クロユリと院長センセ
深山に運転を任せ、後部座席で篠崎のスマートフォンを一緒に眺めつつ。犬塚は篠崎の話を聞くにつれて、「例の女」と「犯人一味と思われる男」の接点に、不自然な点があるのにも気づく。一般的なスマートタグのGPS有効範囲を過信することはできない以上、このまま一定距離を保って追跡せざるを得ないのだが……何かを見落としている気がして、犬塚は妙に落ち着かない気分にさせられる。
「先生の話だと……女性が電話に出た時点で、先生が病院の前にいることは予想できてもおかしくないのでは?」
「だろうな。弥陀動物病院が休診日だったのは、予定外だったみたいだし。急遽お休みになった病院が休診日だって言ってやった時点で、イヤでも気づくだろうよ」
「では、なぜ……勝手口から脱出したのに、わざわざ戻ってくるような真似をしたんでしょうか?」
「そりゃぁ、忘れ物があったから……にしちゃぁ、確かに不自然だな。……あの状況を見られたら、普通に救急と警察に連絡されることくらい、バカでも分かる。それなのに、奴のお仲間はわざわざ戻ってきた……?」
そこまで言いかけて、篠崎も彼らの行動があまりにチグハグな事に気づいたのだろう。応急処置でデカデカと貼られてしまったガーゼを気にしながら、眉間に皺を寄せている。
「……もしかして、あれか? あの女は……」
「えぇ、本当に“もしかしたら”の域を出ませんが。……彼らはグルではなかったのかも知れません」
あくまで「推測の域を出ない」、というタダシがつくが。おそらく……篠崎の電話に出た女性は、弥陀動物病院の院長に話を通していたのだろう。篠崎の言では、ホームページの更新がされていなかった時点で……弥陀院長は急遽、休診日にしてまで、彼女と会うことを優先したということになる。
「それに関しちゃぁ、まずまずあり得るだろうな。あの女は俺の病院にも、きっちりやってきたし。……ユリちゃんらしき柴犬を追っていた時点で、弥陀動物病院にも行った……いや、違うな。こうもホイホイと休診日を作る時点で、女と院長センセは知り合いだった可能性の方が高いか?」
「えぇ。俺もそう思います。きっと、宗一郎殺害事件の後に、弥陀動物病院へクロユリがお世話にならなかったから、彼女は先生の病院にも体当たりで訪問してきたのでしょう」
そこまで、話し込んだところで……犬塚は篠崎の聞き込み結果に、非常に重要な内容が含まれていたことも思い出す。そう……確か、篠崎はこうも言っていたはずだ。弥陀院長は「クロユリのマイクロチップに秘密がありそうな事を吐いた」、と。
「もしかして、彼女は事件前からクロユリに遺産相続権があることを知っていたのか……?」
「あん? 拓巳、どうしてそうなるんだよ?」
「考えてもみて下さい。クロユリが弥陀動物病院にお世話になっていたのは、間違いなく宗一郎氏が亡くなる前だけです。そして、その弥陀院長はクロユリのマイクロチップに何かしらの秘密があると、知っていたかも知れないのでしょう? しかし、どうして弥陀院長がそんなことを知っているのでしょうか?」
「そりゃぁ、あの病院でマイクロチップを仕込んだから……だけじゃないな。なるほど……要するに、だ。宗一郎さんは院長センセをそれなりに、信頼していたんだな? んで、万が一があったら……ユリちゃんをヨロシクと事情込みで頼んでいた、と」
そうですね……と、頭を殴られていた割には、まだまだキレも鋭いらしい篠崎に同意しながら。犬塚はなおも、話を続ける。
「おそらく、彼は知っていたのでしょう。宗一郎氏の特殊な遺言書の内容も。そして……もし、彼女と弥陀院長が事件前からの知り合いだった場合。併せて、遺言書の中身を知っていた可能性もあるのでは?」
女と弥陀院長の関係性は今ひとつ、見えてこないが。それでも、宗一郎氏が大切なクロユリのかかりつけ医にしていた時点で、弥陀院長にはそれなりに深い話をしていた可能性も大いにあるだろう。何せ……。
(宗一郎氏はプライベートではとことん、愛犬家で通っていたみたいだし……。動物病院相手には、多少は口が緩かったのかも知れないな……)
一方で……クロユリの既往歴がある時点で、「不測の事態」があった時には、真っ先にクロユリの保護先に弥陀動物病院という選択肢が上がっても、おかしくなかったろう。だが、特殊な遺言書の存在により、クロユリは捜査と保護の一環で、警察管轄下の警察犬訓練所に預けられてしまった。このことで、彼らの思惑が外れたのだとしたら。……血眼になって、クロユリの所在を探すのも想像に難くない。
「う〜ん、そうなるか? しかし、だったら……あっ、そういう事か? もしかして、あの女が俺の電話に出たのは……」
「彼女も丁度、電話をかけようとしていたのでは? 知り合いの獣医師が満身創痍ともなれば、救急に連絡するのは当然の反応です。先生が張り込んだ後にしばらくの時間がかかっていたそうなので、もしかしたら、彼女も状況を整理していたのでしょうが……いよいよ、救急車を呼ぼうとしたのでしょう」
だが、タイミング良く、篠崎が弥陀動物病院へ電話を掛けたものだから……意図せず、電話に出てしまったのだ。
「そして、怖くなって逃げ出した……と。んで、院長センセをシメた奴は、女の存在とは関係なしに忘れ物を取りにノコノコやってきた……で、合ってるか?」
「……本当に憶測の域を出ませんが。その可能性もあると思います。先程までの不可解な状況を考えると、彼らは知り合いではなかったと考えた方が自然……って、おや?」
「どうした、拓巳」
「……GPSの移動が止まりました。まさか、気づかれた? いや……」
「どっちかっつーと、目的地に着いたのかも知れねーぞ? んで? どこだ、ここ……」
ちょいと貸してみな……と、篠崎がスマートフォンを取り戻すついでに、器用に地図アプリを起動する。そうして、スマートタグが止まった場所を読み上げるが……。
「リストランテ・ミカ……? なんだ、ここ。レストランか?」
「……あぁ、そういう事ですか。そこは……」
明らかに店名は無理やり決められたんだろうな……と思われる、ヘンテコな名前のレストラン。しかし、そこは……紛れもなく、周藤修哉が結婚と引き換えに獲得した、彼の城でもあるイタリアンレストランだった。




