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僕と姉  作者: 狐狗狸
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第四話 硝子の村

第四話です。

 雨のように気紛れに、雷のように唐突に、雪のように儚げに、風のように消え去る思い出と決別した僕は、うねりくねった頼りない道を姉と並んで歩いていた。

 陽が沈んでからかなりの時間が経っていた。辺りは月明りも無く真っ暗で、時折現れてはいなくなる動物達の目が怪しく光るのが見えるだけだった。

 姉は疲れも見せずただ黙々と歩いていた。僕も負けずに歩いていたが、最早足は棒になっているし、姉を掴んでいる手には力が入らなくなっていた。

 どこまで歩き続けるのだろう、とふと不安になった。

 僕は目的は知っているが目的地は知らないのだ。姉はどこに行きたいのだろう。永遠にこの旅は続くのかもしれない。

 しかしそれも終わる。

 小さな集落が目に入って来た。やたらとキラキラと輝いているそれは暗闇に慣れた目には少し辛かった。

「あそこで夜を明かしましょう」

 姉は輝きを指しながら、僕にそう言った。

 正直、ありがたかった。姉の手から零れ落ちそうになっていた手に再度力を加え、ただひたすら前に歩いた。

 それは綺麗だった。

 硝子のみで造られた建造物はそれだけで綺麗だった。それに建物の中で灯されている光が硝子によって屈折し虹色の光を辺りに降り注いでいるので尚更だ。

 僕は興奮して姉に、凄いですね、と言おうとした直前、姉に口を押さえられた。姉は自分の人さし指を口に当てていた。僕は理解して小さく頷いた。姉はゆっくりと手を外し、話しているのか分からないぐらいの小さな小さな声で話した。

「音をなるべく出さないでください。ここにある物はすべて硝子で出来ています。微かな音でもひびが入り、簡単に割れてしまいます」

 たしかに姉がこうして話している間もピシピシとひびが入る音が聞こえる。

「硝子です、割れれば危険です」

 姉の注意を十分に理解し、慎重に村へと入った。

 一足を踏み出す度にパキッと硝子が割れる。この村は建物だけではなく地面を覆う石畳でさえ硝子で出来ていた(この場合、硝子畳とでもいうのかもしれない)。建物の角などは鋭くなっているので周りの物に触れれば綺麗に切れ、血だらけになることだろう。

 パキパキと小気味良い音を立てながら村中を歩く。この村にはどうやら人はいないらしいので適当な建物に入って休んでも良かったのだが、大抵の建物には玄関があった。中に入るのに扉を開けなければならなかったのだ。しかし、触れた途端、建物ごと割れる建物や鋭く切れるような建物しかなかった。だから今、僕と姉は玄関がなく風を凌げる所を探していた。

 やがてそこは見つかる。

 少し住宅の密集から離れた場所にぽつんとそれだけがあった。どうやら車庫のようで、他の建物の様に灯は付いていないが、三方を硝子で覆われている。十分に風は凌げそうだ。

 ただ問題が一つだけあった。

 そういった建物が一つしかないという事だ。

 なるべく先夜の様な事にはなりたくない。

 しかし、そんな事を姉に言うと嫌味に聞こえるであろうから、ここはさり気なく、姉が寝静まった頃に静かに出て行くとしよう。幸いにもここは硝子の村。音を立てれば命を落とす危険性もある。だから姉を起こさずに出て行く事など簡単に出来なければならない。ましてや死ぬかもしれないともなると否応にも慎重になるというものだ。

 姉はいつの間にか中に入っていた。慌てて僕はその後に続いた。

 床は外の地面に比べて頑丈に出来ているようだ。僕と姉が歩いても音一つならない。しかし、壁や天井はそうでもないらしいので、相変わらず沈黙を保ったままだった。

 どうやら姉は布団じゃないと眠れない体質のようで早々に布団を敷いていた。

「もう寝ましょう。明日は朝早くに出かけます」

 はい、わかりました、と僕が返事をし終わる頃には姉は穏やかな寝息を立てていた。

 本当は疲れていたのかもしれない。

 姉は表情にそういったものが出ないのだ。僕がもっと姉に気を回せば気付けたかもしれない。そう思うと、少しばかり自分に嫌気がさした。

 さて、姉も寝たからこれからどうしようか。ここにいて何事かに巻き込まれるのは、僕にとっても、姉にとっても、良いものではないだろう。とりあえず僕は、あまり深く考えることなく、外に出ることにした。

