表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/94

気まぐれなクロユリ

「フワァァァ……」


 膝の上のクロユリが退屈そうに、欠伸をしている。最初は興味津々で、パソコンの前に陣取ったと言うのに。どうやら、画面の中で展開されている愛憎劇はクロユリの興味を惹きつけるには至らなかったらしい。


「眠いか? だったら、向こうにもど……」

「クアッ?」

「えっ?」

「……グルル……!」


 しかし、3人の有力候補以外にも新しい登場人物が追加されると……クロユリが突如、食い入るように画面を見つめ始めた。もしかして……。


(追加された中に、犯人がいるのか? いや……それはないか。何せ……)


 犬の視力は非常に低いとされ、人間基準で考えると0.3程度しかなく、視界は常にぼやけていると言う。その代わり、人間よりも遥かに鋭敏な聴覚・嗅覚で日常生活を補っており、視覚に頼る局面はあまりないらしい。そんな犬の目が近くにある実物ならいざ知らず、パソコン画面越しの容疑者を見分けられるはずがない。


(だとすると、残るは聴覚か……嗅覚か、だが)


 彼女の嗅覚が反応した……も、この状況ではなさそうだ。犬塚は()()()で、自宅からリモート会議に参加している。クロユリの近くには犬塚しかいないし、昨日と同じ家に籠城ともなれば、目新しい匂いもないはずだ。


(と、すると……彼女の声に反応したのか?)


 今一度、画面を見やれば。さっきまで東家グループの親類を紹介していた刑事から、東家グループの幹部や宗一郎の秘書などを紹介している刑事へと案内役が交代している。今しがたホワイトボードの前を行き来しているのは、黒いスーツをパリッと着こなした、犬塚と同じ捜査班の女性警官・深山(みやま)(あおい)だ。


「……グル? グルル……」

「クロユリ?」

「……(フス)」


 しかし、当のクロユリは最初は反応したものの、すぐに()()()()()()()様子。今度はさも興醒めだと言わんばかりに、キーボードの上に顎を乗せ始めた。


「あっ! クロユリ、その上は止めてくれ! キーが勝手に……!」

「……(キュフ)」


 慌てる犬塚をチロリと見上げては、クロユリはいつもとは違う弾んだ鼻息を漏らす。心なしか……彼女の目元が意地悪に緩んでいる気がする。


「……お前、もしかして……面白がってやってるのか?」


 さぁて、どうでしょう? 首を傾げる様は、まるで気まぐれな令嬢の如く。犬塚を振り回しては、楽しんでいるお嬢様は性悪さも可愛らしい。お利口なクロユリは犬塚の懇願も、()()()受け入れてくはくれるものの。今度はキーボードの上から犬塚の腕の上に顎を載せ替えて、さも安心したように目を細めている。


「いや、待て。これじゃぁ……俺はますます身動きが取れないじゃないか……」


 それでも、こうして身を預けてくれるクロユリはなかなかに憎めない。お嬢様が満足ならば、会議中は我慢するしかないかと……犬塚は再び苦笑いしつつ、画面に映し出される光景に集中するが。……やはり、クロユリが一瞬でも反応した対象が気になって仕方ない。

 すぐに唸るのを止めたとは言え、彼女は明らかに「女性の声」に警戒を示していた。きっと、その警戒が長く保たなかったのは、純粋に警戒対象と声が違うとすぐに判断したためだ。


(だとすると……犯人は女性という事だろうか?)


 しかしながら、クロユリの反応だけで犯人の性別を絞るのは早計か。事件の前からクロユリが女性の声が苦手だったのかも知れないし、そもそも犬は甲高い声は苦手な傾向がある。突然声のトーンが変わって、驚いただけの可能性もある。


(とにかく、今は新しい情報に集中しよう。……容疑者には親族以外にも、グループの役員や、ライバル企業の関係者も含まれる。……彼は相当に敵が多い男だったみたいだし)


 いくら宗一郎が有能だったとは言え、たった1人で大企業の歯車を動かすことは出来ない。純二郎や祥子のような問題児(金食い虫)だらけでは、ここまでの大企業を維持することは困難だ。宗一郎は頑固なワンマン経営者であったことでも有名ではあったが、少なくともお荷物(血縁者)以外の人選には相当の神経を砕いていたようだ。

 特に……犬塚がその中でも注目しているのは、宗一郎の秘書・上林(かんばやし)直美(なおみ)である。彼女は甲斐甲斐しく宗一郎のスケジュール管理や、細かい業務のフォローに取引のセッティング、果ては彼の趣味でもあったクラシック鑑賞のコンサートチケット予約までもを、手広くこなしていた。クロユリを預かる前に犬塚が直接聞き込みをした1人であり、東家グループの()()()()の中でも、彼女の優秀さは際立っている。


(宗一郎がヘッドハンティングで獲得した、お気に入りだったみたいだが……)


 それでも、宗一郎は上林を特別扱いすることはなかったようである。彼女の働きに見合う報酬と、彼女の能力に見合う待遇とを用意してはいたものの、それは()()()()()の役員に対しても同じこと。そこに関しては、上林も特段不満を抱いている様子もなかったように見える。むしろ、野心に塗れた役員達の中では宗一郎に対しての恨みは薄いようにさえ、感じられた。


(しかし、引っかかるんだよなぁ。東家グループに入社するまでの経歴は不明、ってところが)


 クロユリに宛てた遺言書の段取りを見ていても、宗一郎はかなり用心深い人物であることは間違いないだろう。そんな宗一郎が得体の知れない相手を、わざわざ秘書に取り立てるとも思えないが……。


(……上林に関しては、もう少し調べる必要がありそうだ。他の役員達も胡散臭いが、彼らには()()宗一郎を殺すまでの動機が見つからない)

【登場人物紹介】

・深山葵

犬塚と同じチームで捜査を担当する女性刑事。25歳、身長157センチ、体重52キロ。

ショートボブが愛らしい小柄な女性だが、柔道と合気道に精通し、何かと頼りになる存在である。

犬塚に想いを寄せており、周囲からも生暖かく見守られているが。

……彼女の気持ちに気付かないのは、恋愛には鈍感な犬塚だけだったりする。


・上林直美

東家グループ会長であった故・東家宗一郎の第一秘書で、東家グループ総務部・秘書課課長。

32歳、身長165センチ、体重49キロ。

容姿端麗、頭脳明晰。才色兼備を絵に描いたような人物。

社内外に多くの「ファン」がいる一方で、常々「仕事人間」で通っているせいか、「何を考えているのか、分からない」と評される事があるらしい。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