深山はクロユリに思うところがあるらしい
犬塚が役員達の情報と睨めっこしている、その頃。真田は上林の証言を確かめようと、証拠品保管庫に足を運ぶついでに……何故か、深山に捕まっていた。
「……そう、ですか。犬塚さん、そんなにクロユリちゃんにベッタリだったんですか?」
「あ、あぁ……確かに、ベッタリだったかも知れんなぁ。アハハ……」
「ふ〜ん……」
証拠品を保管している倉庫が本署とは、やや離れている場所にあるため……今度は深山が運転する車に乗り込んだはいいが。今回は可愛いお供もいないため、運転手のなんとも言えない圧に助手席でただただ縮こまるしかないのが、切ない。
「それはともかくとして……今更、証拠品を確認するなんて、どうしたんです? 宗一郎さんの遺留品は全部、鑑識が入っていましたよね?」
「あぁ。それは間違いないのだが……まぁ、いい。深山に話す分には、問題ないか。犬塚が妙に、ヴァイオリンの不自然さを気にしていてな」
「ヴァイオリンが不自然、ですか?」
不思議そうな声をあげる深山に、犬塚が「気づいたこと」を順番に説明する真田。宗一郎が持っているにしては、ヴァイオリンがあまりに普遍的な品物だったこと。それなのに、一般的なヴァイオリンが大切そうに保管されていたこと。
「犬塚がそこまでヴァイオリンに注目する理由は、私にも分からんのだがな。君も知っての通り、犬塚は現場検証のプロだ。視点そのものが、我々と違う部分がある」
「そうですね。犬塚さんは私達がスルーしちゃうことでも、拾い上げるような人ですし。嗅覚そのものが違うんですかねぇ……」
名前が犬だけに、鼻が利く……は言わないでおくべきか。少なくとも、深山が犬塚に並々ならぬ思いを抱いているのを真田も知っている手前、ここは純粋に彼女なりの敬意だと受け取っておこうと考える。
「それで、な。そんな犬塚が、秘書の上林が何か知っているかもと言うもんだから……実は一緒に、上林に事情聴取に行ってきたんだ」
「えっ、そうだったんですか⁉︎」
しかし、深山は真っ直ぐな分、おっちょこちょいな部分がある。今度は驚きのあまり、ハンドルを握りながら助手席の方を振り向くものだから……「前! 前!」と、真田に注意される始末。真田としても、自分が連れ出した挙句に事故を起こされたのでは、目も当てられない。
「す、すみませ〜ん!」
「全く、深山君はそそっかしいのだから……。クロユリちゃんがいたら、即座に怒っていたかも知れんな」
「って、ことは……何ですか? その事情聴取……クロユリちゃんも一緒だったのです?」
「あ、あぁ……(あっ、しまった……!)」
視線を前に戻しながら、剣呑な空気も取り戻す深山。そんな彼女の隣で……またもや、真田は体を強張らせると同時に、嫌な汗をかく。
「えぇと、な。上林が聴取に応じる条件が、クロユリちゃんの同伴だったもんだから……」
「へぇ〜……そう言えば、犬塚さんがこんな事を言っていましたね。クロユリちゃんは女性の声が苦手、って。じゃぁ、随分と吠えたんじゃないですか? クロユリちゃんは」
「いや、そうでもなくてな。上林相手には吠えるどころか、嬉しそうに尻尾を振っていたぞ」
「なんですって⁉︎」
「いや、だから! 前、前ッ!」
このままでは、命が危ない。やや興奮気味の深山を落ち着かせる意味でも、真田は路肩へ車を寄せるよう指示する。そして、深山も危ない自覚があるのか……深呼吸をしつつ、車を寄せてはブレーキを踏んだ。
「……あっ、でも……そうなると、今から保管庫に向かっても無駄かもしれません……」
「え? 深山君、それは一体……どういう意味かね?」
クロユリと上林の「癒着」に興奮していたかと、思えば。深呼吸ついでに、深山が真田が出かけていた間の出来事をポツリポツリと話し出した。
「ヴァイオリンで思い出したんですけど、そう言えば……園原課長が結川さんと一緒に、ヴァイオリンを持ち主に返すって言っていた気がします……」
