クロユリ、青梅へ行く
「キャフッ、キャフゥ……!」
すっかり乗り慣れたセダンの助手席で、鼻先からご機嫌な吐息を漏らすクロユリ。今日の犬塚は真田の指示で、深山と一緒に朝から青梅市へ向かっているのだが……仕事だろうと、任務だろうと。クロユリはご主人様と一緒であれば、概ね満足らしい。後部座席で撃沈したままの深山の存在なぞ、忘れたようにピコピコと尻尾を振ってはドライブを楽しんでいる。
(しかも、青梅市は自然が豊かだからな……仕事じゃなければ、クロユリと散歩も悪くないのだが)
青梅市は、東京都にありながらも自然豊かな地区である。犯罪発生率も非常に低く、治安もいいため「住みたい町ランキング」にも常に上位に食い込む人気スポットだ。しかし……。
(……今日の行き先は、あまりいい場所じゃないんだよなぁ……)
真田から渡された「結川の足取りと思しきデータ」によると。結川は立川市から出た後は、青梅のとある場所で潜伏している可能性が示唆されている。そして、そのポイントと言うのが……住みやすさとは逆方向に人気のある、「とあるトンネル」だった。
(吹上トンネルと言えば、心霊スポットとして話題になった場所だった気がする……)
潜伏先として「心霊スポット」を選ぶなんて。派手好きな印象の結川にしては、微妙なチョイスだと犬塚は首を捻ってしまうが。逆に人気がない方が都合がいいのかも知れないと、思い直す。
(それにトンネルの例に漏れず、暴走族の溜まり場になっていると聞いていたな……)
そのテの話には、興味が薄い犬塚は知らぬことではあるが。「吹上トンネル」と呼ばれるトンネルは現役の「新吹上トンネル」・「旧吹上隧道」、そして閉鎖されている「旧旧吹上隧道」の3本が存在している。そして、心霊スポットとして有名なのは古い2本のトンネルではあるが……近隣住民からしてみれば、霊よりも心霊スポットに群がる見物客の方がよっぽど物騒で迷惑なのが実情である。
いずれにしても、元から興味が薄い犬塚の恐怖心も関心も引き出すには、あまりに真実味が不足しているし、警察官の身からすれば、幽霊ではなく暴走族こそを取り締まらなければならない。
「この調子だと、到着までもう少しかかりそうだな……」
「キャフ?」
「それに……おーい。深山、大丈夫か?」
「は、はい……大丈夫……ですぅ……」
後部座席から弱々しい返事を寄越す深山に、内心で「ダメだこりゃ」と苦笑いしてしまう犬塚。
深山は昨晩にやや深酒をしていたらしく、二日酔い気味だったそうな。それが急遽の招集になったので、こうして任務に参加しているものの……アルコールは残っていないにしても、とても運転を任せられる状態ではない。そうして、彼女には後部座席で休んでいるように伝えていたのだが。普段であれば問題ないはずなのに、深山はしっかりと車酔いしており、返事だけではなく顔色もとにかく冴えない。
「深山、少し休憩しよう。……黒沢を抜けた先からは、山道が続いている。この辺りで体調を整えておいた方がいい」
「は、はひ……すみません……。本当は一刻も早く、到着しないといけないのに……」
「そんな状態では、追いかけられるものも、追いかけられないだろう。事を急いで失敗しないためにも、しっかりと休んでおかないと」
ナビによれば、青梅市役所を過ぎた後は段々と市街地の面影が薄れるようで、緑地が増える見通しだ。この調子では、コンビニ1軒を探すのにも苦労するに違いないし……実際、「吹上しょうぶ公園」の先にはそれらしき印がない。
(うん……ここのセブンイレブンでしっかりと食料を買っておこう。追跡にどのくらいの時間がかかるか、分からないし……)
それもそのはず、目的は吹上トンネルへ辿り着くことではなく、付近に潜伏しているらしい結川を探し出すことだ。観光に来たわけでも、況してや、季節外れの肝試しをやりたいわけでもない。広範囲からターゲットを探さなければならいのだから……状況によっては、長丁場になる可能性もあり得る。
そんな判断を素早く下し、「セブンイレブン青梅四小前店」の駐車場にセダンを滑らせると、すかさず深山に声をかける犬塚。休憩だけではなく、準備もきちんと済ませておくべきだろう。
「ほら、深山。とにかく先に行ってくるといい。お手洗いも借りられるだろうし……必要なものはしっかりと、買っておかないと」
「そ、そっすね……。お言葉に甘えて、先に行ってきます……。こんな有様ですみません……」
「キュフ……」
恋敵(だとクロユリは思っている)の萎れた姿に、流石のお嬢様も唸るつもりはないらしい。だが、ご主人様を易々と譲る気もない様子。いつになく弱々しい深山の背中を見送っては、クロユリはお利口にお留守番……すると見せかけて、ここぞとばかりに犬塚に甘え出した。
「キャフ、キャフ!」
「分かってる、分かってる。深山が帰ってきたら、少し散歩に行こうな」
「キュフッ!」
ご主人、分かっているじゃない。
まるでそう言いたげに、器用に口角を上げるクロユリ。犬は表情が豊かだとされているが……クロユリのあまりに「悪いお顔」に犬塚はまたも内心で苦笑いしてしまうのだった。