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クロユリ以上に、真っ黒な腹の内(3)

 時間にも仕事にも正確な彼女は、何もかもを理解している。英臣が何かと愛用している、いつもの喫茶店「ほーく」の奥まったボックス席に、彼女……多田見(ただみ)香織(かおり)が全てを見透かしたが如く、優雅に座っていた。


「……待たせたか?」

「いえ。お時間丁度ですので、問題ございません」


 手元の文庫本にスピン(栞紐)を挟みつつ。ニコリと微笑む()()()()()は、表向きの愛想もいい私立探偵の方なのだろう。だが……英臣は知っている。多田見は地東會に並々ならぬ憎悪を抱く、復讐者の顔も持っているという事を。


「ご注文はお決まりでしょうか?」

「コーヒーを。それと……連れにはチーズケーキを追加で頼む」

「かしこまりました」


 クラシカルな音響から流れる、しっとりとしたジャズに耳を傾ければ。相談だけでコーヒーブレイクを終わらせてしまうのは、勿体ないと英臣は考え込む。そうして長居を決め込むついでに、待たせてしまった詫びも兼ねて、チーズケーキを追加で注文するが……そんな英臣の意図を汲み取って、多田見がまたも微笑んだ。


「よろしいのですか? 警視総監が長いお時間をお留守にしても」

「構わんよ。……捜査は別の者が担当している。それに、この店のチーズケーキは絶品だぞ?」

「えぇ、存じてますわ。美味しいですよね、こちらのチーズケーキ。それに……店の雰囲気もいいですし。長居したくなるのも、分かります」


 そんな事を()()()話しつつも……予断なく店員の動きに神経を注ぎながら、英臣はお冷で口を湿らせる。ジャズを楽しむ事がモットーであるため、この店では基本的に会話は禁止だ。そのため、筆談が不自然にならないこの店のルールは相談事を持ちかけるにも、物騒な内緒話をするのにも。英臣にとっては都合がいいと同時に……何よりも心地よい。


“エステティック・ショーコで、犬塚さんにお会いしました”

“あぁ。例の歌舞伎町一斉検挙の()()()か”


 英臣が差し出したメモに、サラサラと綺麗な字を綴る多田見。この店での待ち合わせが初めてでもない彼女は、当然ながら特殊ルールも心得ている。そうして、ここからは筆談で……という含みにも驚く様子もなく、自然なテンポでペンを走らせた。


(……ここでこの名前が出てくるとは、思いもしなかったな……)


 ライバル・堺の元部下であり、真田チームのエース。そして、富豪の愛犬・クロユリの保護者。これだけの情報だけでも、英臣にしてみれば面白くない相手ではあるが。どことなく嬉しそうな多田見の様子を見るに、ここで犬塚を悪様に扱うのは賢明ではないと、英臣は判断する。


“犬塚がどうした?”

“真っ先に男性客がいるかどうかを、聞いてきたので……本当に()()()()のだなと、感心しました”


 どうやら、多田見は歌舞伎町一斉検挙の件以来、犬塚を相当に()()()()()()()らしい。しかし……よくよく考えてみれば、それも自然な事だろうと、英臣は冷静に無言で相槌を打つ。


(両親の仇討ちを手助けしたともなれば、多田見が犬塚を評価するのも、不思議ではないか)


 多田見の両親はジャズ好きが高じて、夫婦でジャズバーを経営していた。()()としては大きくなかったものの。父親の知り合いに著名なジャズ評論家がいたこともあり、それなりに活気のある店だったと、英臣も多田見から聞き及んでいる。しかし……22年前、とある暴力団組員に因縁をつけられたことによって、ジャズバーは閉店に追い込まれてしまう。


(……確か、地東會幹部・不破秋冬の愛人に、ジャズバーのキャストが手を出した……だったか)


