クロユリは再度、接待に駆り出されている
「あの調子で大丈夫ですかね、堺部長」
「うむ……まぁ、大丈夫だろう。アキラちゃん……いや、鑑識課長はあれで、要点は外さないタチだ。……少しばかり、ねちっこいのが玉に瑕だが」
乗り慣れたセダンのハンドルを握りながら。犬塚はナビの行き先を確認しつつ……バックミラー越しに真田とクロユリの様子を窺う。……鏡には相変わらず、いいように揉まれているクロユリの渋面が一杯に広がっているが。いつかのように、「ここは耐えてくれ」と犬塚は心の中で、クロユリを拝み倒していた。
「それはそうと……この行き先で合ってます? 俺はてっきり、本庁に戻るものと思っていたのですが……」
「合っとるよ。……警視総監が怪しいとなった以上、こちらも直接動いた方がいいだろう」
「あぁ、なるほど。……藤井さんに話を聞くつもりですね」
「その通りだ」
真田が行き先として指定した、「警視庁本部留置施設・西が丘分室」は都内にある留置所の中でも、「女性被疑者」を受け入れている拠点だ。そのことから、これから会いに行く相手が女性だろうというのは、当然の推察だろう。
「そう言えば。例の件も、犬塚に伝えておかねば」
「はい、何でしょうか?」
「上林さんの身辺だがね。犬塚の話だけでも急を要すると思ったので、渋谷警察に直接依頼をしておいた。ほれ、彼女のマンションは代官山にあったろう?」
何気なく真田に言われ、そう言えばそうだったと、犬塚は今更ながらに思い出す。
上林が住んでいる代官山エリアはハイセンスなショッピングエリアを擁する、渋谷区の一角。カフェや洒落た店が立ち並ぶこともあり、若い女性に特に人気のエリア……らしい。
(と言われても、俺にはピンとこないなぁ……)
人を相手にする仕事柄、しっかりと清潔感を保つことはしても、無駄に気取ったことはできない犬塚にしてみれば、若い女性が好みそうな雰囲気を把握するのは難しい。それこそ、彩華は喜びそうな気がすると、漠然と考えるが。いずれにしても、日本警察の組織において、上から3番目に偉い警視長のご命令ともあれば、依頼元の直轄が違えど快く対応してもらえそうだ。
「すぐにパトロールを強化してくれるとの話だったので、向こうは大丈夫だろう」
「そうでしたか。であれば、上林さんの方は問題なさそうですね。俺も一安心です」
そこまで応じて、犬塚はナビ通りにハンドルを切る。そうして、真っ先に見えてきたのは……目的地の西が丘分室ではなく、ほど近いNTT十条ビルの紅白鉄塔。そんな殊の外目立つ鉄塔を目印に、犬塚は西が丘分室へと車を進めるのだった。
***
(……どういう事だ? なぜ……あいつが報告書を出してくる? 立川はあいつの縄張りじゃないだろう……?)
目の前に置かれた報告書の存在に、異例の連続が重なったことを勘繰っては、英臣は警視総監室で焦りに焦っていた。万に一つの可能性を潰すために、立川拘置所を結川の逃亡エリアに選んだというのに。その万に一つ……いや、億に一つとすら言える可能性を見せつけられては、出るものは冷や汗ばかりである。
(クソ……! あの関大野郎が、でしゃばりやがって……!)
担当者署名欄に最も警戒していた関大野郎……こと、堺の名前を認めつつ。どうせ、ありきたりな内容だろうと、タカを括ってパラパラと捲ってみたはいいものの。恐ろしいことに、伝説の鑑識官は英臣にとって最も都合が悪い現実を抉り出したらしい。凶器は38口径ではなく、45口径の拳銃の可能性があるとしているが……どうして、2ミリの差を見分ける変質者がいるなんて、想像ができようか。
(とにかく、結川に持たせた拳銃を急いで回収せねば……)
今は配備されていない、M1917リボルバー。結川を梓に逮捕させた後に、回収すればいいと考えていたが。この時点でM1917の存在を仄めかされるのは、不都合以外の何物でもない。結川に45口径を持たせたのは、純粋に彼の攻撃手段を封じるためであるし、状況からしても被害者の拳銃……凶器は38口径の拳銃が使われたと、流されるのが普通だろうに。
(こうなれば、仕方ない……少し、急がせるか)
そこまで考えて、英臣は姪の梓……ではなく、個人的に雇っている「とある相手」へと電話をかける。
「……どうしました、警視総監。何か、お困りごとでも?」
3コール以内で電話口に出たのは、張りのある声を響かせる若い女性。互いに名乗らず、互いに何も言わずとも。用件が「困りごと」だと嗅ぎつけて来る時点で、姪と違って、彼女は非常に優秀だと英臣はほくそ笑む。
「あぁ。若干、不味いことになってな。悪いが……すぐに、相談したいことがある。今からだと、どの位で来られるか?」
「待ち合わせは、いつもの喫茶店でしょうか? でしたらば……1時間後には到着できるかと」
「そうか。それでいい。因みに、用件は例の結川の件だ。もちろん、報酬も弾む……」
「いえ、いりませんわ。……私は地東會を完璧に潰せさえすれば、それ以上を望むつもりはありません。あいつを追い詰められるのなら、いくらでもご協力いたします」
英臣の言葉を、提案ごと遮って。電話の向こう側で、彼女が低く唸る。なるほど、なるほど。「彼女」は余程、地東會を目の敵にしていると見える。この調子であれば、英臣のオーダーもついでにこなしてくれるに違いない。
「であれば、私からは他に言う事もない。……では、後でな」
「承知しました」
堺の介入と、報告書の精度は飛んだ誤算だったが。それでも、まだまだリカバーの余地はあると、英臣は先程までの焦燥から一転、余裕の表情を取り戻す。
考えてみれば、この窮地は好機でもある。サッサと45口径を回収し、38口径にすり替えて仕舞えば、提出された報告書は「見当違いも甚だしい」と烙印を押す事もできるだろう。これを機に鼻持ちならない関大野郎の鼻をポキリと折ってやれば、自分に楯突くこともできなくなるに違いない。
(……フン。何が、伝説の鑑識官だ。調子に乗りおって)
呼ばれもしない現場にしゃしゃり出て来たことを、盛大に後悔させてやる。
ライバルを蹴落とす愉悦を想像し、醜く口元を歪める英臣。そうして、仄暗い微笑を貼り付けながら……早速出かけるかと、警視総監室を後にした。




