クロユリは(引き続き)接待する
「なぁ、犬塚。上林の話、どう思う?」
後部座席でしっかりとクロユリを侍らせながら、真田が運転席の犬塚に問う。一方の犬塚は、クロユリが既に諦めに近い悟りの表情をしているのに、非常に申し訳ない気分になりながらも……真田に率直な意見を伝えてみる。
「例の金庫の中身を確認しない事には、判断しかねますが……おそらく、上林はシロだと思いますよ」
「ほぅ。その心は?」
「クロユリが警戒していなかったこともそうですし、何より……遺言書の噛み合わせが不自然なんです」
「噛み合わせ……とな?」
「えぇ。おそらくですが……宗一郎氏は例の遺言書でクロユリを守るだけではなく、上林も守ろうとしたのではないかと思います」
軽やかにハンドルを右に切りながら、犬塚が話を続ける。
「……雰囲気からして、上林は犬を飼っていないように思います。しかし、そんな犬を飼っていないと思われる上林の家には、なぜか犬用の水飲みボウルがありました。スムーズに犬用のおやつまで出てきた時点で、上林はそれなりの頻度でクロユリを預かった事があったのではないかと考えます」
「なるほど。だが……それがどうして、遺言書に繋がるんだ?」
「宗一郎氏の懸念事項はクロユリの生活だったことは間違いないでしょうが、そうなると当然ながら、信頼できる相手に彼女を預けたいと考えるのが、自然ですよね」
「ふむ。言われてみれば、確かにそうだな。あぁ、そういう事か。……つまり、宗一郎氏は敢えて後見人を指名しなかった事で、上林が狙われるのを避けようとしたのか」
「おそらく。……後見人を上林だと明言してしまった場合、間違いなく彼女を相続争いに巻き込む事になるでしょう。それに、上林はこうも言っていました。“過分にお支払いいただいた学費を返すつもりだった”、と。この事から、彼女にはあまり相続には関わろうという意思も見えませんでしたし……それに、あの経歴の持ち主です。転職したとしても、引く手数多かと。……これから先は宗一郎氏の援助がなくとも、1人でやっていけるに違いありません」
そこまで言い切ったところで、犬塚はハンドルを左に切り更に細い道へと侵入していく。
「しかし、やはり犬塚には敵わんな。……私は上林の話を聞くのに夢中で、そこまで気が回らなかったよ」
「それは仕方ないと思いますよ。……何せ、上林の証言には我々にとっても不利な内容が含まれていたのですし」
「うむ……」
それこそ、金庫の中身を確認しない事には、何とも言い難い内容だが。東家グループの汚職……しかも、警察との癒着の証拠ともなれば、流石の真田も頭を抱えてしまう。いくら自身は直接的には無関係だったとしても……警察組織という括りの中で、しかも本部長にも該当する警視長ともなれば。癒着相手が誰であれ、知らぬ存ぜぬを押し通すのは難しい。
「おぉ〜! クロユリちゃーん! この悩めるオジちゃんを慰めておくれ〜!」
「……クゥゥウン……(チラ)」
(すまない、クロユリ。耐えてくれ……! 俺では、真田部長を止められないんだ……)
……この調子では、そこまで心配する必要もない気がするが。自分で「悩める」と言っている時点で、あまり大丈夫でもなさそうではある。
「しかし、本当にここでいいのですか?」
そうして犬塚が車を停めたのは、大通りから外れた細い裏路地であった。そこは真田に指定された場所ではあるが……人を降ろすには、やや寂しい感じも否めない。
「構わんよ。だいぶ下火にはなったが、まだ署の前にはマスコミがウロチョロしている。……署の前まで君に送ってもらう訳にもいかんしな」
「承知しました。では……」
「あぁ。例のヴァイオリンについては、私の方で調べておくよ。何か分かったらメールで連絡するから、それまでクロユリを頼むぞ」
最後はキリッと、本部長の顔を見せる真田。そうして、非常に名残惜しそうにしながらも……犬塚の車を後にするのだった。
***
「ギャギャウ! ギャウ! ギャウ!」
「分かった、分かったから! クロユリ、落ち着いてくれよ……」
「ガウゥゥゥ!」
もし、彼女が喋れたのなら。もしかしたら、こんな感じかも知れない。「何よ、あのスケベオヤジ! お尻触られたんだけど⁉︎」……と。帰宅するなり、文句を言い始めたクロユリは明らかに不機嫌かつ、大激怒している様子。犬塚に頼み込まれて、ようようお怒りを鎮めるものの……そっぽを向いているのを見ても、「タダじゃ許さないワン」と言っているかのようだ。
「ほら、とにかく飯にするぞ。……えぇと、今日は……」
「……(フスン)」
それでも、きちんと腹は減るらしい。犬塚がゴソゴソと冷蔵庫から取り出した食材を炒め始めたところで、クロユリのお小言がようやく静まる。
(……何だかんだで、単純なんだから。まぁ、このくらいの方が可愛げもあっていいか……)
ディナーのメニューは豚バラ肉とジャガイモのソテー……と、格好良く言ってみたところで、ただただ炒めただけのものではある。だが、豚バラ肉は脂が多く、カリカリに焼くとこれ以上ない程に食欲をそそる香りを漂わせるのだ。いくら不機嫌なお嬢様でも、魅惑の香りの前には素直になる。
それでなくても、クロユリはまだまだ痩せ気味である。……ここはしっかりと、カロリーも摂取させるに限る。
「はい、お待たせ。……一応、言っておくと。お前の飯代は、さっきの真田部長のご厚意から捻出されているんだぞ。ちょっとは感謝しろよ」
「……(フン)」
鼻先で不満げな息を吐きつつも、いつも通りにお上品な様子で餌を口に含むクロユリ。よくよく見れば、今日のメニューは満足していると見えて……尻尾がピコピコ揺れている。
……何だかんだで、犬は可愛いものである。態度はツンケンしていても、尻尾はとても正直なのがよろしい。