クロユリ以上に、真っ黒な腹の内(2)
「しかし、今度はそいつから話が漏れてしまうのでは……?」
自分の手柄も大切だが、手柄を保証してくれる身内は、もっと大事だ。
いくら自身が作成していないとは言え……パスポート偽造を指示したのであれば、所詮は同罪。これでは、大切な叔父上が捕まってしまう(+何よりも自分の立場も危うい)と、梓はいかにも心配そうな声を上げるが。
「それも心配ない。奴が麻薬の横流しを幇助していたのは、エステティック・ショーコ……延いては地東會だけではなくてな。地東會に並ぶ、大物とも取引をしていたらしい」
「まさか……」
「そのまさか、だ。奴はあろうことか、松陽組と地東會との両方に、商売を吹っかけていたようでな。縄張りを何よりも気にする奴らにとって、両方にいい顔をしていた卑怯なコウモリ程、気に食わん奴もおらんだろう」
松陽組は地東會と同じく、関東圏をシマとしている指定暴力団だ。しかしながら、地東會のようにこっそりと地道な悪さをするタイプの団体ではなく、派手な悪さをするタイプの軍団である。面子を保つことに拘るあまり、暴力沙汰と刃傷沙汰も日常茶飯事。一般人と揉めることも、珍しくない。
そのため……警察の監視は地東會のそれよりも遥かに厳しく、警戒体制には相当人員を投入している。しかし、地東會とは異なり古臭い体質も残っているようで、松陽組は警察との義理事がまだまだ通用する相手でもある。
「相手が松陽組ともなれば、それなりにコンタクトも取り易い。コウモリが野に放たれたと情報を流してやれば、後は勝手に処分してくれるだろう」
警察ともそれなりに仲良しを演じられる器用さを持ち合わせる反面、松陽組は兎角、喧嘩っ早い。しかも組長を始め、幹部クラスも揃ってプライドが高いと来ている。それが故に……自分達を虚仮にした相手を、彼らが放っておくはずがないと、英臣は踏んでいる。
「因みに、奴は証拠不十分で不起訴処分にしてある。まぁ……言ってみれば、偽造の見返りに自由にしてやっただけだが。今の松陽組を敵に回したコウモリが……果たして、夜を気ままに飛ぶことができるかな?」
「そんな大袈裟な……。いくら目をつけられたからって、すぐさま見つかる訳じゃないでしょうに」
「いや? それこそ、一瞬だろうな。……ヤクザの情報網を甘く見ない方がいい」
地東會は「新宿・歌舞伎町一斉検挙」での逮捕劇で主力を削がれている以上、既に脅威の対象ではないが。松陽組は未だ健在……いや、この場合はライバルが潰れたことで、勢いを増しているとするべきか。言うなれば、関東圏の裏社会を隅々まで網羅している彼らを敵に回した日には、安寧は保証されない毎日が待っている。
「とにかく、今は裏切り者のことはどうでもいい。……結川をお前が捕まえることが肝要だ。なに……難しいことはないさ。最終地点の情報がある上に、奴には発信機付きの拳銃を持たせてある。捕捉も容易い」
「ちょ、ちょっと待ってください。発信機はともかく……逃亡犯に、拳銃を持たせるだなんて……!」
「あぁ、そこは心配せんでもいいぞ。弾は装填されているように見えるが、実際に使えるのは一発だけだ。しかも、持たせたのはM1917……弾薬が.45ACPのタイプ。日本では調達が難しいだろうから、実質は1回で使えなくなるだろうな」
「は、はぁ……」
梓は今ひとつピンときていないようだが……重要なのは、結川が使えると信じている拳銃は、おそらく今はもうおもちゃ同然だと言う点であって、彼女の知識不足はこの際、諦めるに限る。
英臣が口にした「.45ACP」と言うのは弾薬の種類ではあるが、現在の日本警察が使用している拳銃はほとんどが「.38スペシャル」で38口径用の弾薬を使っている。「S&W M1917」が日本警察に配備されたのはほんの一時、戦後に警察装備の配備をするにあたって拳銃不足を補う必要があった時期だけだ。基本的に3種類の38口径リボルバーが配備されている日本警察において、45口径用の弾薬を常備しておく理由がない。
「でも……一発は使えるのですよね? それは十分な脅威に思えますが……」
「安心しろ。最初の一発分はちゃんと、生贄も用意してある。……護送車の運転には、やや性格的に難がある奴を選んでおいた。結川を逃がせとだけ、指示は出してあるが……今までの勤務態度からしても、結川を勝手に煽って、勝手に殺されている事だろう」
護送車の運転手に選ばれたのは、容疑者に対する尋問態度に難があり、素行も不良と判断された警察官だった。自分に自信がない者が故の、反動なのだろう。彼は自分よりも立場の弱い相手には尊大に振る舞う傾向が認められており、度重なる注意にも関わらず、態度を改めることはなかった。そして……降格も既に決まっており、相当に鬱屈した状況で任務に当たっていたと聞く。
そんな彼にとって……少し前まではエリートだった結川は、溜飲を下げる相手として申し分ない存在であったろう。指示はなくとも、プライドの高い結川の神経をたっぷりと逆撫でしてくれているに違いない。
「……もしかして、結川に拳銃を使えると錯覚させるために……?」
「ほぅ。梓も気づいたか。その通りだよ。たった一発の実弾と、1人の生贄を用意することで、奴は手元にある拳銃はまだ使えると勘違いするだろう。……逃亡しようとなった時、武器はとりあえずの安心材料になる。奴はきっと……何が何でも、発信機を手放さず、大事に持っていてくれることだろうさ」
そこまで吐き出して、クツクツと肩を揺らす英臣。そんな叔父の様子に梓は改めて、彼だけは敵に回してはいけないと肝に銘じる。そして……こうも思うのだ。彼の機嫌さえ損なわなければ、自分は安泰だ、と。
「真田のチームが宗一郎氏の事件を追っている、今がチャンスだ。情報の利はこちらにあるが、結川自身の性格を考えると、勝手に向こう側のチームに接触を図る可能性がある。そうなる前に、奴を逮捕しろ。それと……発信機のデータは共有するが、くれぐれも他の奴には気取られるなよ」
「分かりましたわ、警視総監。……必ずや、私の手で結川を捕まえてみせます……!」
「あぁ、頼んだぞ」
そこまで互いに確認し合い、今度は揃って悪い笑顔を浮かべる2人。犠牲になった警察官には一片たりとも哀悼の意を表することもなく、平然と悪巧みができるのだから、警察官が聞いて呆れるが。梓がつまらない悪党ならば、英臣は本物の悪党である。彼らにとって何より大切なのは警察の正義ではなく、自身の保身。
ここまでくると、真面目に働いている警察官達がいっそのこと、哀れだ。