クロユリは移動中
クロユリが攫われた。だが、今までの「不自然さ」を鑑みても、彼女は無事でいられる可能性は高い。きっと今回も生き延びてくれるはず……。
……と、無理やり安心材料をでっち上げても。犬塚は心配で心配で、気が気ではない。
(どうか、無事でいてくれ……!)
そう祈ってみたところで、犬塚にできることと言えば、真田の指示を待つことくらい。弥陀動物病院にて傷害事件が発生している以上、犯人を追う事が最優先事項なのは考えなくとも分かる事。だが、相手が顔見知りの警察官かも知れない可能性も捨てきれないため、今の犬塚と深山では対応が難しい。……顔が割れている上に、向こうも拳銃を携帯している事も考えると……いくら深山の腕っぷしが強いからと言って、強硬手段の採択も危うい。
「犬塚さん! 真田部長から指示がありました!」
「そうか。それで、部長は何て?」
「犯人の追跡は可能な範囲で継続してほしいそうですが、所在を突き止めた場合は速やかに連絡し、突入は待つように……だそうです」
「やはり、そうなるよな。相手が複数人いると分かった時点で、俺達だけでの制圧には限界がある。……ここは出来うる限りの尾行に留めるか……」
しかしながら、真田の指示に理解を示しつつも……犬塚がしっかりと肩を落としたのも見つめては、深山はどうやって彼を励ませばいいのか分からないでいる。「大丈夫ですって!」なんて無責任なことも言えない手前、犬塚の手助けをするにしても……運転を買って出ることくらいしか、思いつかない。
「悩んでいても、仕方ないな。……院長先生の聴取は意識が戻ってからにするとして、俺達はとにかくクロユリを助けに行かなければ」
「そうですね! 今はとにかく、クロユリちゃんを追うっす!」
「あぁ。クロユリ、待っていてくれ……!」
ストレッチャーに載せられて、ガラガラと退場していく弥陀院長を尻目に……篠崎は尚も、スマートフォンに視線を落としている。そして、ようよう目標を拾い直した警察官2名相手に、ため息をつきながら画面を示した。
「それで、先生。えぇと……」
「分かってる……拓巳、ほれ」
「ありがとうございます。こちら、お借りしても?」
「もちろん、構わねーぞ。俺ごと、こいつは貸してやらぁ」
院長センセも引き渡したし……と、篠崎はちょっぴり申し訳なさそうに、肩を竦めた。きっと、彼なりに責任を感じてもいるのだろう。篠崎が殊の外素直に、自分のスマートフォンを犬塚に預ける。とは言え……「俺ごと」と言っている時点で、同行する気は満々のようではあるが。
「一応、言っておくと。俺も一緒に行ってやるぞ? ……ユリちゃんに万が一があった場合、獣医もいた方がいいだろ」
「そうですね。先生がいれば、クロユリに何かあっても、真っ先に診てもらえますし」
「あぁ。そこは安心してくれていいぞ。そんじゃ……ちょいと、器具を拝借して……ん?」
「どうしました、先生?」
「……こいつは……リーダーのケースか?」
「えっ?」
応急処置用の器具を物色し始めた篠崎が、乱雑に放り出されていた何かのケースを示しては、訝しげな声を上げた。そんな彼によれば……形状からして、それはマイクロチップリーダーのケースらしい。
「……なるほど。あいつら、これを取りに戻ってきたのか」
「どういう事ですか……?」
「白状すると、俺が殴られる前はこんなに部屋は荒らされてなかったんだよ。まぁ、キャビネは割れていたけどさ。だが、気がついたら更に状況が悪化しててな。俺とユリちゃんが暴れたせいだとばかり、思ってたが……多分、リーダーも必要だと気づいて、戻ってきたんだ」
やれやれとため息をつきつつ。篠崎が割れているガラスに注意しながらも、キャビネットの書類ケースの背をトントンと指で小突く。そんな彼が示した先には……書類ケース1冊分の空白があるのも、見て取れた。
「因みに、最初からここはポッカリ空いてたぞ。んで、他の中身を見る限り……ここにあったのも、患者さんのカルテと見ていい」
「だとすると……」
「……憶測の域を出ないがな。多分、ここにあったファイルには、ユリちゃんのカルテが入ってたんだろう」
彼らが何を求めて「クロユリの情報」を集めているのかは、定かではないが。少なくとも、彼女こそがキーパーソン……ならぬ、キードッグであることは間違いなさそうだ。そうして、3人は頷き合うと……とにかくクロユリの足取りを追わなければと、弥陀動物病院を後にする。
……篠崎のスマートフォン上では、未だにターゲットは移動中の状態だ。であれば、彼らはクロユリが鍵だけではなく、発信機までもを握っているとは……まだまだ気付けていないに違いない。