クロユリは油断ならない
そう、簡単には行かないか。だが、収穫はしっかりあった。
片っ端から電話をかけてみたところで、口を割る獣医はそうそう居やしない。もちろん、犬塚とて……それは織り込み済みだ。警察だと名乗るでもなく。クロユリを預かっているだなんて、言うまでもなく。ただただ、電話口の相手が純粋に「巷で噂のお嬢様」を知っているかどうかが、分かればいい。
(本当は「青い指輪」をした女性が訪ねて行ったかどうか……が焦点なのだが。まぁ、それも含めて……個人情報をスラスラ吐くわけないよな。それでも……)
受話器の向こう側から伝わってくる僅かな間隔と、気まずい息遣い。それらを緻密に聞き分けることで、犬塚は間違いなくクロユリを知っていそうな獣医にアタリをつけていた。容疑者だけではなく、数多の参考人をも相手にしてきたのは、今に始まった事ではない。
(悪いな。……俺だって、伊達に聞き込みに慣れているわけじゃないんだ)
嘘をつくのが、上手い者。不都合を隠すのが、達者な者。そして……自分の虚構を現実と勘違いしてしまえる、天性の盲信者。嘘の形も千差万別なら、不都合の隠し方も十人十色。しかし、犯罪の現場という舞台において……最後まで嘘を演じ切れる者は少ない。何せ、観客は一般人だけじゃない。その観客席には警察官という、プロの評論家が知れっと混ざっているのだから。それも……一般人の顔をして、傍観者のフリをして。負けじと偽りを作り込んで、こっそり手薬煉引いて。今か今かと、ボロを出すのを待ち構えている。
犬塚はそういう意味では、非常にタチの悪い評論家になり得るだろう。目利きであり、鋭敏であり……温和と見せかけて、手抜かりはない。僅かな違和感さえ、取りこぼしも少ない。
(なるほど。宗一郎氏は、すぐ近くの動物病院にお世話になっていたんだな)
そうして、感覚をフル稼働させて……割り出したのは、弥陀動物病院。それなりに大きな動物病院らしく、個人経営ではあるものの……ホームページの情報を見る限り、この近辺では大きい部類に入る、篠崎動物クリニックと同規模の病院だと考えていい。
(さて……と。この先、どうアプローチするか……だが)
思い倦ねる犬塚の膝上には、当然のように丸くなっているクロユリ。しかし……時折、ピコピコと耳を動かしているのを見るに、無関心を装っていても、こちらが気になって仕方がない様子。次はどうするんだと、視線で訴えてくる。
「どうしようかなぁ。まだ、在宅勤務が解けないし……。しかし、外に出られないのは厳しいものがあるな……」
「キュゥン……」
「別にお前のせいだって言うつもりはないぞ? あっ。そうだ、こういう時は……」
餅は餅屋……ならぬ、獣医は獣医に相手してもらうに限る。
「……どうしたんだ、拓巳。ついさっき、色々と話してやったばかりじゃないか。……そんなに俺が恋しいのか?」
「いや、そうじゃなくて、ですね……。と言うか、気色の悪い事を言わんといて下さい……」
「あ? これのどこがどう、気色悪いんだ?」
相変わらず、篠崎の感性についていくのは骨が折れる……と思いつつ、しっかりと相談事と頼み事を伝えてみる犬塚。人との付き合いは、丸ごと面倒臭がる篠崎ではあるが。可愛いクロユリのためならば、仕方ないと……意外と前向きに、聞き込みに意欲を示す。
「そういう事なら、任せておきな。クロユリちゃんの既往歴を確認するついでに、怪しい奴に付き纏われて困ってる……って、向こうさんに粉かけてみるわ」
「それは頼もしい限りですが……そこまで、できます? 先方の院長、先生の知り合いでもなんでもないのでしょう?」
「んな、とっかかりは適当に作るさ。クロユリちゃん、うちで診た時には前足に大怪我してたんだけど……オタクさん、何やらかしたんだ……って、脅しゃいいだろ」
「いや、脅すのはダメでしょう、脅すのは」
「そうか? ファースト・インプレッションは大事だぞ? 怖がらせときゃ、アトアト何かとスムーズだと思うが」
「……先生。それ、お医者様の発言じゃないですよ……」
……相談する相手を間違えただろうか? 犬塚がほんのり後悔し始めたのと同時に、犬塚の気分に反比例するかのように……篠崎はやる気もやる気らしい。面白いことになってきた……と、不気味な笑いを漏らしている。
(ま、まぁ……檀さんも、電話越しじゃ手も出ないだろうし……暴力沙汰にはなりようもないか……)
クタクタのヨレヨレな見かけの割には、篠崎は人に対しては喧嘩腰であることがよくあるのだ。特に、飼い主の不注意でペットの容体を悪化させたとならば、烈火の如く怒る、怒る。それはある意味で、獣医としては真っ当な姿勢なのだろうが……彼の場合は人には冷徹すぎるのが、少々考えものだ。
(って、おや?)
一抹の不安を拭えないまま、パソコンの画面に視線を戻せば……新着メールの通知が表示されている。そうして、受信ボックスを確認すると……メールの送信者は真田となっていた。
(そう言えば、何か分かったらメールをくれるって……言ってたな)
しかし、メールを何気なく開いたは良かったが。中に踊る内容に、今度は驚かされてしまう。
***
執務室の金庫を開けてみたが、中には施錠式の工具箱が入っていた。
鍵がないので、開けられないままなのだが……大神咲取締役のご好意もあり、警察にて重要証拠品として預かることになった。
その工具箱だが、犬塚君の依頼で深山君が調べてくれた鍵番号が刻印されていてな。
つまり……宗一郎氏のヴァイオリンの鍵と、工具箱の鍵は共通のものと思われる。
そもそも、どうして深山君に鍵番号を調べるよう依頼したのか、聞かされていない。
心当たりがあるのだったら、教えて欲しい。
***
「クロユリ、お前……もしかして、あの鍵がヴァイオリンだけじゃなくて、金庫の鍵だったことも知っていたのか……?」
「フス……」
犬塚の呟きに、チロリ意味ありげな視線を送るクロユリ。そんなお嬢様は「さぁて、どうでしょう?」と言わんばかりに首を傾げて、お茶目な顔をしている。
「全く、仕方のない奴だ。……鍵の事はそろそろ、真田部長には伝えてもいいかもな。お前も、それでいいな?」
「……フスン」
素っ気ない、短い鼻息の返答。だが、拒絶の唸り声を上げないのを見ても、彼女もそれなりに了承してくれたと考えていいだろうか。
(金庫の中には、汚職の証拠が入っている……だったな。さて……この先、その現実がどう転ぶんだろうか……)
まるでパンドラの箱だと、犬塚は皮肉混じりにため息をつく。渦中の金庫は開ければ間違いなく、取り返しのつかないことになる。だが、一方で……ひと匙だけ残った希望を、掴み取るためには開けなければならない。宗一郎氏が殺された理由がもし、汚職を隠蔽するための口封じだったとしたならば。……その希望は、重要な証拠に化ける可能性も高い。




