クロユリは生きている
一通りの買い物も済ませ、無事にお嬢様と居城へ帰還せしめるものの。しかしながら、クロユリは一緒に会議に参加すると言わんばかりに、犬塚の膝を占領していた。そんな随分と大胆な彼女の様子に……リモート会議に参加しながら、犬塚は苦笑いをしてしまう。
(だけど、クロユリだって気になるよな……。もしかしたら、知っている顔があるかもしれないんだから)
パソコンの画面に映るのは、スクリーンに広げられた被疑者達の写真と、相関図。線と線が絡み合い、互いの繋がりを示しているが……頼りなさげな糸の絡み具合を見つめてみても、浮かんでくるのは妙に薄情で生々しい人間関係。面子を見る限り、むせそうな程に濃厚な曲者揃いに思える。
「まずは被害者・宗一郎には弟と妹がそれぞれ、1名ずつおりまして。弟の純二郎はかつてミュージシャンを目指していたものの、夢破れた後……お情けで東家グループの役員に据えられていたようです……」
そうして、淡々と担当の刑事が登場人物を紹介していくが。スクリーン上で網羅されていくのは、揃いも揃って、叩けば叩くだけ埃が舞い上がりそうな相手ばかり。ここまで容疑者しかいない親戚も、いっそ珍しい。
容疑者・1人目……東家純二郎、50歳。宗一郎の実弟であり、普通であれば次期会長候補と目される男ではあるが。如何せんビジネスの才に乏しく、「夢見がちな、大きい子供」と揶揄されている。東家グループにしてみればお荷物もいいところの存在であり、無論、宗一郎は彼に期待の一片も寄せていなかった。
しかも悪いことに、純二郎は仕事は全くできないが、自己顕示欲は旺盛だったとかで……宗一郎に常々付き纏っては、グループ事業の経営権を1部門でもいいから譲って欲しいと駄々をこねていたそうだ。……もちろん、冷徹な宗一郎がまともに取り合わなかったのは、言うまでもない。
容疑者・2人目……周藤三佳、48歳。宗一郎の実妹で、東家グループのホテル・リゾート事業を任されていた実績の持ち主である。在任中は宗一郎もそれなりに頼りにしていた相手ではあったが、反面、男性関係にだらしなく……結婚3回・離婚2回を経験しており、浮気相手として慰謝料を払う側に回ったことも、数知れず。ホテルに勤めていたコック・周藤修哉と3回目の結婚をしたのを機に、5年前から東家グループの役員からは退いていた。
だが、あいにくと夫の修哉には自前の店をきちんと切り盛りできるだけの、センスも技術もなかった。彼はコックにはなれても、シェフにはなれない器だったらしい。故に、三佳が結婚の条件にぶら下げていた「彼の店」の評判は芳しくなく、レストランの経営は上手くいっていない。そのため……修哉の店を維持するための資金援助を、生前の宗一郎にしつこく迫っていたそうだ。
容疑者・3人目……東家祥子、52歳。宗一郎の父方の妹の娘……つまり従姉妹にあたる人物で、東家グループ傘下にて「エステティック・ショーコ」を経営している。しかし、エステティック・ショーコは開業してから3年間、業績が黒字になったことは一度もなく、完璧にお荷物の事業部門である。そのため、宗一郎は事業売却と同時に、祥子を社長から引き摺り下ろす手筈を着々と整えていたとされている。
なお、余談だが。顔写真を見る限り、キツ目の化粧といい、妙に古めかしいヘアスタイルといい。……彼女のエステサロンが廃れるのは当然かも知れないと、犬塚は失礼にも思っていた。
(まず、この3人が東家グループに直接関わっていた親類……か)
宗一郎の遺産は純二郎、三佳が相続の優先順位が高く、件の遺言書さえなければ、彼らの懐にはかなりの金額が入っていただろう。宗一郎に相続順位が第1順位の妻・子供、第2順位の親が共にないため、第3順位の兄弟姉妹が本来であれば最有力候補になるからだ。
一方で、祥子は「従姉妹」になるので、遺産相続は発生しない。だから、直接的な遺産相続の戦場には出てこないだろうが、東家グループの覇権争いには参加してくる可能性が高いだろう。3人の中で(業績如何は別として)は現役で事業に参画している人物であり、担当している事業が赤字まみれでも役員であることに変わりはない。
とは言え……いるだけで何もしない給与泥棒の純二郎と、赤字を生み出し続ける祥子のどちらが会長になっても、東家グループの未来は明るくはないが。
(これは……トップ争いでも、一悶着ありそうだな……)
犬塚は3人の写真を改めてまじまじと見比べながら、ふぅむと唸ってしまう。
宗一郎が亡くなって残ったのは、何も莫大な遺産だけではないのだ。……東家グループ会長の椅子。宗一郎の手腕があってこそ、業績を維持できていた側面はあるが。グループ全体の純利益が1000億円を超えてくる時点で、会長の座に着くという事はそのまま、日本屈指の大企業のトップに君臨するに等しい。
能無しだが自己顕示欲が強い、純二郎。配偶者の経営難で、とにかく金が必要な三佳。遺産相続がないため、何がなんでも東家グループに居座らなければならない、祥子。三者三様に金と地位が必要とあっては、動機も十分。しかも、いずれも宗一郎が冷遇していた相手でもあるので、怨恨のセンでも条件は満たしている。……この3人に関しては、誰が犯人でもおかしくない状況だ。
(しかし……待てよ? なら、どうして……犯人はクロユリをわざわざ閉じ込めたりしたんだ?)
膝上を占拠して、満足そうにお座りしているクロユリの頭を撫でながら。犬塚は妙に何かが引っかかる違和感を感じていた。
祥子はともかくとして、純二郎と三佳にしてみればクロユリ程、邪魔な相手はいないだろう。何せ、彼女がいなければ「公正証書遺言」がいくら幅を利かせたとて、遺言書としては無効扱いになる。相続人も死んでいる場合は通常通りの遺産分配が発生するため、クロユリが死んでいた方が純二郎と三佳にとっては好都合だ。故に、もし純二郎か三佳が犯人だった場合は、クロユリも一緒に殺していた可能性が高い。もちろん、彼らが宗一郎の「非常識な遺言書」の存在を知らなかったとするのも、不自然ではないが。しかし、何れにしてもクロユリを生かす必要はないだろう。
(それでも、クロユリは生きている……。となると、純二郎と三佳はシロか……?)
……柴犬は基本的に、番犬向きの犬種とされている。個体差ももちろんあるだろうが、賢明で忠実なクロユリのこと。きっと、宗一郎が襲われたとなったら果敢に立ち向かってただろうし、現に……彼女は大人しく閉じ込められるのを良しとせず、前脚を犠牲にしてまで脱出を図っている。それなのに、犯人はわざわざ彼女を閉じ込めると言う、不可解な行動に出た。クロユリは犯行を達成する意味でも、遺産相続の意味でも、生きているだけで都合が悪かっただろうに。