クロユリと防音室
犬塚が宗一郎の秘書・上林について思いを巡らせていると。会議の内容は容疑者を並べ立てるところから、事件現場の解説に入っていた。
(間取りは2階建ての一軒家……なのは、いいとして。……金持ちの家にしては、随分とコンパクトな気がするな)
きっと、独身だったせいもあるのだろう。宗一郎の邸宅は思いの外、こじんまりとしていた。高級住宅地として有名な元麻布に位置していることもあり、この大きさでは周囲の住宅の方が圧倒的に大きいだろう。
具体的な間取りは5LDK、55坪程。リビングダイニング・キッチンに加えて、主寝室に客間が3部屋。特筆すべき設備は趣味のクラシック観賞用の防音室に、ガレージから続く庭を改造したと思われる「ドッグラン」が挙げられるだろうが……それにしても、コンパクトにまとまり過ぎている。
(それで……2階の奥が、例の防音室か……)
今度は深山ではなく、現場検証担当の刑事が粛々と宗一郎邸の間取りについて説明を続けている。画面の中の彼によれば、大破していた防音室の扉は防音仕様ではあるものの、きっと室内のインテリアに合わせたのだろう、素材自体はクラシカルな木製だった。いわゆるプロ用の防音扉ではないため、そこまでの防音性はなさそうだが、別の部屋のドアよりはずっしりと重い、板を何重にも張り合わせた逸品とのこと。……これを掘り抜くには、相当の根性と根気が必要だろう。
「なお、防音室には外からも鍵がかかるようになっておりまして……おそらく、コレクションの盗難を危惧しての事と思われます」
(コレクション?)
クロユリが閉じ込められていた防音室は、宗一郎のコレクションルームも兼ねていたらしい。宗一郎はクラシック鑑賞をしながら、ワインを嗜んでいたらしく……防音室の一角には立派なワインセラーが設けられており、中には1本数百万円単位のヴィンテージワインが15本程、保存されていた。しかし、宗一郎はカジュアルにワインも楽しんでいたのだろう。栓が空けられているものもあり、ワインセラーは鍵がかかるタイプのものではなかった。高級品の管理をしているにしては、やや杜撰である。
一方、音楽関連のコレクションはと言うと。レコードと蓄音機にはそこまでの価値はないだろうが、問題は一緒に保管されていたヴァイオリンの方だ。宗一郎自身が演奏していたのかどうかは定かではないが、使い込まれている雰囲気のヴァイオリンが1挺保管されていたとかで……強化ガラスのケースには、しっかりと鍵までかかっていたらしい。
「しかし、念の為ヴァイオリンも鑑識・鑑定したところ……特に不審な点も、特別な点も見当たりませんでした。宗一郎氏の自宅にあったものですから、ストラディバリウス等の名器かと思われたのですが。こちらは、YAMAHA製の一般的なモデルだという事も判明しています」
犬塚には、ヴァイオリンの相場は分からないが。担当刑事の解説によると、宗一郎邸から見つかったヴァイオリンは日本製モデルという事もあり、販売価格も判明している。そのお値段、およそ10万円程。丁寧に作られた逸品であるとは言え、大富豪の邸宅に恭しく飾られるには、ややインパクトが足りない。
(貴重なワインは鍵もかけずに保存していたのに、何故、10万円程度のヴァイオリンに鍵をかけているんだ……?)
市場価格は10万円、ごくごく普通のモデル。そんなヴァイオリンが、丁寧に保管されていたとなると……おそらく、宗一郎にとっては何よりも大切な品物であったのだろう。となると……何かの記念品か、思い出の品であろうか?
「遺留品についても、確認が終わっており……ワインを始め、金目のものは手付かずで残されていました。自宅の鍵並びに防音室の鍵もリビングにて見つかっておりますが、唯一見つからなかったのは、例のヴァイオリンのガラスケースの鍵のみです。しかしながら、こちらは単純な作りの鍵だったため、開錠は済んでおります。いずれにしても、金品の盗難がない時点で、怨恨による犯行である可能性は濃厚かと」
唯一見つからなかった鍵。そのフレーズに、犬塚はハタとクロユリが隠し持っていた鍵を思い出す。そうして、キーケースに忍ばせていた例の鍵を見つめるが……。
「なぁ、クロユリ。お前は……あのヴァイオリンを守りたかったのか?」
「……(フス)」
犬塚の言葉が通じているのか、いないのかは定かではないが。クロユリは相変わらず、そっけない鼻息を返すのみである。
(この鍵がもし、ヴァイオリンの鍵ならば。相当の秘密があると思うが……)
しかしながら、今の犬塚には現場捜査は許されていない。真田の指示がある以上、自宅待機をするしかないのだが……どうしても、クロユリが隠していた鍵が「ヴァイオリンの鍵」なのかを確かめたい。
(……待てよ? もしかして、この番号が一致するかどうかだけでも、確認すればいいのか……?)
よくよく手元の鍵を見やれば、しっかりと番号が刻印されている。この番号はいわゆる「鍵番号」であり、ロッカー等の合鍵を作る際に必要になる識別番号だ。鍵穴と鍵に同じ番号が刻印されているので、もし、例のヴァイオリンのガラスケースの鍵穴と、手元の鍵の番号が一致する場合は……クロユリが守りたかったのは、何の変哲もないヴァイオリンだという事になる。
(ここは……うん、そうだな。深山に頼むか)
リモート会議が終わったら、深山にお願いしてみよう。何かと犬塚にも親切な彼女であれば、きっと何の気なしに調べてきてくれるに違いない。