クロユリのご主人様と、エステの終焉
物々しい護送車に結川を乗せたところで、ハァと大きな息を吐く犬塚。予想外の大捕物になってしまったが、最後の最後まで自分を睨みつけていた結川の形相に、並々ならぬ恨みを感じては……嫌な予感を募らせる。
(……何だか、拍子抜けしてしまった……)
いくら藤井と結川が知り合いだったとは言え、こんなにも人出が多い場所を潜伏先に選ぶだろうか? 結川の確保を成功させたのだから、素直に喜ぶべきなのだろうが……やはり、何かが妙に引っかかる。
「お疲れ、犬塚。しかし……お手柄なんだから、もうちょっと嬉しそうな顔をしてもいいだろうに」
「え、えぇ……真田部長もお疲れ様でした。もちろん、結川の確保は喜ぶべきでしょう。しかし……まだ何かを見落としている気がするんですよ。なんか、こう……違和感があると言うか」
「違和感……か。ふむ。……実を言うと、私も少しモヤモヤするものを感じる」
やはり、真田も感じていたか。途中から何もかもが、あまりにトントン拍子で進みすぎていることに。
そもそも、真田と犬塚がエステティック・ショーコを訪れたのは、結川の足取りを掴むためであり、彼が警察と交渉するならばどう動くか……を予想した結果でもあった。しかし、足取りを掴むどころか、結川そのものを探り当ててしまったので、勢いで逮捕に至ったが。一連の逮捕劇があまりにうまく行きすぎて、犬塚としては気持ちが悪い。
(大体……どうして、結川はあんな場所に大人しく隠れていたんだ? 俺達がオフィスに入ったタイミングで裏口から逃げれば、よかっただろうに……)
あの施術室がどんな目的で、どうしてあの場所にあったのかは、まだ判明していないが。結川の手に巻かれていた包帯に血が滲んでいたのを見ても、本格的な医療設備ではないことは明らかだろう。それに、エステティック・ショーコは美容外科ではなく、一般的なエステサロンだ。開業に医師免許は必要ないが、医療行為を行う事はできない。そのため、整形などの手術も不可となる。
もし、結川が逃亡のために顔を変える事を検討していた場合。潜り込む先を見誤ったと言えるだろうし、施術箇所が顔ではなく左手首だった時点で、当てが外れたという事なのだろうが……。
(だが、結川と藤井は旧知の仲だったように思える。……麻薬の取引も数ヶ月単位で実施されているし、エステティック・ショーコでは整形ができないことくらいは、把握していそうなものだが……)
更に、気になることと言えば。真田が応援を要請する前に、既に護送車を含む警察官の一団が素早く配備されていた事もしっくり来ない。
(……この辺りは、警視総監の手腕と考えるべきか……?)
USBメモリの中身について報告が上がっている時点で、彼も真田チームが結川の足取りを追うついでに、宗一郎が残した調査結果の事実確認に動いている事は把握しているはずだ。そして、癒着相手が判明している以上、犬塚達の行き先も予想しての采配だったとすれば。その先回りは、お見事と言うより他にないが。
(しかし、やはり……鮮やか過ぎる……。まるで、何もかもを見透かしていたみたいに……)
結川を乗せた、疑惑の護送車が発車した後。今度は手元を隠された藤井が項垂れた様子で、別のパトカーに押し込まれる。結川は真っ直ぐに拘置所へ送られるようだが、藤井は事情聴取から始める流れになるのだろう。そんな事を考えながら……犬塚は今一度、エステティック・ショーコが入っていたビルを見上げる。
このまま行けば、エステティック・ショーコは間違いなく廃業まっしぐら。藤井の弁では大切なお客様には、THCは盛っていないとの話だったが。サロンの居室内に堂々と証拠が積み上げられていた以上、彼女の言葉を鵜呑みにする訳にはいかない。いずれにしても、従業員や顧客達には薬物検査を受けてもらうことになるだろう。従業員と顧客の総人数は把握できていないが……これだけの一等地に店を構えられるのだから、数百人程度の会員数ではないはずだ。
(その全員に検査を受けてもらうとなると、いくらかかるのやら……。いや、問題はそれだけじゃないか)
無事に陰性と診断されたとしても、彼女達への金銭的な被害も計り知れない。まず、従業員達は職を失うだけではなく、給与の支払いに遅れが発生する可能性がある。何せ、現段階でオーナーと店長の両者が起訴確定の見込みなのだ。継続的な運営はほぼほぼ無理であろうし、少しばかり黒字回復しつつあったとは言え、従業員の給与を十分に捻出できるかどうかは疑わしい。
しかしながら、もっと悲惨なのは契約していた会員の方だ。一概には言えないが、エステサロンの多くは契約と同時に、多額のローンを組ませることが常套手段になっている。特に美容脱毛などの長期的なプランの場合、先払いで支払いが完了しているか、クレジットカードの利用等によって、支払い義務の方がサービスを受ける前に成立している事が殆どだ。そして、非常に残念なことに……支払いが済んでしまった分は、返金されない可能性が非常に高い。設備などが全額換価されたとしても、支払いが優先されるのは債権者と従業員からとなる。故に……顧客側に返金がされる見込みは、ほぼないだろう。
(違和感があるのもそうだが……これでは、後味も悪い。……この先、何事も起こらなければいいのだが)
こればかりは、犬塚が責任を感じることではないが。彼女達の損失を考えると、妙にやるせない。




