クロユリが預かり知らぬこと
「まさか、その程度の証言で令状なしの家宅捜索をやらかしたのか……?」
「えぇと……」
東家グループ日本橋本社の、会議室の一角。園原から家宅捜索に踏み切った「証拠」の正体を聞いて、真田はもう怒る気分にもなれず……ただただ、呆れるのみだった。
「申し訳ありません……でも、結川君がヴァイオリンの鍵が犯人に繋がる証拠だなんて、言うものですから……犯人に逃げられる前に、手を打たないとと思いまして……」
「えっ⁉︎ 僕はそこまで、言っていませんって! 確かに、こちらで聞き込みをした結果からしても、怪しい証拠品ではあったみたいですけど……」
少し問い詰めたら、この体たらくである。互いに責任転嫁を繰り広げながら、園原に至っては、いよいよ涙ぐむ始末。その様子に……真田は情けなさ過ぎて、泣きたいのはこっちだと、涙の代わりに深いため息を漏らす。
しかし一方で、彼女達が「証拠」を掴んだと勘違いさせたのが、自分の不注意だともなれば。……深山も、なんだかやるせない気分になってしまう。
(結川さんにメールを見られたのが、こんな事になるなんて……)
園原の「言い訳」を要約すると……元はと言えば、結川が「犬塚がヴァイオリンの鍵に固執しているらしい」事を彼女に吹き込んだから、らしい。そうして、手当たり次第に「聞き込み」をしたところ……大神咲もヴァイオリンに注視していたことを嗅ぎ当て、こうして直談判の上で本社に乗り込んだそうな。だが……。
「大神咲取締役。あのヴァイオリンの持ち主はあなたではないことが分かっています。……どうして自分が持ち主だと、嘘をついたのです」
そう、そもそも渦中のヴァイオリンの持ち主は大神咲ではなく、上林(正しくは彼女の母親)だった。真田はこの場で全てを共有するつもりはないが。その上林からは汚職についての話も聞かされていた手前、大神咲が癒着相手だったのだろうと、思いかけていたが……。
「いや、別に嘘をついたつもりはなくて……だね。私は、あのヴァイオリンのご利益にあやかりたかったと言うか……」
「ご利益……ですか?」
一気に容疑者最有力候補に躍り出た大神咲の口からは、あまりに予想斜め上の答えが返ってくる。なんでも……宗一郎のヴァイオリンにはちょっとした逸話があったらしく、宗一郎と同じように「優秀な人材」を引き寄せようと、嘘をついてしまったとのこと。
「あはは……本当に情けない事ですが。是非に上林君には残って欲しかったんですけど……逃げられちゃいましてね。会長がいない東家に残る意味はないと、退職願も早々に出されてしまったものですから……。実を申せば、彼女が抜けた穴を埋めることができず……総務部も相当に混乱しておるのです……」
大柄な体躯を苦笑いで揺らしながら、大神咲が悲しげに嘆く。
天下に名を轟かせる大企業ともなれば、1人2人の欠員くらい、組織力ですぐに埋められるはずである。だが困ったことに、東家グループは宗一郎による典型的なワンマン経営でもあった。彼はクロユリの生活を心配こそすれ……企業の心配は、あまりしていなかったらしい。自分がいなくなった時、ここまで会社が立ち行かなくなると、思ってもみなかったのだろう。
それでなくても、東家グループの人選はほぼほぼ会長の慧眼によるものであったし、一方で宗一郎の趣味の時間を捻出するために、上林が留守を守っている間の想定外に完璧に対応してきた。しかし……今の東家グループには頭脳明晰な会長もいなければ、彼の片腕でもあった優秀な秘書もいない。東家グループは今、内部的な意味で経営難に陥ろうとしていた。大神咲の言葉を借り、大袈裟に拡大解釈をするならば。……東家グループの経営は宗一郎と上林とで保たれていた事に、他ならない。
「一度だけ、会長のお宅にお邪魔した時に……あのヴァイオリンについて、聞かされたことがありまして。ちょっとした縁があって買い取った品物だったが、そのお陰で優秀な人材を引き当てることができたと、思わぬ幸運に恵まれたのだと……会長が珍しく、嬉しそうに話していたものですから。気難しい会長をして、そこまで言わせるとなると……あのヴァイオリンを持ってさえいれば、上林君を呼び戻せるのではないかと……」
「……それは上林さんご本人に聞くべきことでしょうに。因みに、あのヴァイオリンは上林さんのお母様の遺品だと、証言が取れています。ですので……捜査が完了した暁には、上林さんにお返しする予定ですので、大神咲取締役にはお渡しできません」
「あぁ、なるほど。……ちょっとしたご縁とは、そういう意味だったのですね」
こりゃまた、面目ない。大神咲が苦笑いと同時に、肩を落とす。
ヴァイオリンの返却を条件に、勢い余って警察への全面的な協力をしてみたはいいが。企業側も警察側も、これ以上ない程の「情けない内部事情」を曝け出したとあっては、ここはいっそのこと……ついでに、上林の証言も確かめてしまった方がいいかと真田は思い直す。
「……仕方ない。ここは1つ、緊急性を捻出して、捜査令状を後出しにするか……」
「えっ? 真田部長、そんな事、できるんですか?」
「うむ。……実を申せば、ヴァイオリンに手がかりがあるのは事実なものでな。とは言え……場合によっては、別の事件の証拠にもなるかも知れんが」
「ほえ? それって、つまり……?」
しかしながら、深山の疑問に真田はすぐに答えようとはしなかった。そうして、不思議そうにしている深山を置いてけぼりにしながら、真田が早速、とある相手に電話をかけ始める。
「あぁ、犬塚。急で済まないが、至急捜査令状の手配をとってくれんかね。……そう、そうだ。例のヴァイオリンの絡みでな。詳しい事情は後で共有するから……執務室の金庫について、家宅捜索の書状要請を頼む」
最後に真田が満足げに頷いたのを見るに……犬塚は少ない言葉数でも、大凡の事情を把握したらしい。そうして、電話を切ると同時に、大神咲に向き直る。
「大神咲取締役。厚かましいお願いで恐縮ですが、令状が発行されたら、改めて執務室への侵入を許可していただけないでしょうか」
「えぇ、それは構いませんよ。私としては、最初から隅々まで調べていただくつもりで、捜査もお願いしていましたし……」
「左様でしたか。そう言っていただけると、非常にありがたいのですが……本来の手続きもせずに、強制捜査に踏み切ってしまった事には変わりありません。……この度は誠に申し訳ございませんでした」
「なに、気にしないでください。私も嘘をついた部分もありますし。勢いでやらかすのは、人間、1度や2度くらいあるものです。この位の事、気にせんといて下さい」
真田が下げた頭の上から、大神咲の非常にありがたいお言葉が降ってくるが。しかしながら、園原の場合は「勢いでやらかした結果」のリスクが大きすぎる。そうして……頭を下げながらも、真田はこちら側も内部的に難があると思わずにはいられないのだった。




