クロユリ、ポンコツ課長を警戒する
「犬塚さん、真田部長からメールが来てますよ!」
「そうか。部長はなんて?」
コンビニエンスストアでの小休憩後、少しだけ体調が回復したらしい。後部座席にはまだ本調子ではないが、ようやく捜査に参加できると息巻く、深山の姿があった。そんな彼女は器用にラップノートパソコンのキーを叩きつつ、真田が新しい情報を寄越したと声を弾ませる。
「えぇと……例の追跡データに、変化があったそうです。向かうべきポイントの変更指示がありました!」
「と、いう事は……結川が移動したのか?」
深山が示す目的地を、ナビに入力しつつ。犬塚は結川はどこに行くつもりなのやら……と、首を傾げる。
不気味な評判が付き纏うトンネルでは、見つかりづらいのはともかく……長期間の潜伏は厳しいものがあるだろうと、犬塚は考える。それでなくとも、結川は普段から見目にも気を遣うタイプの小洒落た人間だ。……小綺麗とは程遠い、陰湿なトンネルでの潜伏に早々に音を上げたのだと思えば、自然な成り行きだろうか。
「割烹・りゅうぐう……? これ……行き先に間違いはないのか、深山」
ナビに表示された目的地に、今度は逆方向に首を傾げてしまう犬塚。情報通りであれば、結川はいかにも素敵な名前の料亭へと移動した様子。そのあまりに現実離れした行き先に、犬塚はついつい疑り深い目を深山に向けてしまう。
「はい、座標的には間違い無いかと……。でも、確かに不自然ですよね。……もしかして、お腹が空いたんでしょうか?」
犬塚の視線を受け、深山もジッとパソコンの画面を見つめるものの。いくら見つめても、座標データに間違いはないようで……空腹なのかもと、のほほんと答えるが。
(逃亡中に呑気に腹ごしらえなんか、するものなのか……?)
確かに、人間は生きていればイヤでも腹が減る。しかし、結川は指名手配されている身……それなりに指名手配のポスターも貼り出されているし、ポスターの写真でもハッキリと分かるレベルの二枚目だ。美容整形などで容貌を変えている場合は、その限りではないだろうが。仮にそのままであれば、結川は非常に目立つ顔立ちをしている。
それでなくとも、結川は元警察官。指名手配が何たるかも、知っているはずであろうし……そんな彼が、ノコノコと人目に触れることが多い食事処にやってくるだろうか。
「……深山。その店……もしかして、客入りが悪そうな評判があったりするのか?」
「うーんと……そうでもなさそうです。どうやら、老舗中の老舗みたいですよ、ここ。クチコミにもランチの蕎麦が特に美味しいって、書いてありますし……何より、周辺のお店も少ないですし。普段から、普通に混んでいるみたいっす」
「そうか。うーん……ますます、不可解だな」
「ですよねー……。結川さん、何を考えているんでしょうか……」
しかしながら、目的地へ急行せよ……は、真田からの指令でもある。指定された場所に違和感はあるものの、犬塚と深山には他に選択があるわけでもない。
「キュフッ、キュフッ」
「それにつけても、クロユリはご機嫌だな……。まぁ、お前は助手席に座っていられれば、大抵は問題ないのか……」
「キャフッ!」
犬塚と深山が司令に疑問符を浮かべている横で、助手席のクロユリは上機嫌も上機嫌。鼻先で嬉しそうに息を弾ませては、いい子でおすわりをしている。しかし……。
「ここが割烹・りゅうぐう……って、うん? あの車……」
「どうしました、犬塚さん」
トンネルを抜けた途端に現れる、山の上の竜宮城。しかしながら、その駐車場に見慣れたセダンが停まっているのにも気づいて、犬塚は変な予感を募らせる。
品川ナンバー、特徴的なゾロ目。……今まさに自分が運転しているセダンも、同じ規則のナンバープレートを付けていることもあって、明らかに先客の車は同じ本庁の覆面パトカーだと思われるが……。
「……犬塚さん。あれ……見間違いでなければ、園原課長ですか……?」
「……そうだな。何がどうなって、園原課長がこんな所にいるんだ……?」
そんな疑惑の覆面パトカーに熱視線を注ぐ犬塚と深山の前に現れたのは、予想外にも程があるポンコツ課長・園原梓。結川のものと思われる移動データを辿った先に彼女がいるのは、偶然ではないと思われるが。もちろん、犬塚達が追っていたのは、結川であって梓ではない。いくら結川が、園原チームの警察官だったからとは言え……いくらなんでも個人的にも、お仕事的にも難がある梓に接触を図るとは、考えにくい。
「グルルルル……!」
しかも、有り余る疑問で頭を痛めている犬塚の横から、クロユリが唸り声を上げているではないか。さっきまでのご機嫌も引っ込めて、眉間と鼻筋に皺を寄せているのを見ても……相当にご機嫌斜めの様子。
「クロユリ、どうした?」
「キャフ……! ギャフッ‼︎」
「ど、ドウドウ……落ち着け。落ち着くんだ、クロユリ。……もしかして、気になる匂いでもあったのか?」
「キャゥ……キャフッ!」
仕方なしに、犬塚がクロユリの背中をトントンとあやすように叩いていると……今度は、車から降りた梓に声を掛ける女性が現れる。
「……まさか、あれは……」
「犬塚さん、あの人を知っているんですか?」
「……あぁ。エステティック・ショーコで受付をしていた、女性で……多田見さんと言ってな。結川逮捕の当日に、俺と真田部長も会っている。だけど、現場にいたにも関わらず、彼女の調書記録が抹消されていたりと……色々と不可解な点もあって。……おそらく、警視総監と何らかの繋がりがあると思われるんだが……」
どうする? このまま様子を見るか? それとも……割って入るか?
クロユリを撫でる手を休めることなく、犬塚が彼女達のやり取りを見つめていると……どうやら、移動するつもりらしい。駐車場に車を停めたまま、梓は多田見と連れ立って駐車場から立ち去っていく。
「……深山。すぐに真田部長に連絡を。園原課長と多田見さんが会っていた事を、伝えるんだ」
「承知しました。で、もしかして……」
「あぁ。俺は彼女達を追う。……園原課長のあの足元では、長距離の移動は難しいだろうし……そんなに離れずに済むと思う」
できる事ならば、単独での長距離尾行は避けたいところではあるが。梓の明らかに場違いな足元を見つめては、移動はそこまで長引かないだろうと犬塚は踏んでいた。……あのハイヒールで坂道混じりの林道を歩くのは、非常に厳しいに違いない。
「あぁ……そうっすね。それでなくても、園原課長……靴が汚れるからって、普段から歩きたがらないですし。それじゃ、私はここで待機してるっす。何かあったら、すぐに連絡してください!」
「了解。で……」
「……キャフ」
お留守番の深山と、クロユリの顔を交互に見つめて……仕方ないと、息を吐く犬塚。そうして、リードを助手席から外しては、クロユリも尾行に連れて行くことに決める。
「……クロユリ。付いてくるつもりなら、大人しくしていろよ」
「クフ、クフ」
犬塚の言葉が分かるのかどうかは、定かではないが。大人しくしていろと言われた途端、クロユリは鼻息のみで返事をするという、器用さを見せつけてくる。そんなお嬢様に……犬塚も深山も、苦笑いせずにはいられない。