クロユリはドライブに勤しむ
「チース」
「……先生、随分とノリノリですね……?」
朝の散歩がてら、指定の場所で落ち合えば。何を血迷ったのか……篠崎はいつもの瓶底メガネではなく、黒いサングラスで怪しげな笑みを浮かべている。目元が隠れているため、視線を窺い知ることはできないが。間違いなく、熱視線をクロユリに注いでいるのだろうと考えさせられては……犬塚は変な震えに襲われていた。
「ユリちゃん、今日は先生と一緒にお出かけだからな。いい子で来てくれるかな⁉︎」
「キャフッ!」
しかも、当のクロユリも見るからに怪しい篠崎に怯える様子もなければ、こちらはこちらで妙にノリノリである。この調子であれば、篠崎にクロユリを預かってもらっても問題なさそうか……?
「それじゃぁ、先生。今日は1日、ユリを頼みます」
「おぅ、任せておきな。ま……そんなに心配すんなって。ユリちゃんとデートがてら、ちっと脅しに行くだけだから……」
「……ついでに買い物に行くみたいなノリで、恐喝せんといて下さい。間違いでもあったら、俺が先生に手錠をかけなければならなくなる」
「大丈夫だって。変な間違いは犯さんよ」
「そうですか……?」
やや強引に犬塚の手からクロユリのリードを奪うと、自分のバンへとお嬢様をエスコートする、変人獣医師。そうして、互いに一致団結すると……しっかりと助手席に陣取ったクロユリを乗せて、エンジン音も軽やかに走り去っていく。
(やれやれ……)
篠崎の車が走り去った先を見つめては、やや置き去りにされた格好になってしまったと、犬塚は頭を掻く。それにしても……。
(……やっぱり、寂しいもんだな……)
出会ってからずっと振り回されている手前、しばしクロユリがいない間はゆっくりしていられる……と、強がってみても。寂しいものは、寂しい。しかしながら、クロユリはずっと一緒にいられる相手でもないため、寂しいなどと言っていられない。そうして、束の間の孤独を紛らわせようと、犬塚は本署へ向かうことにするのだった。
***
クロユリがいなければ、マスコミをかわすのも容易い。本署の前に屯す記者達に「ノーコメント」を貫きながら、ようよう久しぶりの捜査本部に赴けば。……そこには何故か悲壮な顔で焦燥しきった園原と、険しい顔をした真田が揃っていた。
「来てくれたか、犬塚」
「……お久しぶりです、真田部長。指示通り、例の鍵も持ってきましたが。……その前に、何があったんですか?」
犬塚の当然の質問に、真田が深いため息を吐く。何か、悪いことを聞いてしまっただろうかと、犬塚がバツの悪い思いをしていると、彼の背後から深山が助け舟とばかりに解説を加えてくれるが……。
「……犬塚さん、お疲れ様です」
「お、おぅ……お疲れ。えぇと……」
「解説しましょう! この空気は……ですね。例の物的証拠が行方不明になっているからなんです!」
「はっ?」
「ババーン」と効果音がつきそうな雰囲気で、深山が説明するところによると。「最重要クラスの物的証拠」が工具箱ごと持ち出されてしまったのだと言う。
最重要クラスの物的証拠……とは当然ながら、東家グループ本社の金庫に保管されていた、鍵付き工具箱の事である。そしてその工具箱には、上林の証言からするに……東家グループと警察の癒着に関わる「汚職」の証拠書類が納められているはずだった。しかしながら、そんな「禁断の箱」は大神咲取締役のご厚意で、警察側で預かる運びでもあったのだが……。
「……それ、持ち出した奴に心当たりはあるんだろうか?」
「大アリですよ。昨日の引き上げの時に、結川さんが運んでいたんですけど……その結川さんごと、行方不明なんです」
帰り道はお説教も含めて、深山の運転する車には真田と園原が同乗しており、他のメンバーは3台の車に分かれて本署へ帰還していたのだという。しかし、いざ帰ってみれば……本署に戻ったのは、3台だけ。残り1台、つまり結川が運転していたセダンが帰ってきていないそうだ。
「結川の車、他に同乗者は?」
「結川さんと同じチームの、周藤さんがいましたよ」
「周藤……? その苗字、どこかで聞き覚えがあるような……?」
確かに、どこかで聞いた気がする名前だと……犬塚は首を捻ると同時に、すぐにお目当ての記憶にも思い至る。周藤……そうだ。宗一郎の妹・三佳の現在の苗字じゃないか。
「犬塚さん?」
「……その周藤って、周藤修哉の縁者だったりするんだろうか?」
「周藤修哉……あぁ! 宗一郎氏の妹さんの旦那さんでしたっけ?」
どうやら、深山もすぐに「周藤」が既に捜査対象の俎上に上がっていたことにも、気づいたらしい。犬塚が同意を示すように頷くと、嬉しそうにニコニコしているが……。
「結川と同じチームの周藤、フルネームは?」
「えぇと……! えぇぇとぉ……!」
「彼女のフルネームは周藤小春。そう言えば……うちのチームには、今年度から配属だったわね」
しかし、咄嗟に「話題の周藤」のフルネームが思い出せないらしい。今度は小さく「あうぅ」と言いながら、シュルシュルと萎れていく深山。そんな彼女の代わりに、萎れるばかりかと思われていた園原が答える。彼女によれば、周藤小春は勤続5年目。それなりの中堅どころとして、今回の捜査チームに加わっているのだと言う。
(5年前と言えば、これまた……三佳氏が周藤修哉と結婚した時期だったような……?)
苗字の一致に、時期の一致。ただの偶然であればいいのだが……なんだか、嫌な胸騒ぎがする。
「……今すぐ、結川の行方を追った方が良いかも知れません。結川の携帯電話、GPS追跡はできそうですか?」
「あぁ、それは既にやっている。だが……電源を切られているようで、位置情報の取得は成功していないのだよ……」
「そうですか……」
真田の力ない返事に、犬塚はますます危機感を募らせる。そうして、思わず握りしめた自分の携帯電話が……タイミングよくブルブルと震えているのにも、すぐに気づく。しかし……。
(こんな時に誰だ……うん?)
携帯電話の画面を、やや忌々しげに見つめれば。そこには……「篠崎院長」と、かの変人獣医師の名前が表示されていた。
【登場人物紹介】
・周藤小春
27歳、身長166センチ、体重54キロ。
園原配下の捜査チームの一員で、今回の事件では結川の強い希望もあり、彼と組むことが多かったらしい。
刑事部に所属する前は、交通部門で交通違反の取り締まり等に従事していた。
秀麗な容貌を持つが、反面、控え目な印象があり、あまり表立って目立つ存在ではなかったようである。