ヒョウアザラシ作戦1
【1943年 2月 2日 ソビエト連邦 スターリングラード】
昨年の6月から続く戦いが遂に終結した。この都市の攻略を任されていたパウルス将軍率いるドイツ第6軍は世界最大の市街戦と後に呼ばれることとなる戦いで消耗し、生きたまま降伏できたのは戦闘開始時27万人からたったの9万6000人だけであった。モスクワでは勝利の祝砲が挙げられ、勝利宣言がなされていた。一方ベルリンではベートーヴェンの交響曲第5番『運命』がラジオから流され、第6軍将兵玉砕の報を伝えられた。この敗北でドイツは開戦前に持っていた戦線における優位性や兵力・兵器の多くをを失い、ゴロゴロと東部戦線という坂道を転がり落ちることになる。
当初この地はボルガ河西岸への到達と、コーカサスの征服を目的とした作戦の副次的目標の一つに過ぎなかったが、国家として生きていくために必要な工業製品の生産地であったことや戦略上必要な軍の大砲の製造拠点であったことや最高指導者であるヨシフ=スターリンの名を冠していたことから大規模な攻防戦となり、スターリングラードはルフトバッフェの爆撃によってより完成度の高い要塞となり、建物や窪地、瓦礫の中にはソ連の狙撃兵が展開し、ソ連兵は廃墟を占領されようとも上階や地下の下水道から反撃してきた。歩兵を支援するための戦車も狭い市街地では得意の機動力も発揮できず、どこからか現れたソ連兵の火炎瓶や集束手榴弾によって破壊されてしまい、効果的な援護ができなかった。こうして歩兵は自ら建物の影や穴、手榴弾を投げ入れて短機関銃を片手に突撃することを強いられた。
緒戦ではなんとかソ連軍を押し、市内の約90%を占領していたもののソ連軍の反攻作戦であるウラヌス・冬の嵐作戦によって第6軍の主力が逆包囲される形となり、空軍の輸送機による補給作戦もうまく機能せず、結局ドイツ軍は第6軍のすべてと第4装甲軍の主力が包囲殲滅されることになった。人的損害は、ドイツ陸軍総兵力の4分の1に当たる150万人におよび、3500両の戦車・突撃砲、3000機の航空機が失われた。コーカサス地方からの撤収に成功した第1装甲軍も膨大な重火器と車両を遺棄しており、ドイツにとっては数ヶ月分の生産量に相当する損失となった。
この敗北の報に対してヒトラーは統大本営に引きこもりがちになり、以降彼はナチ党官房長ボルマン、国防軍最高司令部総長カイテル元帥、国防軍最高司令部作戦本部長ヨードル上級大将の三人としか直接会わなくなっていた。中でもマルティン=ボルマン党官房長はヒトラー個人から
「彼は雄牛のような男だが、誰も次の事を忘れてはならない。ボルマンに難癖をつける者は、私に難癖をつけているに同じだ。そしてこの男に逆らう者には誰であれ、私は銃殺命令を出す。」
と言わしめるほど絶大な信頼を得ており、ドイツ国内で大きな影響力を持っていた。しかし彼の上司に媚びへつらう一方で部下に冷酷に接する態度は他の党幹部や国防軍上層部から非常に疎まれていた。
そんな彼だが優れた洞察力と並外れた現実感覚の持ち主であった。ドイツ軍が「スターリングラード」での攻防でソ連軍に敗れると、この敗北を冷静に受け止め、その後、いち早くドイツの敗北を前提とする「戦後計画」であるヒョウアザラシ作戦を着手したのだった。
『ヒョウアザラシ作戦』とは帝国の黄金75トン強、その他の何トンにもおよぶ貴金属や宝石類、真札、贋札含め数十億ドル分の通貨から成る膨大な量の財宝を資本として使い、大勢のドイツ人をドイツ本国から南極のノイシュバーベンラントへ脱出させ、現地で新たな第四帝国とも呼べるものを建国するという作戦を練った。このために特殊鋼板、産業機械、戦後の産業を構築・発展させるのに使える秘密の青写真などの帝国の貯えた資産が南極へと流れたという。
また彼はすでに昨年春の段階でドイツの攻勢限界をを悟り、敗戦へ向かいつつあることを予測した。
1942年春「I・Gファルベン社」のヘルマン・シュミッツ会長など、親しい財界人を一堂に集め、現在ドイツは勝っているように見えるものの先は見えており、ソ連軍に負ければドイツ人はスラブ人の奴隷とされ、連合軍に降伏しても企業資産が接収されることは免れないことを説き、「企業防衛策」として企業の流動資産を国外のドイツ系企業に移して、企業自体は南極にあるノイシュバーベンラントへの疎開行うことを促した。
財界人達はこの計画に疑問を持っていた。この大戦で勝ち続けているドイツが負けるということも納得しにくいが何よりも疎開させるとしてどうやってドイツ本国からノイシュバーベンラントまで自社を疎開させるのかという点であった。この疑問に対してボルマンはハンス・カムラー親衛隊少将がバーデン=ヴュルテンベルク州・Bereich 88で行われている実験とその『成果』に対する報告書を見せ、彼らを納得させた。
この会議の直後から、ドイツの大手企業は、外国のドイツ系関連会社に“隠匿資金”を振り込み始め、1944年だけで、約10億ドルが、本国の企業から外国の関連会社に振り込まれたとみられている。またBereich 88で行われている実験とその『成果』によって1943年から本格化した本土爆撃に追われるようにして多くのドイツ企業とドイツ人・ドイツ系住民が連合国からの迫害を恐れて、ドイツ西南部や北部に殺到し、数日かけて本国から脱出していった。
1945年のドイツ本国陥落までに約3000万の人々とドイツを支えてきた多くの企業が本国から脱出していくこととなる。




