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クロユリ、ポンコツ課長を見張る

(大して移動しないだろうと、思っていたが……まさか、ここまでとは……)

(キュフ……)


 犬塚はクロユリを連れて、林道を尾行している……はずだったのだが。何故か、「割烹・りゅうぐう」のすぐ裏手で、息を潜めていた。緊張した面持ちのご主人様の足元で、クロユリもジッとしているが。どうも、()()()()()()()をしているおばちゃん(園原課長)が気に入らないと、マロ眉を吊り上げている。


「用件なら、ここで済ませてちょうだい。私、歩くのは嫌いなの。だって、折角のヒールが汚れるじゃない」

「……あなた、状況を分かって言っているの? 警視総監からの極秘指令だったのでしょ?」

「えぇ、そうね。……メッセンジャーから荷物を受け取れって、言われていたけれど。だったら、その荷物をさっさと渡しなさいよ。私、忙しいの」

「……」


 梓は極秘の意味さえも、分かっていないらしい。()()()()()事を理由に、歩こうともせず……あろう事か、人目に付くかもしれない食事処の裏で、極秘任務をこなそうとしているではないか。


(まさか、こんな所で密会をする羽目になるなんて、多田見さんも思ってなかったろうな……。園原課長、大丈夫だろうか。……色んな意味で)


 梓の非常識加減は、今に始まった事ではないが。……これには、犬塚も多田見に同情せざるを得ない。


「……はぁ、仕方ないわね。分かったわ。私もすぐに移動しなければいけないし……ここで渡すわ」


 犬塚が同情しているのを、多田見は知る由もないが。深々とため息を吐くと、梓に小さめのジュラルミンケースを手渡した。彼女もあまり時間がないと見えて、梓のワガママにアッサリと応じるが。


(あのケースの中身は、一体……?)


 わざわざジュラルミンケースに入れているという事は、中身は機密書類か……或いは、精密機器か。彼女達にとって、重要な物品であるのは間違いなさそうだが。いずれにしても、それが梓の手に渡ったという事実が重要である。


(とりあえず、深山にメールを飛ばしておくか。何かの取引があったと、真田部長にも伝えてもらわなくては)


 胸ポケットから携帯電話を取り出し、犬塚は注意深くショートメールを飛ばす。本当は写真も撮っておきたいが……マナーモードにしてあっても、シャッター音は鳴ってしまうため、そちらは早々に諦める。梓はともかく……頻りに周囲を警戒する様子を見せている多田見には、気づかれる可能性が高い。


「とにかく、頼んだわよ。……それじゃぁ、私はこれで」

「えぇ、分かったわ。それにしても……全く、こんな山奥まで呼び出さなくてもいいじゃない。もっとお洒落な場所で待ち合わせだったら、帰りのディナーにも困らないのに」


 最後の最後まで文句しか言わない梓に、もうもう言ってやることもないらしい。明らかに軽蔑した眼差しを向けつつも、多田見はやれやれと言った風情で去っていく。どうやら……彼女はここには車でやってきた訳ではなさそうだが。


(移動手段は何だ? 徒歩……いや。この方向からするに……まさか、バスか? 確かに、すぐそこにバス停があったな……)


 料亭の裏を流れる川を渡ったところに「坂下」というバス停があった事を思い出し、犬塚は内心で参ったなと考え込んでいた。……もし車での移動だった場合は、ナンバープレート等を抑えれば多少の手がかりは残る。だが、梓と別れた多田見が駐車場ではなく、雑木林の方へ歩き出したのを見ても……彼女の移動手段は、バスのセンが濃厚だろう。


(……仕方ない、一旦は戻るか。いくら大人しいとは言え、クロユリ連れでバスに乗るのは無謀だ……)


 ケージがない以上、犬の乗車はまず無理である。仮にケージがあったとしても、そんな物を持っていたらば、目立つ事この上ない。いくら細心の注意を払ったとて……クロユリ連れの時点で、尾行は失敗確定だ。

 それでなくともバス程、尾行する側にとって都合が悪い乗り物もないだろう。電車よりも遥かにコンパクトな車内は、一番後ろの席であれば、車内を一望とばかりに見渡せる。混んでいる場合は、その限りではないだろうが……後から乗り込んだ場合、まずまず気づかれる。

 悪いことに、犬塚は多田見と顔見知りだ。多田見の身の上は今ひとつ、まだハッキリしていないが……探偵を生業としているらしい以上、記憶力は優れていると見積もっていた方が()()()もない。犬塚が彼女を覚えていたように……多田見もこちらを覚えているとした方が自然だろう。


***

(……無事に撒けたかしらね)


 梓と別れた後。多田見はまたもやれやれと首を振りつつ……バス停へと辿り着く。しかし、彼女にはバスなんぞを待つつもりはない。チラと「坂下」のバス停を横目に通り過ぎ、早足で山道を進む。そうして……しばらくしたところで、路面脇に控えめに停まっている車を認めると、今一度背後を見やった。

 ……見る限り、追っ手はない。その様子からしても、彼は諦めたのだろうと、今度はため息ではなく安堵の息を吐く。


(やっぱり、警視総監は見限って正解だったわ。犬塚さんがいた時点で……彼はもう、ダメね)


 そう、犬塚が気づいていたように……多田見もしっかりと、犬塚に気づいていた。第一、あの料亭に同じ趣のセダン(覆面パトカー)が2台も停まっている時点で、気づかない方がおかしいというもの。それでも、彼が追って来なかったのは……多田見の移動手段がバスだと、勘違いしてくれたからに違いない。

 ありがたいことに、割烹・りゅうぐうのすぐ裏手には吹上トンネルを結ぶバスが通っている。心霊スポットとしての印象が先行しがちだが、吹上トンネル付近はハイキングコースでもあるのだ。意外と道は整備されているし、人足もそれなりにあるらしい。確かに森林浴にももってこいだろうと、多田見は雑木林の緑を見つめては、目を細めた。


(とは言え、油断はできないわ。園原はともかく、犬塚さんと……彼の上司は優秀みたいだもの。……困ったわね。あまり、警視総監を突かないで欲しいのだけど)


 自身の保身に神経を注ぐ英臣のこと。悪事の自白ついでに、多田見の事も喋ってしまうかもしれない。それに、姪っ子の梓は特にいけない。あれは責任感だけではなく、口も非常に軽そうだ。


(……仕方ないわ。やっぱり、しばらくは一緒に逃げるしかなさそうね……)


 グルグルと頭の中で、警察達の動きと面影を巡らせながら。多田見はひとまずは結川に同行し、鳴りを潜める事に決める。だが……犬塚が彼女の思惑に気づけなかったのと同様に、多田見も()()()がどこまで知っているかを把握していない。

 ……そう、多田見は知らないのだ。犬塚の()()()()()()()が、しっかりと彼女の素性を掴んでいる事を。そして、多田見の過去に眠る黒い因縁を調べ尽くしていることを……彼女はまだ、知る機会さえ与えられていない。

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