クロユリのご主人様達は、鼻が利く
「実はこの店には薬機法違反の疑いがあると、報告が上がっておりまして」
差し出されたコーヒーを啜ることもなく。真田が開口一発、本題を切り出す。そんな彼の思い切った切り口に、犬塚は面食らってしまうが。……真田はいくつもの場数を踏んだ、プロ中のプロ。おそらく、犬塚と同じ印象を藤井に持ったからこそ、搦め手を使わずに真っ向勝負を仕掛けたのだろう。
「あら……それはまた、どうして?」
しかし、真田の直球にも動じず、余裕の笑みを見せる藤井。後ろ暗いことはないと言わんばかりに、自然な様子でコーヒーを口に含む。
(さて……どう出る? こちらの手札はUSBの報告書だけだ。調査した人間も不明なら、裏も取れていない。いや……待てよ?)
沈黙がどんよりと広がるオフィスで、犬塚は真田の動向を見守ると同時に……彼がここまで大胆な策に出た理由を考える。カマをかけるのならともかく、最初からこちらの目的を明かしたのだから、証拠品の信頼性を補填できる何かを真田は持っているのだ。そして、証拠品を預かってからの僅かな時間で調べられるとすれば……。
(そう言うこと、か。警視総監に相談している時点で、こちら側の容疑者は割れているんだな)
犬塚はまだ、USBの中身は直接確認できていない。だが、先程の真田の話からしても、警視総監がスケープゴートを仕立てても良いと判断するくらいの材料は、揃っていることになる。それはつまり……警察側の癒着相手は判明しているということであるし、この真田の強気加減からしても、身内からはそれなりの証拠を絞り上げたのだろう。
「ふぅむ……そのご様子ですと、何もご存知ないか……或いは何かを知っていて、隠しているか。まぁ、いいでしょう。この際ですから、オーナーの方に直接聞くとしましょうか。もし差し支えなければ、東家祥子氏のご住所をお伺いしても?」
「申し訳ございませんが、オーナーは療養中でして。あまり騒ぎ立てるようなことは、なさらないでいただきたいのですが」
「これは失敬。確か、祥子氏の体調不良は昨年の夏からでしたな。多田見さんも、そうおっしゃっていましたね」
「そうなのです。ですから、できればオーナーの負担になるようなことは、ご遠慮いただければと……」
「おや? これは……少しばかり、おかしいですね。実は……祥子氏は宗一郎氏の事件の際に、既に警察の聴取には応じておるのですよ。昨年の夏から療養中のはずの祥子氏は、こちら側の呼び出しにも応じて下さいましてね。無邪気なまでに元気でしたが……気のせいですかね?」
「……」
にこやかに、そして、朗らかに。実に無害そうな笑顔で、真田が藤井に詰め寄る。そうして、隣でジワジワと藤井を追い詰めていく真田の舌鋒に、犬塚は内心で舌を巻いていた。
祥子が昨年の夏から体調が悪い、という情報は何の気なしに多田見から得た情報だ。先程のあっけらかんとした様子からしても、彼女がこの店の深淵を知り得ているとは思えない。祥子の体調が悪いというのは、従業員の共通認識でもあるのだろう。
しかし……それも何らかの事情で作り上げられた、偽物の共通認識だったとしたら。藤井にしてみれば、祥子の体調不良が宗一郎殺害事件の前からだったという虚構を崩されるのは、何よりも都合が悪いに違いない。
(互いにダンマリでは、話が発展しそうにない……。このまま真田部長に任せるか、或いは……)
ここは1つ、先程の廊下で気付いた違和感の正体について、答え合わせをしてみるか。そうして別方向からアプローチをしてみようと、犬塚が口を挟む。
「それはそうと、こちらのお店の床は随分とフカフカしていますね。低反発素材か何かでしょうか?」
「えっ? えぇ、そうですわ。こちらの店舗は女性専用ということもあり、ヒールでご来店いただくお客様も多いものですから。それに、従業員も立ち仕事ということもあり……足への負担を軽減できるよう、低反発ウレタンのカーペットを用いています」
「左様でしたか。いやー……色味がオシャレなのも、気にはなっていたのですが。確かに、歩き心地も最高ですね。しかし……こうも靴跡が残ってしまうのでは、掃除が大変なのでは?」
「ある程度は確かに掃除しますが……基本的には取り替えで対応していますね。尚、当店ではいつ来てもフレッシュな気分になっていただけるよう、色味も定期的に変更しております」
「そうだったのですか。どのくらいの頻度で変えられるのですか?」
「概ね、2週間程度ですね。ふふ……刑事さんは床にご興味を持たれたのですか?」
「えぇ、まぁ。そうか……取り替えられるタイプなら、汚しても平気ですものね。しかもこの柔らかさなら、犬の足にも良さそうです」
今度、検討してみようかな……等と、関係ないと思われる話題も挟みつつ。犬塚は藤井の緊張感を削ると同時に、お口も滑らかにしようと試みる。しかしながら、もちろん……犬塚が床について質問した意図は、クロユリの足に優しいかどうかを考えたから、ではない。バックヤードの廊下に、不自然な大きさの足跡があったことに気付いたからだ。
(踏み込んだら、なかなか戻ってこないな……。1時間、2時間位は残っていそうだ)
しかも、カーペットは2週間で交換されると言うのだから、犬塚が今まさに踏みしめているカーペットは今月に入ってから交換されたものだろう。そんなカーペットの上に、男性のものとしか思えない土踏まずまでしっかりとくっついた足跡が残っていた。藤井も含め従業員は皆、お揃いのパンプスを履いている。彼女達の足元では、ソールまで一体型の足跡は残らないはずだ。だとすれば……。
(やはり、数時間以内に男性の来客があったようだな。しかも、多田見さんが俺達を初めての男性客かもしれないと、言った時点で……彼女達は、その客には会っていないんだろう)
そのことからしても、男性と思しき客は受付を通らずに、バックヤードの廊下に入り込んだ事になる。それはつまり……。
(エステではなく、このオフィスに男性の来客があったと言うことだ。そして、店長が頑なに祥子に俺達を合わせたがらない理由は……)
きっと、その男性客も祥子の居場所を聞きに来たのだろう。そして、藤井は警察官相手には祥子との面会を渋っているが、彼相手にはあっさりと教えたのだと、犬塚は予想する。
数時間前であれば、当然ながら店は稼働中である。そんな中で揉め事が起これば、確実に別の意味で警察が呼ばれているに違いない。それなのに、受付にいただろう多田見が気づいていないともなれば。……おそらく彼らの話し合いは殊の外、穏便に済んだのだ。いわゆる、知り合いのよしみで。