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クロユリは不機嫌

 クロユリは今、とにかく不機嫌だ。例えようもないくらい、不機嫌だ。


 動物病院からの帰り。ハンドルを握りながら、助手席にお座りしているクロユリをチラと窺う犬塚。視線は真っ直ぐ前を向いているものの、眉間に険しい皺を寄せているのを見る限り、クロユリは全身で不機嫌を表現しているらしい。

 しかし、それも仕方がないのかも知れない。病院が嫌いなのは何も、人間だけではないのだから。


「ゴメンな、クロユリ。……まさか肛門腺絞りまでされるとは、思っていなくて……」

「……(フン)」


 乙女のお尻を絞るなんて、何事か。クロユリの不機嫌な鼻先からは、そんな怨嗟が聞こえてきそうだ。


(それにしても、流石は(まゆみ)さんだ。何も聞かずに診てくれるのは、本当に助かる)


 クロユリの不機嫌を尻目に、犬塚が心の内でありがたいと手を合わせているのは……旧知の獣医師・篠崎(しのざき)(まゆみ)のことである。

 訓練所にほど近い場所に病院を構えており、犬塚の相棒もお世話になっていた経緯がある。それ故に……痩せている上に、前脚に大怪我をしているクロユリを診ても、彼は事情を根掘り葉掘り聞いてくることもなく。ただ一言、「どうせ、()()()()()なんだろう?」と呟くだけだった。


 そんな()()()()()()獣医師によれば。まず、レントゲン撮影の結果は異常なし。クロユリが隠し持っていたのは鍵だけだったらしく、首筋に埋まっているマイクロチップが確認できる以外の異物は映っていなかった。前脚も爪や肉球の損傷だけで骨折はしておらず、肉球もしばらくすれば再生するとのことで……無理な運動さえしなければ、問題ないそうだ。


(さて……と。意外と早く済んだし、この後は署に顔を出すか……)


 クロユリの体調自体はそこまで悪くない。怪我はしているし、体重もかなり減っているけれど。本()は意外と気丈なもので、嫌味なまでに背筋を伸ばして、不機嫌を撒き散らす余裕もある。この様子であれば(真田も心配していたし)、重要参考()として署までご同行も許されそうだ。


「もしもし、真田部長。無事にクロユリの診察が終わりまして。この後、そちらに寄ろうかと……」


 早速とばかりに路肩に車を停め、犬塚はクロユリの同行を許可してもらおうと、真田に連絡をしてみるものの。意外や意外……本部長の答えは「否」だった。しかしながら、真田の真意はクロユリの同行を拒否したものではなかったが。


「えっ……? それはまた、どうしてそんな事に?」

「情報がどこから漏れたのか、私にも分からんのだが……今、本部の前にはマスコミが屯している。彼らの狙いはクロユリと彼女を保護した警察官……つまり、犬塚。君だ」


 大富豪の惨殺。それだけでも、センセーショナルな事件ではあるが。莫大な遺産の相続人が親族ではなく「愛犬」だったことは、世間様の興味を大いに刺激したらしい。どこで情報を掴んだのかは知らないが。彼らは一律、宗一郎の愛犬は存命であり……警察が保護したところまで、情報を掴んでいるとの事だった。


「そういう事だから、悪いが、犬塚。熱りが冷めるまで、自宅待機を頼む。もちろん、作戦会議にはリモートで参加してもらうし、クロユリにかかった経費は請求してくれて構わない」

「承知しました。でしたら、この後は自宅から捜査に参加します」

「あぁ、それで頼む。くれぐれも、気をつけてな」


 通話を終了した後、深くため息をつく犬塚。まさか、こんな事で勤務先を出禁になるなんて、思いもしなかった。一応は素直に了承を示してみたものの……刑事の職務を考えると、現場捜査や証拠品の精査などに参加できないのは、相当な痛手だ。そもそも現場の空気感と、画面越しの空気感では、臨場感が相当に違う。肌で感じるものがなければ、気づけるはずのことも、気づけないかも知れないではないか。


「……(フスン)」

「うん? どうした、クロユリ」

「……クゥン……」

「おっ。お前、ようやく声を出してくれる気になったんだな? なぁに、別に心配することはないさ。少しの間、家にいればいいだけのことだから」


 ついでに「約束通り、肉を買って帰ろう」と提案してみても、クロユリの表情は冴えない。きっと、彼女も言葉は分からないなりに犬塚が出禁を食らったのは、自分のせいだと肌で感じているのだろう。先程までの不機嫌もかなぐり捨てて、今度は心配そうにスンスンと鼻を鳴らしている。


(とにかく、家に帰るか……。少なくとも、こんな所で止まっている場合じゃない)


 それにしても……あの無愛想なクロユリにまで、心配してもらえるなんて思いもしなかった。しかも、当の彼女は今にも泣きそうな顔をしているではないか。さっきまであんなにツンケンしていたクロユリが、悲しそうにこちらを見つめているのは……結構、辛いものがある。


(そうだ。今はとにかく……クロユリを守ることを考えないと。……マスコミに嗅ぎ付けられたとなると、慎重に行動した方がいい)

 

 真田がここまでの配慮を見せるのは、彼自身の気質によるもの……と言うよりも、クロユリの安全を最優先に考えた結果だろう。真田の話からするに、報道陣はクロユリは警察が身柄を預かっているということだけではなく、訓練所から刑事が引き取ったことまで知っているらしい。そうともなれば……迂闊に犬塚を現場に出さない方がいいと、真田は仕方なしに判断したのだ。

【登場人物紹介】

・篠崎檀

篠崎動物クリニックの院長であり、犬塚の旧友。

37歳、身長171センチ、体重68キロ。

ボサボサ頭に分厚い黒縁メガネと、クセのある外観をしており、人間に対しては無愛想である。

しかし、動物相手では口元だけでニヤニヤ笑っていたり、猫撫で声で話しかけていたりと、愛想を振りまけないわけではないらしい。

なお……犬塚の相棒・リッツ号の後頭部の香りにたまらなく興奮すると言い放ち、犬塚を軽くドン引きさせた過去がある。


【補足】

・肛門腺絞り

犬や猫など、匂いによって相手を認識したり、縄張りの主張をするタイプの動物には「肛門腺」と呼ばれる匂い袋のような器官がありまして。中には悪臭が香ばしい感じの特製ペーストが詰まっており、基本的には便と一緒に排出される仕組みになっています。

しかし、中には上手く排出されずにペーストが溜まってしまいがちなワンコもいまして。化膿したり、最悪の場合は破裂することがあるため、自然排出がされにくい場合は定期的に絞ってあげる必要があります。

因みに……絞ってもなかなか出づらい子もおり、作者の実家にいるワンコは絞るたびに「ウニッ⁉︎」と犬らしからぬ奇声を上げます。

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