クロユリは獣医と結託する
「ふぅ……」
真田からの急な依頼もソツなくこなし。犬塚はコーヒーでも淹れようかと、キッチンへと向かう。しかしながら、そんな彼の足元にはピタリとくっつくように、クロユリが付いて来て……何かをねだるように、ジッと犬塚を見上げている。
「うん? ディナーの時間にはまだ早いぞ、お嬢様」
「……(フス)」
そっけない、鼻息の返事。別に空腹じゃないもんと言いたげだが、クロユリはちょっぴり「口寂しい」様子。お利口に犬塚の足元にお座りしては、尚もつぶらな瞳で彼を見つめていた。
「キュゥン……」
「分かった、分かった。そんなに悲しそうに見つめられたら、辛いじゃないか。えぇと……」
自分のコーヒーの前にお嬢様のおやつを取り出して、ちょっぴり高級な「ヒメタラの丸干し」を差し出せば。あの気取ったクロユリさえも、口を大きめに開けてかぶりつくのだから……グルメな彼女も相当、気に入っているようだ。
(これ1袋で、俺の昼飯代くらいなんだよなぁ……)
犬用のおやつは意外と高くつく。そんなことをぼんやり考えながらも、インスタントコーヒーにお湯を注いでいると、ブルブルとローテーブルの上で携帯電話が震えているのにも気づく。カップ片手に、着信相手を確認すれば。……画面には「篠崎院長」と表示されていた。
(檀さんが何の用だろう? 向こうからかけてくるなんて、珍しい)
いずれにしても、待たせるわけにはいかないか。そうして、犬塚は何の気なしに「通話」ボタンを押すが……。
「拓巳か?」
「はい、どうしましたか? 檀さん」
「……クロユリちゃんは無事だろうな?」
「えっ? そりゃ、もちろん。無事も無事ですけど……」
「本当か? 本当に、本当に、本当か? 念の為……クロユリちゃんと代わってくれるか」
「……はい?」
代わるも何も、いくら賢いとは言え……相手は犬なのだが。クロユリと代われとは、これ如何に。
(また、変なことを言い出して……。檀さんも相変わらずなのだから……)
しかしながら、電話の向こうで篠崎がウキウキと待っていることも容易く想像しては、仕方なしに携帯電話をクロユリに向ける犬塚。今後のことを考えれば、篠崎のご趣味にもお付き合いしておいた方がいいだろう。
「ほれ、クロユリ。檀先生がお前の声を聞きたいんだって」
「……フシュ」
「クロユリちゅわぁぁん! お元気にしてましたか〜!」
「キャウ、キャウン!」
「そう、そうでしゅか〜! お利口ですね〜!」
「ハフ。キャフフ……!」
(これ、まさか……会話が成立しているのか……?)
携帯電話を持ったまま、気色の悪い猫撫で声(この場合は犬撫で声か?)の素っ頓狂な様子についつい呆れてしまう犬塚。それでも、クロユリの方もおやつ効果があるせいか、意外とご機嫌な様子で篠崎に応じるものだから……犬塚は1人、脱力してしまう。
「うん、うん。クロユリちゃんが元気そうで、先生安心しました〜! それじゃ、下僕と代わってくれるかな〜?」
「キャフン!」
「……下僕って。それ、俺のことですか……?」
しかも、極め付けに保護者を下僕と言い換えて。篠崎もクロユリも、勝手に結託した様子で尚もご機嫌麗しい。一方で……妙に不名誉な扱いを受けつつも、先生のご要望通りにお電話を代わる犬塚だったが。もちろん、彼としては扱いの差に釈然としない。
「もう……クロユリに変なことを吹き込まないでください。それでなくても、結構ワガママなんですから」
「犬はワガママなくらいの方が可愛いぞ」
「はぁ……左様ですか。それで? ご用件は何でしょうか。まさか、クロユリの声を聞きたいだけではないんでしょう?」
「……あぁ。そうだな。さっさと本題に入ってしまおうか。実は……午前中に、妙な客がやってきてな」
「妙な客?」
「俺のクリニックに、新しく黒柴の患者が来ていないか……って、名乗りもしねぇ若い女が訪ねてきたんだ」
「若い女性、ですか? それに黒柴の患者って、もしかして……」
「そうだな。……多分、奴の言う黒柴はクロユリちゃんの事だろう」
電話口の向こうで、篠崎はやれやれと首を振っている様子。そんな彼によれば……その若い女は明らかに、クロユリの行方を探している雰囲気だったとのこと。そんな怪しい珍客もあり、確認と警告の意味もあって、篠崎はこうしてわざわざ電話を寄越したらしい。
「拓巳がついているのだから、余計な心配は要らんことも分かっているんだが。……一応、な。変な奴が来たって事だけ、伝えようと思って。あっ、因みにな。その女、黒ずくめの格好ではあったが、妙にでっけぇ石の付いた指輪をしてたぞ。……多分、それなりの小金持ちじゃないかな、ありゃ」
「でっけぇ石って……きっと、石は石でも、それは宝石だと思いますよ。ところで、その石は何色でしたか?」
「あん? えぇと……深いブルーだったな」
黒ずくめともなれば、身元を明かしたくない意識もそれとなく、窺えるというもの。それなのに、動物以外にはあまり興味を示さない篠崎が覚えている程に、目立つ石が付いた指輪ともなれば。……肌身離さず身につけておきたい品物なのか、或いは……。
「ところで、その女性には何とお答えしたんですか?」
「ハッ、もちろん華麗に追い返してやったぞ? 当院ではお犬様のプライバシーを公開するつもりはございません。部外者に教えることは一切ねぇから、トットと帰りやがれ……ってな」
「アハハ……ですから、その扱いの差はどうにかなりませんかね?」
「ならん」
最後はいかにも篠崎らしいお言葉をいただいて。一旦は終話する犬塚。しかし……妙に、引っかかる。
「キュゥン?」
「あぁ。ごめんな、クロユリ。別にお前が心配するようなことは、何もないからな」
「……ハフ……」
結局は口をつける間もなく、冷めてしまったコーヒーを啜りながら。どことなく、不穏な空気を感じとる犬塚。
確かに篠崎の動物病院は警察犬訓練所からも程近く、警察官がそこから犬を引き取ったとあれば、自然と「かかりつけ医」として候補に上がる立地ではあるだろう。だが一方で、クロユリはかつては高級住宅街に住んでいたお嬢様でもある。であれば、元麻布エリアの動物病院も「聞き込み対象」に含めるべきだろう。いや、もしかして……。
(既に、そっちは調べ切った後かもしれないか……?)
そこまで考えて、残りのコーヒーを啜るのもそこそこに。パソコンに向かっては、検索窓に「元麻布 動物病院」と入力する。直接の訪問はできずとも、ある程度の話が聞ければいい。「青い石の指輪」をした女性が訪ねていかなかったか……片っ端から電話してみようと、犬塚は携帯電話に手を伸ばした。