 外は賑やかだった。様々な色や形の灯が煌々と村の中を照らしていた。

 祭りなのだろうか。

 そこには今までどこにいたのか見当も付かない程の人がいた。

 彼らは実に楽しそうに、どこまでも沈黙し、笑っていた。

 その群衆の中を目的もなくふらふらと彷徨ってみる。こうしてみると、彼らの笑い声が聞こえてきそうだった。

 それは――僕に笑っているのか、僕を笑っているのか、僕で笑っているのか。

 これはまずい。この状態はまずい。この心理はまずい。

 僕は疑っている。疑心暗鬼に陥っている。

 ふふふ――あはは――

 実際に聞こえるはずもない笑い声が耳を突く。彼らの視線が僕を抉る。

 ふふふ――あはは――

 嫌だ、嫌だ、嫌だ。

 僕はこの場所から逃げた。

 そこは森の中だった。

 やけにひらけたそこには周りに生えている普通の木々とは違う、硝子で出来た透明な木が一本、堂々と立っていた。

 僕がその木に見とれていると、やがて木の影から一人の女の子が出て来た。しかし、彼女はこちらに気付くことなく、硝子の木の周りをくるくると回りながら踊っていた。

 何とも魅惑的で。幻想的で。

 そこにある風景は、僕の心に渦巻いていた黒さを取り除いていた。

「誰」

 女の子は踊りを止め、こちらに振り向いた。久方振りに聞いた人の声は暖かいものだった。

「誰ですか」

 彼女は声を出す。自分のすぐ側に硝子があるというのに。

「これは割れませんので音を出していただいても構いません」

 彼女は僕の心を読んだように答えた。

 それを受けて僕は自己紹介し、姉と買い物に行く途中です、と答えた。

「■に△さんですか」

 彼女も姉の様な発音になる。どうやらまたしても僕の名前を発音出来ない人のようだ。僕の言い方が悪いのだろうか。

 などと悩んでいる間に、彼女の顔が僕の顔と近接していた。吸い込まれそうになる程綺麗で深い黒の瞳に僕の顔が写り込んでいる。

 それから彼女は少し微笑み、「お話ししましょう」と、言った。彼女は僕の手を取り、木陰まで誘導した。

 人形が着ている様な、純白のドレスを着ている彼女を後ろから見る。

 年齢は僕よりは下だと思う。しかし、長い黒髪に色気があり、話し方や物腰はかなり大人だ。時折見せる笑顔にはまだまだ幼さが残っているが。

 彼女はスカートの様にひらひらしている部分を器用にたたみ、近くの石の上に座った。僕も彼女に倣ってその隣りに座る。

「さて、何を話しましょうか」

 彼女は何か話題があるわけではなく、ただ単に暇だから僕を誘ったようだ。

 困った様な視線を僕に向けて来るが、残念な事に僕には知らない人と会話をする力はほぼ皆無である。気心が知れた相手(例えば姉)であればある程度は自分の言いたい事や気持ちを伝える事が出来るのだが。

 しかし、何故だろう。

 普段知らない人と会話になりそうだと逃げ出すのに、彼女が相手だとどうにかして話題を探そうとしている自分がいる。

 彼女は顎に指を当てて暫く悩んでいたが、何か閃いたらしく、パッと表情が明るくなった。

 以下はその会話の流れ。


「こうしましょう。お互いに交替で質問して、それに答える。いかがですか」

 それは良い案です。

「では、まず私から。名前は先程訊きましたから、そうですね――何を買いに行くのですか」

 姉を買いに行きます。

「姉をですか。それは――ああ、ルールは守らないといけません。早速破りそうになりました――ええ、仕切り直しましょう。どうぞ」

 では――ここで何をしていたのですか。

「踊っていました」

 とても上手でしたよ。また見せて欲しいものです。

「ふふっ、ありがとうございます。お世辞でも嬉しいです――私の質問はよろしいでしょうか。あなたの姉はどんな人ですか」

 綺麗な人ですよ――どうしてそんな事を訊くのですか。

「あなたに興味があるからです。では――あなたにとって姉とは何ですか」

 大切な人です――どうしてそんな事を訊くのですか。

「あなたに興味があるからです。しかし私はそのような回答を望んでいません。あなたにとって姉が大切なのはわかりましたが――いえ、質問の仕方が悪かったですね、言い直します――あなたは姉がいることによって何か変わりますか」

