表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
55/97

昨日ぶりのクロユリ

 久しぶり……という訳ではなく。結局、昨日の今日でクロユリを膝の上に乗せるハメになり、犬塚は相変わらずの苦笑いしかできない。それでも、満足げに膝上でクフクフと鼻を鳴らしているお嬢様は非常に可愛い。丸顔をニコニコと緩めては、耳もパタンと伏せて。クロユリはヒコーキ耳で撫でられる準備も万端の様子。


「しかし、参ったなぁ……。俺は正式な飼い主になるつもり、ないんだが……」


 そんなクロユリを撫でながら……ボヤく犬塚がお邪魔しているのは、上林宅である。抜かりなくお茶を差し出しながら、上林も嬉しそうにクスクスと笑っているのを見るに、やはりかつての秘書にはクロユリの飼い主の座(会長の遺産)を狙うつもりもないらしい。本題に入る前に、いかにクロユリが寂しそうにしていたかを言い募られては、やっぱり連れて帰るしかないか……と、犬塚は仕方なしに腹を決めた。


「ユリちゃん、昨日はご飯も全く食べてくれなくて……。元気もないし、散歩にも行きたがらないしで、あのままでしたら衰弱死してしまうところでした」

「そんな、大袈裟な……腹が減れば、餌くらいは食べるでしょうに。って、あぁ。……クロユリなら有り得るかもなぁ。異常なまでに頑固だし……」


 それでなくとも、クロユリには宗一郎氏の亡骸に寄り添い、4日以上を飲まず食わずで通した()()がある。飼い主に会えないともなれば、食事を我慢して餓死することも平気でやってのけるかも知れない。


「ところで……」

「ただいま〜。直美さん、買ってきましたよ」


 一頻り撫でられて、ようやく空腹を思い出したのだろう。膝から降りたクロユリが、満足げに餌入れにトコトコと向かったのを見届け、犬塚が本題……純二郎の付き纏いについて詳細を聞こうとした、その時。今度は玄関から元気な女の子の声が響いてくる。


「お帰り。ありがとう、彩華ちゃん」

「食材は冷蔵庫に……って、あっ! 犬塚さん、来てたんですね!」

「うん、お邪魔しています。彩華ちゃんも元気そうで、何よりだ」


 昨日に会った時よりも、確実に顔色も良くなった彩華の表情にも安心していると、彼女は手慣れた様子でキッチン奥にある冷蔵庫へと買ってきた食材を入れ始めた。そんな彩華を見つめながら……彼女に買い物をお願いしているのは他でもない、純二郎を警戒してのことなのだと、上林がため息混じりで続ける。


「最初は電話での脅迫だけで済んでいたのですけど、ここ数日は身の危険を感じる雰囲気もあって……」

「と、言うと?」

「買い物に出た時に腕を掴まれ、車に引き摺り込まれそうになりました。一緒にいた彩華ちゃんが大声を出してくれたおかげで、難を逃れましたが……彩華ちゃんがいなかったら、今頃はどうなっていたことやら……」

「そんな事になっていたのでしたら、どうしてもっと早くご相談下さらなかったのです」

「……ご迷惑かと思いまして……。それでなくとも、犬塚さん達はお忙しいでしょうし……」

「迷惑だなんて、思いませんよ。むしろ、俺としてはご相談いただけなかった事が、悔しいです」

「えっ?」

「だって、そうでしょう? 事なきを得たとは言え、今のお話は明らかに危険な状況です。それなのに、ご相談もいただけないのでは、警察官として不甲斐ないではありませんか。……何かがあってからでは、遅いんです。どんな些細なことでも、気軽にご相談いただいて構いませんし、相談相手が同性がいい場合は女性警官に担当してもらう事もできますよ」


 犬塚が安心させるように、ニコリと微笑むと……上林は小さく「ありがとうございます」と呟いて、ようやく安堵の息を吐く。そんな様子に……何故か、彩華がしたり顔でニヤニヤしているが。犬塚には、彼女の含み笑いの意味までは理解できなかった。

 

「それにしても、純二郎氏は何を考えているのでしょうか? 上林さんを犯人と決めつけている事もそうですが……四六時中上林さんに付き纏う暇があったら、少しは仕事に精を出せばいいでしょうに」

「昔から、楽なことがお好きな方でしたから。それに……おそらく、純二郎様は焦っていらっしゃるのでしょう。このまま大神咲さんが会長に就任すれば、東家グループから追い出されてしまいます。ですので……私を引っ張り出せば、東家グループの会長に返り咲けると、考えているのかも知れません」

 

 上林の深いため息を見つめつつ、犬塚もつられてため息をついてしまう。それでも……それも一理あるかも知れないと、思わせる実力があるのだから、上林は色々な意味で東家グループに不可欠な人材でもあったのだろう。

 大神咲が真田に語ったところによると、彼もまた上林には戻ってきて欲しいと切望していたと溢している。実際、上林が抜けた穴を現在の東家グループは未だに埋められていないようで、次から次に降りかかる不祥事の波に揉まれ続けており……会長の殺害事件から、幹部達は息つく間もなく対応に追われっぱなしだ。


 三佳の脱退に伴いリゾート事業は頭打ちの状態であるし、何より、三佳の亭主が指定暴力団の構成員だと判明した今となっては、彼女の立場も非常に悪いと考えるべきだろう。企業のトップに据えるにも、三佳はマイナスイメージが強すぎて、会長はおろか、役員としての起用も難しい。

 その上、赤字を生み出し続けてきたエステティック・ショーコは薬機法違反と薬物取締法違反で、社長と店長の逮捕劇が飛び出したばかり。祥子に関しては、彼女自身が重度の麻薬中毒である可能性が出てきており、社会的にも再起不能な状況である。

 最後に、純二郎は表沙汰にはなってはいないとは言え……強制性交等罪の成立も視野に入るだろうし、現在進行形で上林に迷惑行為を繰り返している。こうも問題ばかりを起こし続けていては、遅かれ早かれ逮捕される可能性が高い。

 こうも問題だらけの親族ばかりが残されては、いくら日本経済を牽引してきた大企業とは言え、存続も危うい。会長と秘書がいなくなっただけで、ここまでの不幸に見舞われるともなれば……もはや、一種の呪いに近いのではなかろうか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