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クロユリとあぶく銭

「キュゥゥン……」


 ご主人様、帰ってこないな。いつもなら、一緒に連れて行ってくれるのに。

 クロユリはそんな事を考えながら、玄関で項垂れていた。犬塚が出て行ってしまってから、2時間。その間、クロユリは……諦めきれない様子で強引に玄関に居座っては、ウジウジといじけにいじけている。


「クフ……」


 確かに、この家(上林宅)は知っている場所だし、何度かお泊まりをした事もあったはず。だとすれば、今回もお留守番なのかもしれない。前のご主人だって、長いお出かけの時はここにいなさいって言っていたし、新しいご主人様もそういうつもりで自分を預けていったのかも。しかし……。


「……キュフ」


 だけど……最後に寂しげに言われた言葉が引っかかる。頭を撫でてくれながら、ご主人様はいつもと違う言葉を言った気がして……クロユリは言葉の意味は分からないなりに、麻呂眉を悩ましげに曲げたまま。未だに玄関への執着を捨てる事もできない。


「……直美さん。ユリちゃん、ずっと玄関にいますけど……」

「そうね……多分、犬塚さんを待っているのでしょう。……ユリちゃんはすっかり、犬塚さんを飼い主と思っていたみたいだし……」


 廊下の先で、背中を丸めるクロユリを見つめながら……上林と彩華は顔を見合わせては、ため息を吐く。確かに、彩華はクロユリに()()()()()()()であろう「遺産」も狙っていたものの。こうも健気に忠犬っぷりを見せつけられると、とてもではないが……そんな気分にはなれなかった。


「そう言えば……どうして、犬塚さんはユリちゃんを置いて行っちゃったんだろう……。このまま一緒にいれば、会長の遺産だって狙えたのに……」


 しかしながら、彩華にしてみれば犬塚の()()は勿体ないの一言に尽きる。クロユリの後見人にさえなれれば、一生を遊んで暮らしていける程の大金が転がり込むのだ。そんなチャンスを自ら手放すなんて、彩華には犬塚の行動は不可解にしか思えなかった。


「警察官という立場もあるのでしょうけれど……あの様子だと、()()()()は受け取らないと思うわ」

「あぶく銭?」

「そう、あぶく銭。要するに、働かずに手に入れたお金の事ね。あぶく銭は身につかないとも言うし。犬塚さんは真面目な人だから」

「どうして、犬塚さんが真面目だって、分かるんです?」

「ふふ。ユリちゃんの懐き方を見ていれば、すぐに分かるわ。ユリちゃんはあれで、本当に懐く相手は選んでいるみたいだし。……何せ、ユリちゃんはお嬢様だもの。自分のために、ちゃんと働いてくれる人がいいのでしょうね」


 自らの魂胆を否定するような上林の考察に、彩華はいよいよ肩を落としてしまう。上林の持論には科学的な根拠も、統計的な証拠も、なきに等しい。それでも、常に宗一郎のすぐ側にいた辣腕の秘書の考察ともなれば。彼女のヒトとナリを知っている彩華も、無視はできない。しかし……。


「ふ〜ん……直美さんが会長以外を褒めるの、初めて聞いた気がします……」

「そう?」


 彩華は知っている。いや……母・豊華から上林の()()()()()について漏れ聞いていた、と言った方が正しいが。

 上林は東家グループの社員の間で「高嶺の花」とされていた一方で、仕事人間で通っており、「何を考えているのか、分からない」と揶揄される事も多々あったらしい。豊華には多少、柔らかく接してもいたようだが……顧問弁護士の審美眼から見ても、上林は常々、冷徹そのものに映っていた。極力、他者との不必要な関わりを避けると共に、自身が優秀すぎたあまり……他者におべっかを使う習慣が抜け落ちている上林が、素直に異性を褒めるのは非常に珍しい事なのだ。


「もしかして、直美さん……犬塚さんのこと、好きだったりします?」

「えっ?」

「だって……ほら。直美さん、会長以外の男の人には冷たかったじゃないですか」

「……」


 彩華は当然ながら、上林の「男嫌い」の理由は知らない。それでも、同性の勘と言うべきか、多感なお年頃由来の好奇心と言うべきか。彩華の邪推は、なかなかに正しい視点だ。


(私は……無意識に異性そのものを、遠ざけていた気がする……)


 純二郎のせいで母親が自殺してしまったことが原因で、上林は自覚なく「男性が苦手」ではあったが……言われれば、確かに。宗一郎以外の男性をここまで信頼したのは、初めてかも知れないと上林は回顧すると同時に、フッと何かを納得したように柔らかく微笑を漏らす。


「……そうかも知れないわね。……そう。そうね。確かに……犬塚さんはあまり、苦手に感じないわ」


 思いがけない指摘に、遅まきながら恥ずかしげに目を伏せる上林。そうして、視線を泳がせるついでに……未だに元気が萎れているクロユリの小さな背中を見つめては。犬塚に苦手意識を持たないで済むのは、クロユリへの接し方が好意的に映ったからだろうと、自己分析もしてみる。


「だったら、善は急げ、ですよ!」

「えっと……彩華ちゃん、何がかしら……?」

「いや、だって! 犬塚さん、絶対にモテますって! ボヤボヤしてたら、他の女の人とくっついちゃいますよ! ここはアタックすべきですって!」

「えっ? えぇっ? 彩華ちゃん、ちょっと待って。確かに、犬塚さんは嫌いではないけれど……それはあまりに、性急過ぎるわ。互いに、そんな感情はないでしょうし……」

「えぇ〜? そうなんですか? でもぉ……直美さんが犬塚さんと一緒になれば、ユリちゃんも悲しまなくて済むと思いますけど……」


 彩華の突飛な提案に、まさか……と手を振りつつ、悪い冗談だと一蹴する上林ではあったが。未だに残念そうに頬を膨らませている彩華を尻目に……ふと2人と1匹で暮らす様を想像してしまって、上林は慌てて首も振る。だけど……。


(……そうすれば、ユリちゃんを悲しませずに済むのかしら……? それに、私も変われるかも……)


 気づきを与えられて、意識するなは無理と言うもの。今までそんな機会も、感情も持ってこなかった上林にとって……彩華の囁きは新鮮であると同時に、どことなく心地よいものだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] な、なんとそういう方向に……! でも深山さんもいますしね。 犬塚さん、ご本人の知らないところでモテモテですね(´ω`*) そして犬塚さんに会えなくてしょんぼりしているクロユリちゃん、可哀想で…
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