着陣
【1939年 9月 3日 南極 ノイシュバーベンラント】
遠い祖国が哀れなポーランドを攻めている頃、船団はノイシュバーベンラントに到着した。
船団は探検隊が7ヶ月前に通った水路を通り内海へとたどり着いた。7ヶ月前にぼろぼろになりながら撤退した探検隊員は戦車、装甲車、ハーフトラック、榴弾砲、対戦車砲などの各種火砲、土木重機、キューベルワーゲン、サイドカー、大量の補給物資を満載できる3tトラック群そして500余の兵士たちを積んだ船団を率いて帰ってきたのだ。
港湾施設がまだ存在しないこの場面で特に活躍したのが友好国日本から英本土上陸作戦のためにライセンス生産された大発動艇とその改良版の大型大発である。本家との違いは生産の段階でディーゼルエンジンからドイツ製ガソリンエンジンに換装されている程度である。
これらドイツ版大発達はまず輸送船から各種建設機械と建設要員を岸辺まで運んでいった。彼ら民間の建設隊の仕事は拠点となる建物や兵舎、さらにその付属施設、簡単な港湾施設の建設である。その間軍の揚陸作業も大きく進んでいた。特にドイツオリジナルの大型大発は30トンクラスまで積載できるため、トラックを4両を、装甲車なら3両も輸送できた。四号ですらも大型大発なら運べた。
工事は順調に進んだ。3日めには簡単な港湾施設も完成した。しかし完全な港湾施設の建設はもう二週間ほど掛かるらしかったがそこまで待機はしていられなかった。今回の作戦目標は連合国に悟られずにノイシュバーベンラントを開発し、ドイツ本国に開発した資源を送ることが第一の目標である。
しかしまずは民間人や自分達軍人がそこに暮らせるようにしなくてはならない。こうして港湾施設の工事を行なっている以外の建設要員、手すきの船員や兵士をも動員して開拓団を組織し、軍がそれを東部の農地に適していると報告されている開拓予定地へ護送する運用することなった。開拓団を現地の開拓候補地まで送るには大型肉食恐竜の生息域を進むため、戦車の役割が大きく期待されていた。また重機を扱う建設部隊を後方から追付いさせて同地で支配拠点として野戦陣地をその近辺に構築させることとした。
東部を調査した探検隊員を水先案内人として先頭のキューベルワーゲンに乗せて開拓団は内海の穴から出発した。探検隊が記した地図と探検隊員の証言、そして斥候として進出させているオートバイと偵察用装甲車の無線情報を元にギュンター少佐は部隊を南下させていった。兵士たちは戦車や装甲車、輸送車両から見える景色や生き物に目を見開き、出発前に少佐の作戦概要や脅威が現実のものであることを強く認識した。
また同行していたアーネンエルベの隊員達はこの地こそ一夜にして沈んでしまったアトランティスであり、アーリア民族の故郷であると信じ、それを立証しようと息巻いていた。しかしこの後発見・調査する「ブツ」によりかれらはアトランティス云々などのオカルトなことなど忘れ、自分達が元々持っている科学に対する純粋な気持ちを思い出しすことになる。。そしてその気持ちは世界の航空史や「祖国」の発展に大きく寄与することとなった。
少佐の乗っていたSd.Kfz. 250の指揮車に偵察隊から興味深い報告が上がった。「森から出た先に、大きな村落を発見。畑や教会のようなものも確認できる。」すぐさま偵察隊の報告する地点まで部隊と開拓団は進出した。
辿り着いたのは探検隊が探索した場所より数キロほど東の地点にあるヨーロッパ風の村落であった。ギュンター少佐が双眼鏡を覗くと、村の前で停車している偵察隊の車両に驚いて出てきた多くの村人達が確認できた。そして怯えながらも近づいてきた人々の姿はナチスが唱える金髪碧眼の人種アーリア人そのものであり、少佐を含めその場にいた全員が目の前の人々と同じように驚いていた。