「はっ? 園原君が……結川君と? そもそも、あのヴァイオリンは上林のお母さんの遺品だということが、先の事情聴取で分かったばかりなのだが……?」
「えっ? そうだったんですか? でも……結川さんの報告では、ヴァイオリンは大神咲取締役の持ち物だったと分かったそうで……ご本人のご希望により、お返しすることにしたと言っていましたけど。それで、ついでに東家グループ本社も調べ尽くすって……」
「……!」
なんでも、真田がいない間、犬塚・深山達とは異なる捜査チームにて新しい証拠を掴んだとかで……警視庁本部課長の園原梓による指揮で、東家グループへの一斉捜査が展開されていると言う。
「あれっ? もしかして……真田部長、ご存知なかったのです? 私、てっきり園原課長からお話が行っているとばかえり、思っていましたけど……」
「私は知らんぞ、そんなこと……! まさか、そんな大々的な捜査を園原君の独断で実行したと? 第一、令状はきちんと発行されているのだろうか……? 絶対に、ついででやっていいことじゃないぞ……!」
真田が上林に対して要請したのは「任意による事情聴取」のため、令状発行は必要ない。きっと、彼女には後ろ暗いこともなかったのだろう。上林は真田の依頼にスムーズに応じて見せたし、一方……警察側も彼女の自宅にお邪魔したところで、物品の押収は一切していない。
しかし、家宅捜索の場合はそうもいかない。相手が個人だろうと、企業だろうと……あらかじめ裁判官による認可の上で発行される令状が必要となる。もちろん、要請内容が緊急性を伴う捜索であれば、1時間程度で発行可能な書状ではあるが……まだ容疑者さえ絞り切れていない状況で、易々と発行される代物ではない。
「あっ、それに関しては心配いらないと思います……。何でも大神咲さんにご了承いただいているとかで、強制捜査じゃなくて、任意みたいですし……」
「任意だって? ちょっと、待て。任意だろうと、物品の押収が絡む場合は令状主義に違反するだろうに……」
「そうなのですか? えっと……もしかして、これ……結構、不味い状況です?」
「うむ、かなり不味い。何がそんなに園原君を焦らせたのかは、知らんが……とにかく、すぐに連絡を取らなくては。それで悪いんだが、深山君。……行き先変更だ」
「承知しました。行き先は証拠品保管庫ではなく、東家グループ……日本橋本社、ですね」
個人的な激情も引っ込めて。深山がいつもの頼りになる女性警官の顔を取り戻した横で……真田は携帯電話の呼び出し音に焦りを募らせつつも、疑惑も深めていた。
そもそも……園原や結川がなぜ、大神咲取締役の「個人的なお願い」に応じたのか。そして……どうして、その流れで一斉捜査などと言う、法令違反にもなり得る暴挙に出たのか。何もかもが点と線で繋がらないし、展開スピードもメチャクチャすぎる。
(……まさか、汚職を隠そうとしているのか……?)
署内にブンヤの仲間がいるだろうことは、多少は予想していたが。もし、それが記者ではなく、汚職の仲間だったとしたら。
(急ぐ理由も、捜査を強行する理由も……一応はスジが通る……)
しかし、犬塚もそうだが……彼らがヴァイオリンに行き着いた理由が、どうしても真田には分からない。それでなくとも、上林の証言を得たのは昨日であったし、真田はまだ他のメンバーに事情聴取の結果を共有していない。なので、執務室にある金庫を開ける鍵がヴァイオリンにあると……真田と犬塚以外は、知るはずもないのだが。
【登場人物紹介】
・園原梓
警視庁本部課長、38歳。身長162センチ、体重66キロ。階級は「警視正」。
真田の部下であり、結川チームの捜査班班長。
女性キャリアとして警視庁でも注目の的ではあるが、やや高飛車な言動が目立つ。
衝動的に行動してしまうフシがあり、彼女の抜擢は一種のパフォーマンスなのではないかと、署内でも噂されている。