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クロユリとの出会い

 あらかじめ、真田が話を通してくれていたのだろう。警察手帳を提示しただけで犬塚の身元を認めると、どうぞどうぞとばかりに訓練所の奥へと通される。

 そうして訓練所職員の案内に従って、見慣れた警察犬達の居住エリアへと歩みを進める犬塚だったが。思いの外、アッサリと面会叶ったものの……やはり、クロユリの傷心具合は非常に深い様子だった。いや、想像以上に絶望的と言って良いかも知れない。


「……クロユリ?」

「……」


 努めて柔らかい声色を意識したが。返って来るのはただただ、息苦しい沈黙のみ。

 彼女は確かに、そこにいた。怯えたように丸くなって、それでも、こちらを見つめる瞳には有り余る警戒の色を忍ばせて。ピクリと耳が動いたのを見るに、自分の名前に反応はするようだが……頑として、クロユリは黙秘を貫く。


「……この子はずっと、この調子なんですか?」

「はい。来た時から、この調子でして。躾がされているのは分かるんですが……餌も食べない上に、声1つ上げないもんですから。どうしてやるのが良いのか、さっぱり分からくて……」

「因みに、この子が見つかった状況はご存知ですか?」

「えぇ、それなりに。……かなり悲惨な状況だったと、聞いていますよ」

「……」


 いかにも温厚そうな、初老の職員によれば。クロユリは飼い主・宗一郎の遺体の側で、伏せをした状態で発見されたと言う。宗一郎の死亡推定時刻は発見からおおよそ2日前とされており、クロユリはその間……飲まず食わずで、ひたすら飼い主に寄り添っていたらしい。発見当初は腹の真っ白な毛も、被害者の血で褐色に変色していたそうだ。


(事件発覚までが早かったのは、良かったが……)


 クロユリは明らかに精神的に参っている。……これは相当のケアが必要だろうと、犬塚は改めて覚悟をしていた。

 宗一郎が独身で同居人もいなかったため、最悪の場合は発見されずに、クロユリも餓死に追い込まれるところだったが……それこそ、宗一郎が愛犬家で通っていたのが幸いしたのだろう。どんなに忙しくとも早朝と夕方の散歩を欠かさなかった宗一郎の姿が見えないと、不審に思った近隣住民からの通報が遺体発見の糸口になったのだ。


(柴犬は頑固で、独立心が強い……その反面、飼い主には徹底的に忠実……か)


 しかし……そもそも、クロユリが吠えてくれれば、もっとスムーズに見つかったのでは? それに、彼女は事件当日……どこにいたのだろう?


「その状況だと、クロユリは事件当時も被害者と一緒にいたことになりますが……その間、彼女はどこにいたのでしょうか?」

「今は丸くなっているから、見えないでしょうけれど……クロユリの両前脚は爪が全部、削れていまして。肉球も一部、剥離しています。……おそらくですが、事件当時は屋敷の防音室に閉じ込められていたようですね。分厚いドアを掘って、脱出した形跡があったとか……」

「……!」


 悍ましいまでの執念である。

 犬塚自身はまだ、現場には直接足を運んでいないとは言え……彼女の無念がありありと浮かぶような錯覚に囚われる。


「そうか。お前……頑張ったんだな」

「そうですね。……この子は相当に、頑張ったと思いますよ」


 クロユリは未だに、動かない……いや、動けないのだ。前脚に事件の傷跡も深く残しているとなれば、しばらくは歩くことさえできないだろう。


「とにかく……クロユリは俺の方で見ることになりました。ここにいる方が安全かも知れませんが……」

「心のケアには、向いていないかも知れませんね。他の犬の存在も気になるでしょうし、そもそも、訓練所ですから。この子だけを手厚く見てやれないのが、正直なところでして……」

「分かっていますよ。俺もかつては、相棒がいた身ですから。……犬の事も、訓練所の事も、よく存じているつもりです」


 職員に促され、犬塚はいよいよクロユリに歩み寄る。そっと頭に触れると、ピクッと四つ目(麻呂眉)が跳ねたが……やはり、躾が行き届いているのだろう。吠える事もせず、無駄な抵抗もせず……ようよう犬塚に抱き上げられるクロユリ。


「……随分と軽い。これはしばらく、たらふく食わせてやらないといけないな?」

「……(フス)」


 敢えて戯けた風を装ってクロユリに話しかけても、目ぼしい反応はないが。それでも、諦めにも近い鼻息が漏れたのにも気付いては、よしよしと犬塚は彼女の背を撫でてやる。


「それじゃぁ、この子は預かっていきます。元気になったら会いに来ますんで、その時はよろしく頼みます」

「もちろん。その日が来るのを、楽しみにしていますよ」


 どこか安心した表情の職員に見送られ、訓練所を後にする。バックミラー越しにだんだんと遠ざかっていく訓練所を見つめながら、犬塚はクロユリとのこれからの生活に思いを馳せるが。そのクロユリは疲れているのか……後部座席にあらかじめ用意してあった犬用シートの上で、大人しく目を閉じていた。


(頑固だが、いい子で助かったな。……この調子であれば、上手くやっていけそうだ)


 ハンドルを握りながら、クロユリの様子を窺いつつ……犬塚も安堵の息を漏らす。しかし、そんな彼女が重大な秘密を握っているとは……その時の犬塚には、知る由もなかったのである。

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