クロユリは出番なし
「園原くんかね?」
「はい、こちら園原です。真田部長、お疲れ様です」
「……お疲れ様、じゃないだろう。君は今、何をしているんだ?」
助手席で、いつになく険しい顔をしていた真田だが。何度かのコールに末に、ようやく園原が出た途端に、更に険しい表情を見せる。心なしか……声にも、険しい響きが込もっている様子だ。
(うわぁぁ……真田部長、怒っているかも……!)
普段はお怒りとは縁遠いはずの、珍し過ぎる警視長の様子に……深山はとにかく運転に集中しようと、窓の外を窺いながらハンドルを握るものの。デパートやハイブランドのフラッグショップが立ち並ぶ、煌びやかな大通りを行けども……当然ながら、深山は気が気ではない。
「……東家グループへの一斉捜査を展開していると聞いたが、本当か?」
「えぇ、証拠も揃いましたし、大神咲取締役からも許可を得て……」
「問題はそこじゃない。……捜査令状、きちんと取ってあるんだろうな?」
「ですから、任意で捜査に協力していただいています。令状はなくても、問題な……」
「馬鹿者ッ! 家宅捜索は任意だろうと、なかろうと、令状なしでの執行は許されんのだぞ⁉︎」
「……えっ?」
漏れ聞こえてくる間抜けな声を聞く限り……どうやら、園原は令状主義を知らなかったらしい。
(園原課長、やっちゃったかも……?)
「令状主義」を知らなかった点では、深山も同類と言えば、同類である。しかしながら、実際に「事に及んでしまった」時点で、園原のやらかし具合は深山の比ではない。
家宅捜査はどんな場合でも「強制捜査」に該当するため、家主(この場合は取締役だが)がいくら「どうぞどうぞ」と歓迎してくれたとしても、基本的には令状なしでは成り立たない。もちろん、緊急を要する場合(現行犯逮捕や、被疑者が逃亡する可能性が高い等)は後出しで令状を発行し、受理されるケースもあるが……無論、今回の勇み足には適用されないだろう。
「……とにかく、捜査は一旦中止だ。今から、私もそちらに向かう。……君達がどのような証拠を掴んだのかという事と、どうして園原くんがこんな勝手な判断をしたのか、説明してもらうぞ」
「……」
有無を言わさぬ物言いと同時に、電話を切る真田。さも疲れたというようにため息をつくと……やれやれと、首を振る。
「えっと……真田部長。もしかして……園原さんのチームって、こちらに対抗心燃やしてたり、します?」
「……深山君も気づいたか。おそらく、そうだろうな。あまり気分の良い話ではないが……園原君は噂通り、あまり出来のいい警察官ではなくね。キャリアとして採用されてはいるが、実を言えば……警視総監の親戚だというコネありきで、と言うのが本当のところだろうな」
「えぇッ⁉︎」
「まぁ、私だって納得はしておらんがな。警察組織も所詮、人間の集まりだ。もちろん、園原君もしっかり警察学校を卒業しているのだから、立派な警察官ではあるのだけどね。……ただ、誰かの上に立てる人材ではないだろう」
「……」
「おっと! 今の話は、口外しないでくれよ?」
ようやく、いつもの「気のいいおじさん」に戻った真田が戯けて見せるが。……深山はとてもではないが、笑う気分にはなれなかった。
深山も同じ署内で働いているのだから、園原の「困ったちゃん加減」はそれとなく、知っている。園原は何かと、成果を上げることへのこだわりが強く、とにかく犯人を検挙したがる悪癖がある。もちろん、逮捕するべき犯人が合っていれば、問題もないのだが……園原の場合、誤認逮捕をしそうになったこともあるため、同僚としては危なっかしくて見ていられない、が本音だろう。
「その上で、例の事件で犬塚に出し抜かれたのが、相当に悔しかったようでな。園原君は手柄を横取りされたと、憤慨していたようだ」
「いや……あれはどちらかと言うと、園原課長は犬塚さんには感謝しないといけないと思いますよ……。結果的には、園原課長の誤認逮捕も防いだんですから」
「……普通はそう考えるよな。だが、園原君にそれは通用しないのだよ」
乾いた笑いを漏らしながら、真田はまたもやれやれと首を振る。
真田達の共通認識でもある「例の事件」とは、新宿・歌舞伎町界隈に出没していた麻薬取引グループの一斉検挙・逮捕のことであり、彼らのバックに大規模な暴力団組織もついていた事も絡み、昨今の凶悪事件の中では最大級の逮捕者数・負傷者数を出している。そして……犬塚が相棒を失った事件でもある。
実行犯グループの逮捕に漕ぎ着けたは良いものの、最初から彼らは「捨て駒」でもあったのだろう。主犯格と目される人物から証言を得る頃には、暴力団の事務所は鮮やかに引き払われた後であり……主力構成員は丸ごと、行方知れずとなってしまう。しかし、警察は彼らの逮捕を決して諦めなかった。そうして、現場にいち早く投入されたのが、麻薬検知にも大活躍だった警察犬と相棒の警察官による5組のバディである。
そんなバディの1組・犬塚とリッツ号のコンビは見事に、もぬけの殻だった事務所に残ったわずかな痕跡……独特な葉巻の匂いが染み付いた航空会社の封筒から、主犯格でもあった暴力団組長が「高跳び」しようとしていることを突き止め、一味の逃亡を阻止することに成功する。だが、彼らも大人しく捕まるつもりもなかったのだろう。一網打尽を前に、彼らの破れかぶれの抵抗は警察側にも相当人数の負傷者を出した。人間の死者こそ、なかったが。……その際に犬塚を庇ったリッツ号は、帰らぬ英雄となってしまった。
(真田部長も、犬塚さんの前ではこの事件の話はしづらいんだろうなぁ。……犬塚さんもお手柄だったのに、ちっとも嬉しそうじゃないですし)
一方で麻薬取引とは別に、実行犯の証言からは暴力団への献金問題も浮き彫りになっていく。この事件は、暴力団関係者の検挙だけでは飽き足らず、大手銀行の「よろしくない取引」も炙り出した。最初は麻薬取引の糾弾が発端だった事件は、いつしか、後ろ暗い「金の動き」までも抉り出す相当にショッキングな逮捕劇へと変貌していったのだ。そうして、大手銀行の幹部が反社会的勢力への利益供与に関わっていたこともあって、当時の幹部達は頭取も含めて辞職に追いやられていく。そんな中……。
「……園原課長、全然関係のない会社の社長さんを逮捕しようとしたんですよね……。えっと、あの時は……例の銀行と大口取引があったから、が逮捕理由でしたっけ?」
「そうだったな。犬塚が暴力団幹部を押さえてくれたから、まだ暴挙に及ばずに済んだが。あれで逮捕に至っていたら、園原君だけではなく……私の首も飛んでいたかも知れんな」
「あ、あははは……冗談に聞こえないから、怖いですね」
本人はどこ吹く風と、同じ轍を踏み抜こうとしているようだが。警察も一般企業と同じように、社会的な組織でもある。……1人の暴挙で、同僚がとばっちりを受けることも、往々にしてあり得るのだ。