クロユリは無我の境地に至る
犬塚相手に、これ以上は余計な事は言うまいと……藤井は警戒している様子。それに、取調べにも制限時間は存在する。人権保護の観点から、一回で3時間以上の取調べは規制されているのだ。残り時間を考えても、彼女が積み上げた警戒心を切り崩すのは、ほぼほぼ無理だ。
(であれば……仕方ない。切り口は本当に関係のない話を振るか)
だが、今までの傾向からしても……藤井は元来、お喋り好きな人間であることは間違いなさそうだ。頼まれもしないのに、松陽組の話を掘り下げてきた時点で、自分の持っている情報を誰かにリークするのも好きな様子。おそらく……藤井は情報をひけらかすことで、承認要求や自己肯定感を満たすタイプなのだろう。
(こういうタイプは何だかんだで、こちらとしてもやり易いから、助かる)
その上で、藤井は自分にとって都合が悪い事を隠すことには慣れているようだが、差し向けられた話がどこまでの関連性があるかどうかについては、無頓着である。そうともなれば、次の一手も表向きは関係のない話を装うのが、手っ取り早い。
「そうそう、最後にお伺いしたいことがありまして」
「ですから……もう何も話すことはないですわ」
「あぁ、すみません。別段、事件に関係のないことでして。少々気になる相手がいたものですから」
「気になる相手?」
「多田見さんですよ。我々がお邪魔した時に、とても親切にご対応いただきましたし。その後どうしたかなと、思いまして」
一見、多田見のことは本当に事件に関係のない内容である。しかし、彼女はエステティック・ショーコに調査のために潜入していたようで、関からの依頼でエステサロンに身を置いていた可能性が高い。しかしながら……調査結果を提出した後もエステサロンへ通っていた事を考えると、関の依頼以外の何かを探っていたのではなかろうか。
「多田見さん……ですか。そうですね……勤務期間も長かったし、私も頼りにしていました。こんな状況になってしまって……多田見さんだけではなく、従業員のみんなには申し訳ない限りですわ」
「そう、でしたか。しかし、藤井さんも頼りにされていたとなると……やはり、多田見さんはベテランだったのですね?」
「いえ……多田見さんはスタッフの中では、割合新人ですよ。それこそ、オーナーの調子がおかしくなってから、うちに来てもらっていました」
やはり、多田見の勤務期間は祥子の不調と無関係ではないらしい。それに、案内の道すがら多田見も「オーナーのお姿はしばらく見ておりません」と言っていたし、それなりの期間を過ごしていたことは間違いない。
(多田見さんはエステサロンの内情以外に、何を探っていたのだろうか……?)
しかし、その多田見に話を聞こうにも、エステティック・ショーコの関係者への聴取は終わっており、オーナーと店長以外の従業員は当たり前ではあるが、「麻薬取扱への関与が認められなかった」と判定され、顧客も含めて麻薬中毒の可能性も低かったことから、警察にて身柄預かりになった人物はいない。話を聞きたくとも、事件収束後の状況では、コンタクトを取るにもやや不自然だ。
(うん? 待てよ? 従業員は全員、参考人扱いで聴取は実施されているはず。であれば、供述調書も作成されているか)
長期間潜入をやってのけるほどの人物……しかも、大元の依頼主が弁護士である以上、多田見は「供述調書」がいかなるものが知っているだろう。そうともなれば、エステティック・ショーコ関連以外の話はしていない可能性の方が高いが、彼女の調書記録に目を通しておいても、損はない。
「……貴重なお話、ありがとうございました。黙秘された部分以外は、必要なお話はいただいておりますので……我々はこの辺りでお暇しましょう。真田部長も、それで良いですか?」
「あぁ、構わんよ。……判断材料は大方、揃ったようだからな」
クロユリを撫でながらも、油断ならない物言いをする真田。一方……クロユリは悟りの境地どころか、無心の境地にまで至ってしまったようで、光の消えた瞳で遠くを見つめている。
(……最初から最後まで、真田部長に抱っこのお役目を取られたなぁ……)
起立して、礼をする合間もガッチリとクロユリを手放さない真田に、もうもう何も言えない犬塚ではあるが。車に戻ったら、クロユリを奪還すると同時に……多田見について調べるつもりだと、「そう思い立った経緯」も含めて情報共有もしなければと考える。藤井への尋問を、ここまで自由にさせてくれたのだ。真田にはしっかりと情報共有をしても、バチは当たらないはずだ。




