クロユリは監禁中
クロユリは今、ケージの中で丸くなっている。自分を攫った相手に鼻筋を立てこそすれ、ちょっぴり悪趣味なレストランで今か今かと、救援を待っていた。
「しかし、こいつ……ちっとも懐きそうにないぞ? しかも……思いっきり、噛みつきやがって!」
「……」
クロユリがいるのは、客も従業員もいない、静まり返ったレストランの厨房。そんなクロユリを忌々しげに睨んでは……おぉ痛いと、手を摩る修哉が猛る。一方のクロユリは最初こそ抵抗はすれ……最終的には何かを諦めたように、ケージの中でそっぽを向いたまま。……微動だにしない。
「仕方ないわよ、兄さん。無理やり連れてきちゃったんだし。それに……結川さんの話だと、今は犬塚にベッタリみたいよ」
「ふ〜ん……で? その結川のアニキは今、どこにいるんだ?」
修哉がさも面白くなさそうに、結川を「アニキ」と呼んでは、妹・小春に彼の所在を尋ねる。彼らの人間関係は、クロユリにとっては預かり知らぬことではあるが。今はとにかく辛抱するべきだと、それとなく悟っては……とにかく、首元を隠すように丸くなる。
「結川さんは迎えの調達をしているわ。……顔が割れている以上、こっそり逃げるしかないでしょうし」
「でもヨォ。……このままじゃ、遺産を掠めるのは無理じゃないか? 脅すにしたって……中身がアレじゃぁ、なぁ……」
ようよう苦労してこじ開けた、パンドラの箱……ならぬ、鍵付き工具箱の中身は、周藤兄妹が思い描いていたような証拠品は収められていなかった。中に入っていたのは、確かに警察ととある人物の癒着について調査した報告書ではあったが……。しかし、彼らが脅そうとしていた相手とは異なるターゲットについての報告書であったため、普通の脅迫材料にはなるだろうが、彼らが目論む「告発」を達成することはできなさそうだ。
「……しかし、東家グループってのは、冗談抜きでマトモな奴はいないのかねぇ? 純二郎もそうだが……祥子もヤバいヤツだったんだな」
「大企業なんて、所詮そんなものよ。大きくなればなる程、色んな厄介事も抱えてしまうものなんじゃない? とは言え……あの会社、本当に宗一郎でもってたのね。ここまでのワンマンショーだと、笑うに笑えないわ」
そうして2人で、さも東家グループを馬鹿にしては、溜飲を下げようと皮肉っぽく笑うものの。思うような証拠を集めることができず、互いに焦りを隠すこともできない。
周藤修哉・小春兄妹は東家宗一郎ではなく、東家純二郎に対して並々ならぬ恨みを抱いていた。それもそのはず、彼らの母・夏帆は純二郎の暴行により、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症し……20年経った今も尚、後遺症に苛まれ、外に出ることさえままならない日々が続いている。
だが……純二郎はある意味で、非常に厄介な相手に手を出したと言えるのかもしれない。何せ、いわゆる内縁の妻とは言え……周藤夏帆はとある暴力団員の愛人でもあり、修哉と小春はその暴力団員・不破秋冬の実子であったのだから。
「今度こそ、親父を出してやれると思ったんだけどな。畜生……!」
ガツンと荒々しく、とっくに稼働すらしていない大型冷蔵庫に拳をぶつける修哉。しかしながら、がらんどうな冷蔵庫は軽薄にべコンと音を立てるのみで、修哉の八つ当たりにもへこたれない。流石は、最新鋭の大型冷蔵庫といったところか。
「あぁ! どうして、こうも上手くいかないんだよ⁉︎ 俺達はただ……親父とお袋を助けたいだけなのに!」
「兄さん、落ち着いて! とにかく、今は……」
「……分かってる。結川のアニキを待つしかないな」
ここ……リストランテ・ミカは機材こそ立派だが、店主でもあるシェフ・修哉にとっては正直なところ、店なんてどうでもいい。いや……むしろ、三佳が余計なことをしたせいで計画が頓挫してしまったのだから、店そのものを憎んでいる節がある。
修哉には最初から、料理人として稼いでいこうなどという志はない。ただ、東家グループの内部に入り込むために、東家グループ系列のホテルでコックを募集していたから、応募しただけだった。だが、悪いことに……修哉は恵まれたルックスが故に、ホテル事業を牛耳る三佳に懸想されてしまう。そうして、東家グループに居座り続けるためにも、彼女の要求を呑んだが。頼みもしない店を用意されて、結局は三佳ごと東家グループとおさらばすることになってしまったのだから……これを「余計なこと」と言わずして、なんと言えばいいのだろう。
それでも、わざと経営を悪化させては、三佳と宗一郎の縁を引き伸ばしに引き伸ばしてみたものの。三佳は狙い通りに宗一郎の元へ無心に走りこそすれ、宗一郎の忠告には耳を傾けず……店を畳むことは、頑なにしようとしなかった。結局、今の今まで、修哉は東家グループへと復帰はできていないし、純二郎関連の証拠集めもままならない状況が続いている。
だが……三佳がやってしまった、「余計なこと」はレストランを勝手に作ってしまっただけには、留まらない。いや、むしろ……もう1つの「余計なこと」に比べれば、修哉の人生を狂わせたことは、まだまだ可愛い内に入るだろう。
三佳は最も知らせるべきではない相手に、宗一郎の計画……偶然に知ってしまった遺言書の中身を愚痴ってしまったのだ。純二郎にも三佳にも、遺産分与をするつもりは無いらしい宗一郎を罵るついでに……三佳は本来、遺産分与には全く関係のない従姉妹にも相続の条件を暴露していた。