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クロユリとペットシッター(仮)

 どうして、こんな事になったんだろう。

 慌てて逃げ出した勢いで、とんでもないことに巻き込まれた気がすると……渦中の女、(せき)彩華(あやか)はようよう逃げ果せた裏道で、ゼェゼェと息を整えていた。


(なんで……なんで、こうなるのよ! 私はただ……クロユリちゃんと、お金が欲しいだけなのに!)


 東家グループの顧問弁護士である母・関豊華から、ちょっとしたこぼれ話を聞いてからというもの……元から動物好きだった彩華は、会長の愛犬・クロユリにますます夢中になっていた。

 そのこぼれ話とは、他でもない。……宗一郎に万が一があった時は、クロユリの後見人が彼の遺産相続人になるらしい……という、遺言書の内容についてである。

 母・豊華にしてみれば、それは何気ない話でしかなかったろう。そもそも、彼女は宗一郎が殺害されるだなんて、夢にも思ってもみなかったに違いない。粛々と顧問弁護士として「公正証書遺言」の作成をしただけに過ぎなかったし、当然ながら豊華自身には遺産を掠め取ろうだなんて魂胆もない。しかし……娘・彩華にしてみれば、それは一攫千金のチャンスにしか思えてならなかったのである。


 故人・宗一郎氏はビジネスには厳しい人間ではあったものの、プライベートでも豊華をしっかりと信頼していたらしい。もしかしたら、豊華がシングルマザーであるという境遇に対しても、やや同情的だったのかも知れない。恋愛関係に至ることはあり得なかったようだが、宗一郎はたびたび自宅に豊華を招いては、彩華も含めて歓迎してくれていた。

 そんな折、宗一郎が自慢げにまだまだ子犬だったクロユリを紹介してくれた時から……彩華は彼女のあまりの可愛さに、忽ち虜になっていた。子犬ならではの、ムチムチとしたポッテリボディ。一生懸命ピコピコと忙しなく動いては、生きている喜びを余すことなく伝えてくる、柔らかな尻尾。キラキラと輝くつぶらな瞳の上には、ちゃんと麻呂眉が乗っている。

 他所様の犬であっても、可愛いものは可愛い。飼う事はできなくても、お散歩くらいはしてみたい。しかも、クロユリは子犬の頃だけではなく、大きくなっても可愛いままだった。そうして、彩華は事あるごとに宗一郎宅にお邪魔しては、半ば強引にクロユリとの邂逅を楽しんでいた。多忙な宗一郎の代わりに、ペットシッターを買って出ては、動物病院への定期検診もこなした事もある。彩華本人はこの現実に、勝手にクロユリの第二の飼い主は自分だと、勘違いしてもいた。


(ママはご迷惑だから、勝手に行くなって……本当にうるさいんだから。……クロユリちゃんと仲良くしていれば、働く必要もなかったかも知れないのに)


 一方で、関豊華は優秀な弁護士である以上に、常識的過ぎる人間だった。その上、遠慮と立場とをよくよく理解してもいる。だからこそ、ある意味で恐れ多い宗一郎の配慮に気付きつつも、必要以上にご厄介になるべきではないと、彩華にも宗一郎に甘え過ぎないようにと釘を刺していた。しかし……当の彩華はそんな母親の深慮を理解するには、あまりに浅はかで享楽的だったのだ。シングルマザーとは言え、母親の収入が安定していたこともあり、幸か不幸か、少なくとも人並み以上の生活を送るにあたって、彩華は金に困ったことがない。それが故に……彼女のライフスタイルには「働く」という概念も、誰かに「遠慮する」という気概も存在したことがなかった。


 無論、堅実な豊華は怠惰な娘に口酸っぱく忠告はしていたし、彩華の方はそんな母親を鬱陶しくも感じ始めている。それでなくとも、彩華は御歳19歳。高校は辛くも卒業したが、努力とセットで勉強も嫌いだったために、大学への進学はとうに諦めているし、本人は既に自分で「頑張る」事も放棄していた。もちろん、一念発起するのに遅すぎる年齢ではないが。彩華は母親とは異なり、生まれながらの怠け者。……彼女は常々、楽に生きていく方策を探すことにしか、知恵を絞る事をしない。だからこそ、彩華は足繁く宗一郎……延いてはクロユリの元へ通っていたのだ。クロユリに飼い主だと認定されれば、莫大な遺産も転がり込むと信じて。


(でも……これから、どうすればいいのかしら……。大変なことに巻き込まれちゃったかも……!)


 しかしながら……今回ばかりは母親の助言に従っておくべきだったかも知れないと、彩華は遅すぎる後悔で、今度は揺らしていた肩をガクリと落とす。

 そう……あの日も、何気なく出かけただけだった。いつも通り、クロユリに気に入られようと会いに行っただけだったのに。それなのに……彼女が目にしたのは、リビングで血まみれの状態で倒れていた宗一郎と、彼女を見るや否や、獰猛な唸り声を上げて彩華を敵と見做したらしいクロユリの姿だった。もちろん、彩華とて最初は警察を呼ぼうともしたのだ。だが、今にも飛びかかってきそうなクロユリを前に、凄惨な事件現場にいると言う恐怖も相まって……彩華はただただ、その場は逃げることしかできなかった。

 それでもクロユリ(と遺産)を諦めきれなかった彩華は、通院で仲良くなった弥陀院長を頼ることに決める。密に連絡を取り、彼もまたクロユリを探しているともなれば、結託しない手はないと……彼女は弥陀院長が「怪しい」とピックアップした動物病院へ、片っぱしからクロユリを訪ね歩いた。しかも、いかにも「お金持ちです」と匂わせるために……勝手に豊華の指輪を持ち出して。

 しかし、弥陀院長にコンタクトを取ろうとしたのは、彩華だけではなかったらしい。今日もまた、彩華が出向いた時は()()()()。弥陀院長と話し合う間もないまま、状況すらも分からない状態で……またも彩華は深く考える事もできずに、逃げるより他になかった。

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