クロユリのご主人様達は、裏口にたどり着く
藤井が語るところからするに、祥子は犬塚達の想像以上に野心家であったようだ。だが、残念なことに……祥子には自身の野心を埋めるだけの、商才も才能もなかった。しかも、本人は美を追求する姿勢を見せこそすれ、美的センスもややズレている。犬塚のような素人にさえ、「これはないな」と思わせるのだから……彼女の浮世加減は相当だろう。
「……もちろん、私もオーナーに薬物を勧めたわけではありません。あくまで、副次的な商材としてツテを紹介しただけでした。しかしながら、オーナーはいつしか、薬物に精神的な安らぎを求め、自らも利用するようになっていました」
訥々と、口調にためらいを残しながら、藤井が話を続ける。
「薬機法違反のお話があった時点で、取引されている薬物の種類もご存知なのだと思いますが……」
「えぇ、一応は。私には薬物の種類はサッパリですが……祥子氏の協力者がこちら側にもおりましてね。お目溢しの内容まで、掴んでおります」
真田の隙のない返答に、苦笑いをこぼす藤井。一方で犬塚は真田の発言に、やはり身内は締め上げた後だったかと、こちらはこちらで苦笑いしてしまう。
「確か……CBDオイルと一緒にTHCも仕入れていた、でしたか? 私には、どちらがどちらか、分かっておりませんけれども」
「CBDは合法ですが、THCは日本では麻薬とみなされるため、違法薬物となります。CBDはアンチエイジングの有効成分として研究も盛んでして、美容界では非常に注目されている成分なのですよ。ですが……美容意識以上に、精神的にも不安定だったこともあるのでしょう。オーナーは気分が良くなるからと、CBDだけではなく、THCも利用するようになりました」
藤井によれば、CBD(正式名称:カンナビジオール)もTHC(正式名称;テトラヒドロカンナビノール)も、原料は大麻草ではある。しかしながら、CBDには精神異常を引き起こす成分は含まれておらず、日本でも合法と認められている。一方、THCは大麻特有の「ハイになる効果」がしっかりとあるため、こちらは違法薬物として取り締まりの対象となっているのだ。
(THC……か。なるほど。結川はまだ、暴力団の構成員として健在だったわけか……)
犬塚にとっても、CBDは耳慣れない単語だが。THCはとある時期には耳しない日はないと言うくらいに、聞き覚えしかない薬物名だった。そう……「新宿・歌舞伎町一斉検挙」の引き金となった薬物はまさに「THC」。地東會が主力として扱っていた商材である。
「薬物の仕入れ先は結川とのことでしたが、あなたは結川がどんな相手か知っていて、取引していたのでしょうか?」
「……」
ここで黙るとなると……彼女も知っていたのだろう。警察としての仮初の結川ではなく、暴力団員としての本性の有川を。いや……先程からの彼を庇うような言動を見るに、ただの取引相手でもなさそうに思える。
「まぁ、それ以上の詮索はやめておきましょうか。いずれにしても、東家祥子氏とあなたは違法薬物所持、及び使用の罪で逮捕となるかと。真田部長、ここは後ほど捜索に入る……でよろしいでしょうか?」
「うむ、そうだな。我々2人だけでは、人手も足りんし……現行犯で藤井さんを連行することはできるだろうが、騒ぎを起こすのが目的でもないしな。逮捕は正式に書状を取ってからでも良いだろう。このご様子だと、逃げるつもりもなさそうですし」
「はい。私の役目はもう、あまり残っていませんから。ここまでできれば、十分でしょう」
「……?」
意味ありげなことを言いつつも、無駄な抵抗をするつもりはないと……藤井が裏口へ案内しますわ、と席を立つ。しかしながら、犬塚は藤井の言葉尻に違和感を覚えたまま、疑念の色を深めていった。
「……こうも整頓されていると、却って分からないもんなんですかねぇ……」
「そうかも知れませんわね」
藤井の後に続く形で辿り着いた裏口に、確かにそれは積まれていた。だが、きちんと積まれた段ボール箱には怪しい雰囲気は微塵もなく、もちろんながら、裏口を塞ぐような置き方もされていない。本当に自然に、何食わぬ顔で……それはそこに、当然のように置かれていた。
「どれ……あぁ、これじゃぁ、開けても分かりませんな。……一見すると、普通の化粧品にしか見えませんし」
「いえ、そちらの箱は普通のCBDオイルです。従業員達には、手前の古い方から使うように指示を出していまして。消費量をきちんと確認しながら、THCの箱には彼女達が触れないように調整していました」
藤井の饒舌っぷりに、やはり違和感を覚える犬塚。
彼女の弁明からするに、従業員達に「手前の箱=優先で使うべき化粧品」と刷り込むことで、カモフラージュをしていたと言うことらしい。大胆不敵と言われればそれまでだが、こうも自然に置かれていれば、仕事に忙殺されている従業員達は疑問にも思わなかったのだろう。犬塚達のように最初から疑ってかからなければ、無造作に積まれた段ボール箱など、注視すらしないに違いない。
(多田見さんの様子からしても、従業員達の間にはそれらしい噂も立っていなかったんだろうな……)
接した相手が1人だけとは言え。彼女の朗らかな様子からしても、自身が働いているエステが悪事に手を染めているなんて、知らなかったとする方が自然か。
警察がやってきた理由も、「オーナーのご親戚絡み」だとしか思っていなかったろうし、(言い逃れとは言え)藤井も「オーナーの親戚が亡くなったのだから、不自然には思わない」と言っていた通り、表向きはそちらの捜査でやってきたと考えるのが、妥当な判断だ。
(しかし……何かが、引っかかる……)
熱心に箱を調べ続ける真田の背後で、何かを忘れている気がすると、犬塚は首を捻っていた。そうして、当初の目的を思い出しながら、改めて足元を見つめては。藤井の目論見にまんまとハマっていることにも、気づく。
(そうか……そういう事、か……!)
おそらく、彼女が言っていた「役目」とは……。
「ところで、藤井さん。……結川は今、どちらに?」
「えっ? しっ、知りませんわ……」
「そうですか。では……質問を変えましょう。結川はどこから出て行きましたか?」
「……!」
犬塚の質問に、サッと顔を青くする藤井。そんな彼女に、少しばかり意地悪かなと思いながら……犬塚は、更に追及する。
「この特殊素材の床に我々のものではない、男の足跡が残っていました。場所は先程のオフィス付近の廊下、そして、オフィス内。状態からしても、新しいものだったのではないかと思います。そしてあなたも先程、結川がここに来たことも認めておいででした」
「え、えぇ……」
「では……結川は、どこから出て行ったのでしょうね? 俺もてっきり、とっくに結川は裏口から出て行ったのだろうと思っていたのです。ですが……ないんですよ、帰り側の足跡が。裏口からの足跡は残っていたのに、裏口へ向かう足跡は残っていない。その事から察するに……結川はまだ、このビルにいますね? 結川は今、どちらに……」
いるのですか?
しかし、犬塚がそう言い切る前に……藤井が犬塚を押し飛ばし、オフィスへと逆戻りし始めた。咄嗟に受けた衝撃に、少しばかりよろけつつ……犬塚が藤井の背中を目で追えば。彼女はなりふり構わず、誰かに向かって「逃げて!」と叫んでいる。
「犬塚、追うぞ!」
「はい!」
藤井の豹変ぶりに犬塚はやっぱりと思うと同時に、やれやれと首を振る。
彼女の役目は祥子を庇うことでも、薬物を預かることでもない。結川を隠し通し、彼を安全に逃すこと。そして……彼の逃走時間を稼ぐことだった。