クロユリのご主人様達は、心得ている
押してもダメなら、引いてみろ。昔から駆け引きとはそういうものだと、よく言ったもので。
お口に潤滑油を差された藤井は、関係のないことであれば饒舌にもなれるらしい。しかしながら、差し向けられた話題が尋問とは無関係だと思っているのは……残念ながら、藤井だけだ。
「そうそう……先程、多田見さんがこんな事をおっしゃっていまして。このお店に男性客が来るのは、私達が初めてなんですって?」
真田の直球への返答はまだ、引き出せそうにない。であれば、言い逃れできない状況を作ってやればいいだけ。彼女に倣うように、コーヒーを啜りつつ……犬塚は別方向からのアプローチを試みる。
(ここで待ったがかからないとなると……うん。真田部長も、気づいたみたいだな。……女性しか来ていないと嘘の言質を取るのが、手っ取り早いと)
多田見に「男性が来る事はあるのか?」と犬塚が質問をぶつけた時点で、真田もとっくに知っていたのだろう。犬塚が男性……おそらく、結川がここに来たかどうかを気にしていることに。そして、このまま犬塚にしゃべらせていた方が最終目標を探り出せると踏んだからこそ、彼はダンマリを決め込んでいるのだ。
(だからこそ、真田部長は優秀な管理職たり得るんだろうな。これが、もし園原課長だったらば……)
私に任せろと、犬塚に無駄話をさせるなんて度量は持ち得ていないだろう。部下の折角の機転も、自身の無駄話で木っ端微塵に吹き飛ばしているに違いない。
「えぇ、そうですね。まぁ、清掃業者は流石に女性だけではありませんが……営業時間内で男性が入る事はないかも知れませんね」
「左様でしたか。徹底されているんですね」
「もちろんですわ。エステティックというのは、そういうものなのです。店の扉を潜った先は、サービス提供の場であると同時に、お客様のプライベートルームでもあるのです。女性専用を掲げている以上、妥協は許されません」
妥協は許されない……か。随分と、高尚なことを言ってくれる。
「でしたらば……私達の訪問は、さぞご迷惑だったでしょう」
「いえ、大丈夫ですわ。あらかじめ、ご連絡は頂いていましたし」
「そう言って頂けると、助かります。しかし……であれば、裏口から入るようにお伝えいただければよかったのに。そうすれば女性専用の空間に、私達を入れずとも済んだでしょう?」
「それもそうですわね。私とした事が、気付きませんでしたわ」
取り繕うでもなく、自然な表情であっけらかんと藤井は答えるが。その軽やかな返答に、犬塚はやはりこの店長は食えない奴だと、警戒を強める。秘密を守るためなら、「間抜け」を演じられる器用さを持つ時点で、少なくとも藤井はそこまで間抜けな相手ではないだろう。
(この様子だと、俺達を裏口に通したくない理由があるのだろうか?)
仕方ない。ここはもう少し……踏み込んでみるか。
「ですので、帰りはそちらから戻りますよ。先程の廊下を見ていても、受付からは一本道のようでしたし、他に出口もなさそうだ。いかつい刑事が居座って、お客様たちを無駄に怯えさせる必要もないでしょう?」
「いいえ、ご心配には及びませんわ。何せ、オーナーのご親戚があのような形で亡くなったのですもの。警察官がこちらに来る事くらい、皆様も不自然には思わないでしょう」
「そういうものですか?」
「少なくとも、私はそのように考えますね。それに、裏口から降りたのでは、駐車スペースから離れた場所に出てしまうものですから。受付からお帰りの方がスムーズですよ」
「……」
藤井がにこやかに、自然な配慮を見せるが。しかしながら、ここまで拒否されるとなると、裏口には何かあると犬塚は考える。おそらくだが、裏口……ないし、裏口に続く途中に、彼女にとって都合がよろしくないものを隠しているのだろう。
「いやぁ、そうは言っても、ですね。折角ですから、我々は裏口から帰らせていただきますよ。受付から帰ったのでは、やはり皆様の目につくでしょうし……それに見たところ、表口には喫煙スペースがなさそうですし。裏口であれば、スパッと一服できそうだ」
「えっ……? おタバコ……ですか?」
「面目ない。これで、ヘビースモーカーでして」
犬塚がアプローチを考えている横で、戯けた調子で真田が指を2本立て、スパスパとタバコを吸うジェスチャーをして見せる。真田も犬塚も、互いにタバコを吸う習慣はないが。真田は切り口を変えるため、咄嗟にヘビースモーカーを演じることにしたのだろう。
(この発想、俺にはないなぁ……流石、真田部長だ)
先程まで犬塚のお喋りを見守っていたと思ったら、要所のフォローも抜かりなく。藤井に負けじとばかりに、自然な様子でニコニコと無害な微笑みを振りまくが。真田程に厄介な相手はいないかも知れないと、犬塚は改めて内心で苦笑いをしていた。
「……おや、いかがしましたか? もしかして、我々が裏口を通るのに……不都合がおありで?」
「い、いえ……そのような事はございませんわ」
「左様ですか。でしたら……犬塚。そろそろ、行くとするか? 祥子氏の住所は調べればすぐに分かる事だろうし、前回の聴取の時に、いつでも協力すると言ってもくださっていたはずだ。一報入れれば、応じてくれるだろう」
「承知しました。でしたらば……」
是非に、裏口から帰りましょう。
犬塚もニコリと愛想よく微笑みつつ、裏口ルートを採択すると。「禁煙しろって、奥様にも言われていたでしょう」等と、不必要な忠告で真田の演技に真実味を追加するのも忘れない。
「そうは言っても、やめられんのだよ。……今度、禁煙外来にでも行ってこようかな」
「その方がいいかも知れませんね。奥様を安心させる意味でも、健康の意味でも」
「だよなぁ……っと、あぁ、失礼。とにかく、お邪魔しましたね。ここから先は我々でも帰れますから、お見送りは不要です。本日はご協力いただき、ありがとうございました」
「い、いえ……」
世間話の延長で、慇懃に謝辞を述べる真田ではあったが。力なく応える藤井の様子に、スッと目を細める。そんな彼の様子に……犬塚はいよいよ、恐ろしいものを感じずにはいられない。
(さて……どう出る? このまま我々に踏み込む事を許すか、或いは……)
この場で綺麗サッパリ、吐いてしまうか。
先程までの応酬からしても、藤井は犬塚達を野放しにするのは最悪手だと理解してもいるだろう。見送りもなく、誰もいないバックヤードに警察官を放り出す事こそ、彼女にとっては何よりの不都合なのは間違いない。そうして、いよいよ真田と犬塚が立ち上がろうとした、その時。やはりと言うか、何と言うか……藤井が慌てた様子で、待ったをかけてきた。