 まさか、スタッフとして働いていただけの女性……周藤夏帆が暴力団幹部の内縁の妻などとは、夢にも思わなかったのだろう。それでなくとも、当時の主要バンドのメンバーには()()()()()()()()()()()()()が紛れていたこともあり、店自体の評判も落ち始めていた。そんな中で、暴力団員が乗り込んできたともなれば。多田見の両親には何1つ、瑕疵はなかったとは言え……風評被害の煽りを受けた店が立ち行かなくなるのも、時間の問題だった。そして……。


「お待たせいたしました。コーヒーとチーズケーキでございます」

「あ、あぁ……」


 多田見の両親について思いを馳せている英臣の横顔に、店員の声がそっと降ってくる。そうして店員はテーブルに音もなくコーヒーカップ2つと、多田見の方にはチーズケーキを差し出すと……最後に「ごゆっくりどうぞ」と丁寧に呟き、その場を離れていくが。余計な雑音を残さないその姿勢に、英臣は満足げに口元を緩めると、香り高いコーヒーを含んだ。


(さて……と)


 注文の品が届けば、店員がやってくる事はないだろう。多田見の事情を考えるよりも先に、()()に入らねば。


“結川を追い、奴が持っている拳銃をすり替えてほしい”

“拳銃をすり替える、ですか?”

“結川に掴ませた拳銃は発信機がついている。他のチームが結川を逮捕する前に、それを回収する必要があるのだ”


 英臣の走り書きを見て、多田見は眉間に皺を寄せたが……すぐにおおよその事を理解したらしい。続いて核心を突く返事を綴ってくるのだから、自分の目に狂いはなかったと、英臣は尚もご機嫌麗しい。


“位置情報の提供と、()()()の準備をしてください”

“承知した”

“なお、結川への個人的な接触は可能ですか?”


 物分かりのいい返事を寄越しつつも……多田見は、結川とコンタクトを取る機会がほしい様子。報酬はいらないとしてきた時点で、英臣も多田見の野望はある程度は予想していたが。……勝手な接触はあまり好ましくない。しかし……。


(多田見は事情を知り過ぎている。であれば……)


 一緒に処分してしまった方が良いか。

 そこまで考えて、英臣はメモに「構わない」と書き記す。


“ありがとうございます”


 英臣の返答に多田見は礼を一言書き記し、満面の笑みを浮かべる。一方……英臣も、これで色々と片付くだろうと、黒い笑顔を浮かべていた。

 確かに、多田見は非常に優秀だ。部下にできたのならどれほどまでに頼もしいか、英臣も考えなくもない。しかし……生憎と彼女は警察官として地東會検挙を目指すのではなく、法律家として地東會を裁く方へと舵を切った。そして、最終的にはフリーランスの探偵でいる方が、懐の深い所まで潜り込めると判断したようで……彼女が警察官を志すことはなかったのだ。そんな多田見が英臣の正式な部下になることは、もうないだろう。それどころか……。


()()()で私を信用しているとは言え、警戒しておくに越した事はない。……やはり、代替品は使()()()()()()()()()()か)


 秘密を共有している多田見は、最大の要注意人物になりつつある。彼女に敵意はないと、言えども。地位と権力に執着する英臣にとって、自分の立場を崩しかねない相手ほど……不都合な存在はないのだ。

【登場人物紹介】

・多田見香織

弁護士・関豊華と提携関係にある私立探偵。36歳、身長164センチ、体重55キロ。

普段は愛想がよく、人懐っこい笑顔を見せる女性であるが、両親を自殺に追い込んだ地東會への報復を胸に、単独調査を続けてきた執念深い面も併せ持つ。

警視総監・園原英臣とはとある事件をきっかけに知り合い、それ以降は地東會関連の調査に協力をしている。

なお、エステティック・ショーコに潜入していたのは、関豊華からの依頼があったからではあるが……それとは別に、結川と藤井の関係性も調べていた模様。


【作者のつぶやき】

今回登場した喫茶店・「ほーく」にはモデルになった名店があります。

四谷近辺をぶらついた時に、入ってみた……わけではなく。

いつか寄ってみたいと思いつつも、作者自身はお邪魔し損ねております。

「ジャズ喫茶」の老舗中の老舗ですので、ピンときた方もいらっしゃるかも知れません。

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