クロユリの天敵はタッグを組む(4)
想像を絶する、姪っ子の不出来に頭を抱えたくなる英臣。やはり、弟の娘は出来損ないだ……と内心で貶めようとしたところで、果たして彼女が似ているのは父親ではなく母親であることにもようよう気づき、落胆する。……その母親に頼りにされるのが嬉しくて、梓を取り立てたのは自分だろうに。
「それはそうと……警視総監。話は変わりますが、多田見香織さんという方にお心当たりはありませんか?」
「多田見……? いや、知らんが……」
梓の挙動不審を突き詰めるのも、そこそこに。内心で苦悶している英臣に対し、真田が更に不都合な登場人物を議題に乗せてくる。咄嗟に「知らない」と言ってのけはしたが、元来から頭の回転が早い英臣にも、真田が彼女の名前を出したのは偶然ではないだろうことは、想像に容易い。
「左様でしたか。……しかし、おかしいですね。例のエステティック・ショーコの関係者の供述調書や従業員リストを改竄したのは、更新者履歴からしても警視総監のようでしたが。そして……結川逮捕の当日、我々は多田見さんに会っていましてね。犬塚の確認によれば……シフト表のPDFには、しっかりと彼女の名前も残っていましたよ?」
「……それが、どうしたと言うのだ?」
「ですから、警視総監が多田見さんを知らない、はあり得ないと言う事ですよ。現場に実在し、シフト表にもきちんと存在していた彼女の存在を、調書から抹消したのはあなたです。気まぐれに彼女の名前を削除したわけではないでしょうし、供述調書も一読されているはずでしょう? それなのに……知らない、では済まされないと思いますよ」
堺とは異なり、比較的穏やかな口調だが。真田も確実に英臣の揚げ足を取っては、ジリジリと追い詰めてくる。多田見と喫茶店で会った時に気づくべきだったのだろうが……彼女もまた、犬塚と会ったと筆談越しに伝えてきていたのだし、エステ内で彼らが多少の会話をしていることも想定に入れておくべきだった。
(犬塚を知っていた多田見が覚えているのは、ともかく……まさか、犬塚の方も多田見を覚えているなんて。……誤算が過ぎる)
それは何気ない日常会話のはずだった。話の内容も軽微で、重要なものはなかったであろうし、その時の多田見はあくまで「エステのスタッフ」でしかない。本星が結川と藤井であった以上、多田見が彼らの印象に残っているだなんて、英臣は思いもしなかった。
「そうそう。……犬塚がとある関係者から得た証言によりますと。多田見さんはエステティック・ショーコにスタッフとして勤めていたのではなく、調査のために潜入していた事が判明してきています。関豊華氏の依頼を受け、内々にエステの不正についてと、東家祥子氏の身辺調査をしていたようです」
「……そう、か……」
「えぇ。とは言え、大元の依頼主は東家宗一郎氏だったそうでして。……多田見さんの本職は探偵だとか」
多田見を知っているばかりではなく、多田見の本職まで調べがついているのは、想定外どころか、英臣の想像の範疇を遥かに越えている。犬塚がどんなツテを使って、そんな話まで掘り起こしてきたのかは、定かではないが……こうも手駒の優劣を見せつけられては、英臣の口は言葉を吐き出すこともできず、ただただ歯をギリリと鳴らすことしかできない。
「……そのご様子ですと、有り余るお心当たりがありそうですな。とは言え、我々には警視総監を告発する手立てはありません。……警察組織の内部告発は、内々に処理されてしまいますし、実刑も伴わないことが多い」
「その通りだ。お前達がどれだけ証拠を集めようと……私をこの席から引き摺り下ろすことはできん。いくら黒に近かろうと……この席に座っている限り、私は安全なのだ」
諦念まじりの真田の言葉に、英臣はもうもう開き直ってしまうことに決める。どこまでも太々しく、どこまでも無様で醜いことも自覚しているが。……自身の地位と権力を守るためには、開き直る以外の手段は残されていない。
そう……警察組織において、管理職クラスの汚職や犯罪は内部組織にて処理され、表沙汰にされることはまずない。もし、これが末端の警察官であれば、逮捕もあり得るのかも知れないが……英臣は警視総監。警察組織の権力を牛耳る、警視庁内での最高権力者だ。自身の汚点を揉み消すこともできれば、彼に辞令を下せるのは基本的に、内部事情を漏れ聞くことさえできない内閣総理大臣だけである。
「そうですね。是非にこのまま、心ゆくまで裸の王様でいらっしゃれば、よろしい。我々としては、これ以上に忠告する必要もありませんから」
「……それはどういう意味だ?」
「そのままの意味ですよ、警視総監。……その椅子の上で引きこもり過ぎたあなたに、付いて来る人間はもういないでしょうな。……警視総監と言えど、組織の人間であることに変わりはありません。今の今まで、捜査ではなく保身にしか興味を示さなかったあなたが……たった1人でできることなど、高が知れている」
そこまで言い切り、境を促しつつその場を後にする真田。しかして、真田と一緒に退室すると見せかけて……堺は嫌味ったらしく、「哀れな奴っちゃで」と鼻を鳴らす事も忘れなかった。
***
「それはそうと、トーマ。どないするん? まさか、このまま放置する気やないんやろ?」
ありったけの嫌味を効かせてやったは、いいが。英臣は罪を認めるどころか、開き直る始末。裸の王様が威張ってみたところで、手出しができないのは事実ではあるが……逆に、こちらも手も足も出ないのだから、歯痒いことこの上ない。
「もちろん。結川の逃亡幇助は立派な犯罪であるし、その結川は武器を持って逃走中の状況だ。これは一刻を争う事態なのは、間違いない。そして、結川が持っている凶器は……」
「せやね。……結川のチャカは警視総監が用立てしたと見て、間違いないがな」
「あぁ。そうなるだろうね。だから……全てに決着が着いたら、東京都公安委員会に持ち込もうと思う。とにかく、今は事件を解決させることが最優先だからね。……これ以上、警視総監に構っている暇もない」
東京都公安委員会とは、警視庁を管理するために設けられている東京都知事所轄下の行政委員会のことだ。要するに、警視庁は東京都公安委員会の下部組織にあたるため、かの組織であれば警視総監の不正に対応することもできるだろう。
「さよか。そんなら……ワシも、もう一踏ん張りしようかね」
「もう一踏ん張り? アキラちゃん、まだ何かあるのか?」
「大アリやねん。さっき、トーマが話とった多田見香織さん、やけど。……どっかで、その名前を聞いた気がするんや」
タダの思い過ごしだったら、ええんやけど。
事も無げに呟く割には、堺には不都合な確信がある様子。飄々と手を振りつつ、真田とは別方向に去っていく堺だったが。そんな同期の背中に……真田もはて、と首を傾げてしまう。
(もしかして、警視総監と多田見さんの接点は……何かの事件だったのか……?)




