クロユリの天敵は増殖する
「ふむ……これが、シートの隙間から出てきた……か」
犬塚が見つけてきた包帯止めを繁々と見つめながら、真田が唸る。何気なく落ちていただけなら、注視する必要もない、ただのゴムバンドである。しかし、それが最重要参考人であり、刑事被告人まっしぐらの要注意人物が乗っていた座席から見つかったともなれば、話は別だ。
「……これも鑑識に回すか。それでなくても、さっき……妙なことが分かったばかりだしな……」
「妙なこと?」
「あぁ。……仏さんの銃創、だがな。少しばかり、穴が大きいそうだ」
「大きい……ですか?」
「担当によると、どうも……サンハチのものじゃなさそうでな」
真田が口にした「サンハチ」とは「.38スペシャル」の事であろう。しかし、犬塚が支給されている拳銃を始め、日本警察に配備されている拳銃のモデルは全て「38口径」で統一されていたはず。なので、被害者から奪われた拳銃も当然ながら、38口径のモデルだろうと考えるのが、自然だろうに。
「多少大きいのは、誤差の範囲では? 結川が拳銃を奪ったのであれば、咄嗟に撃ち抜いたのでしょうし……」
「だが……そうではないのだよ、これが。仏さんの額だがね。確かに焦げ跡はあるが、パウダー痕がないそうでな。このことからしても、額に直に銃口が当てられていた可能性が高い。……直に頭を撃ち抜かれた場合、銃口サイズとほぼ同じサイズで穴が残る。このことからしても、サンハチじゃなさそうだ……というのが、奴さんの見立てらしい」
至近距離で頭を撃ち抜かれた場合、弾丸が通った穴と焦げ跡はしっかりと残る。しかし一方で、真田の言うパウダー痕はあまり残らないのが、特徴だ。
拳銃の銃口は発砲の際、瞬間的に約2000度の高熱を帯びる。これは発砲時に高温ガスが発生するからであるが、このガスによって対象が皮膚であれば「火傷」し、焦げ跡が残る。しかし、それほどの高温をもってしても、装薬の一部が未燃焼で残ってしまう。そうして、装薬の未燃焼カスが銃創周辺に飛散し、特徴的な斑点が残るのだ。パウダーの残り方や、傷の色は装薬の種類によるが……例えば、「.38スペシャル」で使われている「パウダー・フレーク」はとりわけ、粒が大きめの粗い痕が残りやすい。
そして、直撃ちだった場合は、未燃焼パウダーも直接弾道へと噴出されるので、傷口表面には着弾しない。そのことから、パウダー痕がない今回の銃創は銃口を密着させての被弾だと判断できる。
「そういう事ですか。そうなると……奪われた拳銃で撃たれたにしては、確かに不自然ですね。たまたま脳天一発……だと思っていましたが、そうではなかったという事でしょうか?」
「だろうな。きちんと狙わなければ、眉間ド真ん中に一発なんて芸当はできん。弾道の歪みもないことから、垂直かつ、皮膚に密着した状態で出来上がった銃創であることは、間違いなさそうだ」
そうして僅かだが銃創が大きいと、伝説の鑑識官が騒いでいるのだと……真田は頭を掻いているが。そんな真田の呆れた表情から、犬塚は今回はとんでもない大物が出張ってきたのだと、悟る。そもそも、銃創を見ただけでこれだけの違和感を並べ立てられるのは、相当のプロだ。そして……犬塚はそんなプロは思い当たる限り、1人しか知らない。
「まさか……あの堺部長が現場を担当されたのですか……?」
犬塚が驚くのも、無理はない。彼が言う堺部長……こと、堺暉は現在の鑑識課長。そして、本来は現場検証に出てくることはほとんどない。しかし……。
「その通りだよ。事を急ぐこともあり、奴に電話を入れたら、飛んできてくれてな。……縄張りも違うし、奴さんが出張ってくるのは、レアケース中のレアケースだが。ま、私と奴の仲だからな。喜んで手腕を奮ってくれたさ」
類稀な直感と豊富な経験、そして膨大な知識。それらを活かし、緻密で狂いのない鑑識結果を上げることで有名な彼は、「伝説の鑑識官」と呼ばれる程の大物であるが……真田とは同期の間柄でもある。そして……犬塚が鑑識課から刑事課へと異動する際に、真田とのパイプ役も買って出てくれた、かつての上司でもあった。
「別に喜んでなんぞ、おらんがな。テキトー吐かすなや、トーマ」
「おっ、言ってくれるね、アキラちゃん。常々、面白いことはないかって、絡んでくるクセに」
しかも、まさかまさかの展開である。得意げな真田の言葉を遮って、彼の背後からやってきたのは……伝説の鑑識官その人。真田とはやや辛辣なやりとりをしつつも、犬塚の顔と……彼の足元を認めては、堺が嬉しそうに破顔する。そうして、間髪入れずに犬塚の足元へと駆け寄った。
「おぉ〜! ワレがクロヒメちゃんか?」
「キャ、キャフ……!」
「こりゃまた、えらい別嬪さんやな。よーし、よし……ワシは怪しいモンやないで、そう怯えんなや〜」
「キュー……キューン⁉︎」
洒脱なストライプのスーツを着こなした堺は、経歴と外観だけ見れば、紛れもない切れ者の部類だが。……彼自身も、筋金入りの犬好きである。普段から犬を前にすると、テンションが上がる傾向があり……若干、変人の疑いがある。よそ行きの顔をしなくてもいいとなれば、関西弁になるのも、相変わらずのようだ。
「あ、あの、堺部長?」
「あぁ、分かっとるがな。本当は連れ帰りたいところやが……今日は抱っこだけにしといちゃる」
「いえ、そうではなく……」
「犬塚も、変わらないようで何よりやね。そげな心配そうな顔、するなや。首を突っ込んだからには、責任持って面倒見てやるさかい。とにかく……チャチャっと話を擦り合わせな、あかんな? トーマ」
「そうだな。……今回の事件も、色々と不自然な点が多すぎる」
「……そのようやな」
真田にそう応じつつ、神妙な面持ちでクロユリを下ろす堺。一方、クロユリはと言えば……。
「キュ、キュフーン……!」
おじさん第1号だけではなく、おじさん第2号にもいいように揉まれて、犬塚にガフガフと文句を垂れ始めた。
「……うん。文句は後で聞くよ、クロユリ」
「キャフ、キャフッ! ギャフ!」
天敵のおじさんが、2人に増えたとあらば。クロユリのご機嫌もまた、急降下の一途を辿っていた。
【登場人物紹介】
・堺暉
警視庁本部刑事部鑑識課課長、57歳。身長181センチ、体重79キロ。
犬塚のかつての上司であり、通称・「伝説の鑑識官」と呼ばれる凄腕の鑑識官。
階級は警部であり、真田とは同期の間柄。
普段は現場に出ることはほとんどないが、足を使う事を好む傾向があり、真田から情報を仕入れては、何かと首を突っ込みたがる癖がある。
なお、無類の犬好きでもあり、僅かに残った獣毛から犬種を探り当てるなど、常人には真似できない特技がある。