自己中心的な警視総監は、結川がもたらす不安を理解していないばかりか、想像すらしていない。
だが、真田が決心するように警視総監室のドアをノックするのを……ギロリと睨む者が1人。梓は真田の緊迫した表情に、珍しく冴えた直感を働かせると……最後の最後に、警視総監を最大級に困らせてやろうと踵を返す。……真田も気に入らないが、今は何よりも英臣が憎い。そうともなれば、ここは手っ取り早く真田の部下を利用してしまうに限る。
(真田がここにいるという事は、彼のチームは捜査に戻っているのかしらね。犬塚はともかく、深山だったらうまく転がせそうだし……辞令が下る前に、ちょっと付き合ってもらおうかしら)
間髪入れずに真田が訪問したとなれば、梓の辞令発令は少し遅れるに違いない。そうして、時間の猶予もない中で籠絡しやすい相手にターゲットを絞ると。警視総監の悪事調査で付き合ってもらうべく、梓は足取りも軽く深山を探しに行くのだった。