詰んだままのアルバム
今日は朝まで眠れるだろうか。
最近、毎日のように思い浮かべるこの言葉。
母が亡くなってから、私は落ち着かない。
誰もがそうなのだろうか。身内が亡くなるという経験をしたのが初めてだから自分の今の感情をどう表現したらいいのかわからずにいる。
母が亡くなったのはちょうど1か月前の夜中だった。母が入院していた病院から容体が急変したと連絡が入り、寝ぼけていた頭を殴られたかのような衝撃が走り、着替えるのも適当にとにかく車を走らせたのを覚えている。
できる限り急いでいったのに、母は帰らぬ人となっていた。医者のご臨終です、の言葉が受け入れられず、小さな声でお母さん、起きて、と何度も言っていたらしい。
そのあとは慌ただしかった。葬式の準備、火葬場への連絡、相続問題。まぁ、お金持ちではなかったからそれほど大きな問題にならず兄弟で等分しようとすんなりと決まったのだが。
手続きがこんなに面倒なものとは思わなかった。いろんな書類にサイン、印鑑を押す。きっと、母ならこれも経験だから、とか、これからは、こういうことが起きたらこうするんだよとほかの人に聞かれても言えるようになるからとか、前向きなことを言いそうだが、その母はもういない。
話は母が亡くなった翌日の夜に戻る。疲れて眠った私は、夢を見た。位牌の夢。白い木の位牌。誰かが動かすわけでもなく、お線香をたいているその奥に白い木の位牌が鎮座しているだけの夢。どう考えても母の位牌なのだろう。何を訴えているのかわからず、目が覚めた。時計は3時を指していて、外はまだ暗い。
これが、1か月続いている。必ず白い木の、母の戒名が書かれた位牌、目覚める3時。何か意味はあるのだろうか。私はノイローゼ気味になった。
「おかーさん、お願いだから、普通の格好で出てきて」
初めて声に出して言う。すると、なぜか途端に涙があふれだした。
ああ、私、泣いてなかった。お母さんが死んでから、泣いてなかったよ。
その日は仕事を休んで母のためにさんざん泣いた。
いろんな母の顔を思い出した。押し入れにしまい込んでいたアルバムを引っ張り出し、幼いころに一緒に撮った写真から、順に大きくなる私、老けていく母を丁寧に見ながら泣いた。
母はどこまで考えて私を育ててくれたのだろう。優しくて、どこか抜けている母だと思っていたが、そのどこか抜けているのまで計算だったのではと思えてくる。
ご飯も食べずに1日が終わり、床にいっぱいのアルバムをとりあえず積む。明日は土曜日で休みだし、これは明日片付けよう。
私は1日寝間着だったことに気づく。精神的につらかった。お風呂に入るのもパスしてベッドにもぐりこんだ。
今日の夢は元気なころの母が出てきた。
「調子はどう?」
母が聞いてくる。
「最悪です。ていうか、もっと早くにその格好で出てきてほしかったよ、おかーさん」
母は困ったように笑った。
「私、死んだよ」
「知ってる」
「頑張んなよ?」
「…………うん」
その日、起きると朝だった。薄い白のカーテンから光が入ってきている。
「もう、3時には起きないからね、おかーさん」
昨日、積んだままのアルバムの山を見る。ふと、母は次の日が休みの日に合わせて出てきてくれたのではないか、と深読みしてしまうのだった。