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戦火の連鎖

【1940年 6月 22日 フランス コンピエーニュの森】 


ノイシュバーベンラントに向けて船団が出発した約9ヶ月後、彼らの祖国ドイツは侵攻不可能といわれていたアルデンヌ地方の深い森をあっさり突破して、フランス東部に侵入。イギリスのダイナモ作戦によって英大陸派遣軍は取り逃がしたものの電撃戦で瞬く間にフランス各地を制圧し、ついにはほぼ無傷のパリに入城した。


そしてこの日ヒトラーは独仏休戦協定を締結し、一次大戦では叶わなかった大国フランスの征服に成功した。西ヨーロッパを制圧したヒトラーはその矛先を海峡の向こう側へと向けた。


8月13日にゲーリング空軍総司令官はアシカ作戦における制空権を確保するための対英航空戦の開始を指示した。しかし当初の予定通りとはいかず、イギリス空軍(RAF)の激しい抵抗とドイツ空軍の機種の問題、さらにベルリンを空襲された仕返しに「ロンドンを集中的に攻撃せよ」というヒトラーの指示など様々な要因によって独軍優勢であった航空戦は英軍有利へと傾いていった。


こうして10月頃にはヒトラーは対英上陸作戦を諦め、のちに絶滅戦争ともドイツが選択した最大の失敗と呼ばれることとなる独ソ戦の開始を決断・作戦の準備を指示することになる。こうしてイギリスは本土上陸一歩手前で首の皮一枚繋がった。


さらにドイツは対仏戦や対英戦でおこぼれを狙い参戦したイタリアが侵攻したギリシャやエジプトでは弱小のギリシャ軍にアルバニアまで押されて、北アフリカではリビアまで逆侵攻され、ドイツ軍は独ソ戦や戦略資源を確保するための「極秘作戦」によってカツカツの兵力をイタリア救援のため派遣せざるを得ず、ヒトラーはこの時のイタリアに対して怒りを通り越して呆れていた


しかしドイツ軍はそれでも快進撃を未だ続けていた。1941年 2月からリビアに上陸したエルヴィン=ロンメル率いるドイツ・アフリカ軍団(DAK)によって北アフリカ戦線は持ち直しに成功する。さらに4月には2回目となる電撃戦をユーゴスラビア王国やギリシャにて成功させた。こうしてこの間にハンガリー・ブルガリア・ルーマニアなどを枢軸国に取り込み、イタリアの度重なる敗退によって落ちていた枢軸国の威信を回復させることになる。


ちなみにバルカン半島征服の次に行われたクレタ島に対する空挺降下作戦は成功させたが大損害を被り、それ以降も空挺作戦が行われることはなかった。しかし彼らは栄光ある降下猟兵としての役割を求めて上層部はそれに応えてはるか南にある大陸の彼らにとって不足のない相手をあてがってもらった。こうして彼らは新たな装備と共に海を渡り、南の大陸の好敵手(ラプトルなどの小型肉食恐竜)に対していくつもの伝説を量産し、戦後には装甲部隊に次ぐ人気を国民から獲得しその後の軍上層部に大きな発言権を持つこととなる。


1941年 6月 22日の深夜、ドイツ軍は突如としてソ連領へ侵攻を開始した。ソ連は当時上層部が連合国による欺瞞情報として、ドイツ軍による対ソ計画を無視しており対策もなく完全な奇襲を受けた。


「我々がドアを蹴破っただけで、腐敗した建物は全体が崩れ落ちる」


と述べたヒトラーの言う通りソ連は開戦初期に大敗北を喫した。ドイツ軍は大量の捕虜と大量の撃墜スコアを稼いだ。また南からの戦略資源も届きはじめ想定より燃料や弾薬関係はマシになった。しかしドイツ軍は一番の期待の星であった戦車がソ連のT34やKV1に劣勢であることに大きな衝撃を受け、のちの戦車開発に大きな影響を及ぼすことになる。それに対してソ連は要塞による抵抗や正面からの歩兵による決死の突撃、徹底した焦土作戦を行い、できる限りドイツ軍の侵攻を遅らせた。


ぞの後もドイツ軍は侵攻を重ね、最大の作戦目標である敵国首都モスクワの一歩手前まで迫った。10月2日にモスクワ攻略を目的とするタイフーン作戦が実行されたが秋の長雨が到来し、路面は泥濘と化してドイツ軍の前進は停止し、その間に赤軍はモスクワ前面の防衛体制を再構築した。再びドイツ軍は前進を開始したが、寒さが厳しくなるにつれてドイツ軍の前進速度は鈍り、温存していた砲兵予備を投入した赤軍の抵抗もあって、12月初旬についに停止した。また制空権を失ったことにより装甲部隊は航空支援を欠いた状態での前進を余儀なくされ、次々と撃破された。満足な冬季戦用の装備もなく、補給も不十分なままに各戦線で停止したドイツ軍に対して赤軍の冬季反抗が開始され、一時期は戦線の崩壊も危ぶまれるほどであった。しかし部隊の奮戦とヒトラーによる死守命令によって回避されることになった。









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