クロユリよりも真っ黒な因縁(4)
「これで、よし……と」
「何がよし、なんだ?」
陰気なトンネルから、離れれば、離れる程。陰鬱な思い出に苛まれようとも、少しばかり気分も上向くというものである。ハンドルを握る結川が助手席をチラリと窺えば……多田見がニンマリとご満悦な様子で、スマートフォンを見つめていた。
「警視総監に拳銃のすり替えに成功したと、メールを送ったのよ。それで、あなたは所定通りに逃したと伝えたわ」
「そうか。だとすると……後は適当に、拳銃を捨てればいい……訳ではないか。お前は一度、あっちに戻らないと不味いんじゃないか?」
結川が元々持っていた「M1917」と同様、多田見が新しく持たされている「38口径リボルバー」にも発信機が付いていると考える方が自然だ。そこで……多田見は警視総監の泣き所に、発信機ごと拳銃を2丁とも渡してしまおうと考える。
「いえ? もう警視総監に会う必要はないわ。なんだかんだで、人使いも荒かったし……何より、私は要注意人物になってもいるでしょうね。ここまで内情を知っているのだもの。不用意に戻って、始末されるのは御免だわ」
優秀な多田見は、勘も非常に優れている。結川との接触を良しとした時点で、拳銃をすり替えさせた暁には、多田見の方が結川に始末されるだろうと、思い描いていたこともお見通しだった。
「……拳銃は弾を抜いて、彼女に預けて仕舞えばいいのだわ」
「彼女?」
「えぇ。実は、警視総監が差し向けた追っ手が、もう1人いるのよ。園原梓……もちろん、知ってるわよね?」
「ハハ、もちろん知ってるさ。勘違いキャンペーンマダムには、俺も散々苦労させられたからな」
場違いなヒールで威圧的に署内を歩く様は、裸の女王様。警視総監の姪っ子というだけで自分も優秀だと思い込んでは、的外れな命令を下すばかり。血生臭い現場には出たがらないし、いざ現地に出向いたとて……足を使った地道な捜査なんて絶対にイヤだと、自分は車の助手席で待機を貫く。彼女が担当するのは、あくまでお膳立てされた容疑者への尋問だけだ。
だが、彼女はいくらポンコツでも、警察組織トップの警視総監の姪っ子。滅多な事を言ったならば、即刻左遷といかないまでも……出世は望み薄になってしまう。だからこそ、周囲は彼女を程よく立てて、警視総監の思惑に沿えるように波風を立てずにいただけなのだが。彼らの涙ぐましい忖度も、彼女の勘違いを助長させる一因だったのかも知れない。
「それに、あの調子では警視総監が失脚するのも目に見えている。これ以上、関わる必要はないわね。もちろん、できればあなたとの縁も早々に切りたいのだけど……一緒に逃げたからには、しばらくは付き合ってあげるわ」
「そいつはどうも。……やっぱり、ちゃんと警察官もやっておいて正解だったな。大一番で恩返ししてもらえるなんて、俺はツイてる」
「……私にとってはツイてないの一言に尽きるわ、それ」
「そう言うなって」
結川の警察官としての顔が、仮面であることは多田見も知っている。だが……口が巧みな結川は、憎らしいことに警察官としてもそれなりに優秀だった。いや……どちらかと言えば、警察官として優秀ではなく、純粋に女性の口を滑らせるのに手慣れているとするべきなのかも知れない。いずれにしても、結川のトークスキルがあったからこそ、時効前に恩師を轢き逃げした犯人を捕まえられた経緯があるのだから、結川の手腕を貶める理由はない。
(……ま、せいぜい好きなだけ恩を着せるといいわ。……いずれ、始末してやるんだから)
事件発生から20年近くもの期間を経て犯人を逮捕できたのは、偏に警視総監の気まぐれと結川の鋭い勘が、上手く噛み合ったからである。姪っ子の箔付にも余念がない英臣は、未解決事件の解決をさせれば評価が上がると考えたらしい。特に、轢き逃げの検挙率アップは昨今の交通事故の取り沙汰され方からしても、注目度も高い。そんな事情もあり、梓のチームには「女性教師轢き逃げ事件」を解決せよと、命令が下ったのだ。
結川にしてみれば、非常に下らない理由ではあったが。彼は彼で、警察組織の中で信頼と実績を勝ち取る必要があったため、梓の成績に貢献するのが警視総監の心象を良くするのに効果的だと理解もしていた。そして……僅かな目撃情報を頼りに地道に聞き込みをし、結川は有閑マダム達から有用な証言を引き出すことに成功する。そう……関彩音を轢き逃げしたのは、いわゆる上級国民という人種であり、非常に目立つ高級車を普段から乗り回しているタイプの人間だった。
そんな結川の尽力を知っているからこそ、多田見は結川を始末する事を先延ばしにしたが……彼が憎らしい地東會の一員である事は、変わりない。多田見にとって、恩師を轢き殺した犯人を捕まえた事と、両親を自殺に追い込んだ事は別問題。犯人を捕まえた程度で、彼女の恨みが帳消しになるわけではないのだ。
「とりあえず、これから指定する場所に向かってくれる? 2丁とも渡してしまえば、後は勝手にやってくれるはずよ」
しかしながら、今は恨みを思い出している場合ではない。一時的とは言え、一緒に行動をすると決めた以上、まずは警察を出し抜かなければならない。
「指示はすり替えだったよな? 2丁とも渡して、バレない……は、大丈夫そうか。相手がポンコツ課長だったら、深く考えもせず、喜んで預かってくれそうだな」
「そういう事。だから……目的地に着いたら、一旦外してくれるかしら? 園原梓には私だけで会うわ」
「あぁ、分かったよ。それでなくても……あんなポンコツに捕まったとなったら、一生の恥だ。あいつの手柄になるのだけは、勘弁だな」
軽口を叩きつつ、結川は多田見の指示通りに車を走らせる。そのやり取りだけ聞いていれば、気の置けない間柄にも錯覚されそうだが。……当然ながら、指名手配犯と探偵は表向きの共闘を選んだだけである。腹の中では、いつ仕掛けるかを互いに見定めているに過ぎなかった。