 わかりません――どうしてそんな事を訊くのですか。

「あなたに興味があるからです。あなたは姉をどう思っているのですか」

 ここで大切に思っているなどと言ってもご不満でしょうね。

「わかってきたようですね。やはり学習は大切ですね」

 でも僕にはそうとしか答えられません。

「そうですか」


 そこで会話が途切れた。否、彼女は待っているのだ。僕が先程の会話からどんな質問をするのかを。僕の中で質問は既に決まっている。しかし、これを問うて良いのか、と僕はためらっていた。

 彼女は期待する様に微笑んでいた。

 ――期待されているのなら応えよう。相手があなたなら尚更だ。

 あなたは――何ですか。

「あなたは素晴らしいです。その質問が最良でしょう」

 彼女は嬉しそうに微笑んだ。

 僕が問うたのは、『誰』、ではなく、『何』。

 彼女が誰かなんてとうの昔にわかっている。どうしようもない程に知っている。そんなわかりきっている事を訊くのは馬鹿のする事だ。そして僕はそこまで馬鹿ではない。

「でも私が何であろうとあなたには余り関係ないのではありませんか――と、これは意地悪な質問でしたね。最悪と言っても足りないくらい。それにルールも破っている。それでは答えましょう。私は」

 唐突に彼女の声を遮る様に、ガッシャーン、と硝子が割れる大きな音がこの森にまで響いて来た。

「話はここで終わりですね――■に△さん、気をつけてください。あの子は繊細です。とても脆く割れやすい。しかも感情が見えにくい。それでもあなたが気付いてあげてくださいね。それがあの子を守る事に繋がりますから」

 はい、わかりました、と僕は元気良く返事をし、踵を返す。

「また会いましょう、私の――」

 消えゆく声が背から聞こえて来たが、振り返らなかった。

 僕が走っている最中も、硝子が割れる音が聞こえていた。徐々にその音が近付いて来る。その音の発信源に――

 姉は立っていた。

 先程までは立派な建造物であったであろう物は硝子の粉となって姉の前に降っている。

 何をしているのですか、と僕は姉の肩に手を置いて尋ねた。

 姉は一瞬ビクッと体を震わせたが、「あっ」と、安心した様な声を出し、こちらを向いた。そして、僕に抱き付いた。腕を背に回し、顔を僕の胸に埋めながら、

「捜しました、凄く捜しました。心配でした、凄く心配でした。不安でした、凄く不安でした」

 と、泣き叫んだ。

 そんなに大きな音を出したら危ないと思ったが、この村には何もなかった。

 きっと僕の名前を叫びながら村中を捜し回ったのだろう。おかげで村の中は硝子の粉だけになった。そして、その際に姉は、硝子が刺さり切り付けて来てのだろう、血だらけになっていた。せっかくの真紅のドレスも台無しだ。

 僕は姉の頭を撫でながら、ごめんなさい、と謝った。

「あなたがいなくなれば他の姉妹達に顔が立ちません。あなたがいなければ私はもう駄目です。お願いします、私の側にいてください」

 姉は涙で潤んだ瞳を僕に向けた。

 僕は間を置かず、嫌となる程側にいましょう、と誓った。

 姉はそれを聞くと嬉しそうに無表情になり、涙を拭った。

「では、行きましょう」

 姉は僕の手を取り、歩いて行く。いつの間にか陽は昇っていた。

「そういえば」と、姉は思い出したように訊いて来た。

「そういえば、どこに行っていたのですか」

 人と会っていました。

「誰とですか」

 母上です。



九月です。

夏も終わろうとしています。


この度は読んでいただき誠にありがとうございます。

それではまた来月に。

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