第66話 マウンテンマン
静かな山の中。
その静寂を切り裂くように汽笛が鳴り響き、山中に敷かれた線路をブルーホワイト・フライキャッチャー号が、勢い良く走り抜ける。時折、弱い部類の魔物が線路に飛び出してくる。しかしブルーホワイト・フライキャッチャー号を牽引する蒸気機関車は、跳ね飛ばしたり轢き殺したりして魔物を蹂躙し、スピードを落とすことなく走り続ける。低級の弱い魔物を蹴散らして疾走することなど、魔物がよく出る地域を走る列車なら、当たり前のことだった。
ブルーホワイト・フライキャッチャー号は停まる様子など微塵も見せず、車輪を高速で回転させながら線路の上を走り抜けていく。
そんなブルーホワイト・フライキャッチャー号を、山の上から1人の男が見下ろしていた。
革製の衣服を身にまとい、毛皮の帽子を被った髭面の初老の男性だ。腰のガンベルトには、大型獣相手にも通用する大口径のリボルバーを収め、腰には大きなボウイナイフを指し、手には旧式ライフルを握り締めている。革製の靴は、山の中で音を立てないような工夫が施された作りになっていた。
山の中で孤独なハンターとして生きている男。彼のような人物を、人々は『マウンテンマン』と呼ぶ。
「…………」
マウンテンマンは、眼下を走り抜けていくブルーホワイト・フライキャッチャー号を見つめていた。
自身が立つ崖の下に敷かれた線路を走り抜け、ブルーホワイト・フライキャッチャー号は次の停車駅のモント駅へと向かって行く。
眼下をブルーホワイト・フライキャッチャー号が走り抜けると、マウンテンマンはモント駅の方を見てから、再び山の中へと姿を消していった。
オレはライラと共に、個室で過ごしていた。
ベッドの上で座っていると、すぐにライラが身体を寄せてくる。おかげでオレは常に、ライラと身体を寄せ合っている状態だ。いつものことだが、ライラは飽きないのだろうか?
「ライラ、いつもオレに身体を寄せてくるけど、飽きないの?」
「ビートくんは大好きな人なんだから、飽きるなんてあり得ないよぉ」
ライラはそう云うと、オレの身体に手をまわし、オレに抱き着いてくる。もちろん、ライラの豊満な胸はオレの身体に食い込んできた。
これまでに何度も抱き着かれてきたが、ライラに抱き着かれると必ず体温が上昇してしまう。オレの身体にライラの胸が食い込んできていることと、ライラのいい匂いで、オレの心臓は高鳴っていく。
「ビートくぅん……」
「あうう……」
何度も抱き着かれてきたのに、どうして未だに慣れないのだろう?
やっぱり、ライラが美人すぎるからだろうか?
「ねぇビートくん」
すると、ライラが抱き着いたまま云った。
「次の停車駅って、山の上なんでしょ?」
「うん。なんでも頂上付近にある駅だとか……」
「じゃあ、もしかしたらすごい絶景とか、見れるのかな?」
「運が良ければ、見れるかもしれないな。行ってみないと、分からないけど……」
オレがそう云うと、ドアがノックされた。
「いらっしゃいますか?」
ドアの外で、車掌が云った。
「あっ、すぐ行きます!」
オレが云うと、ライラはすぐにオレから離れた。いつもべったりなライラだが、ちゃんとべったりしていいときとそうでないときは、はっきり分けている。
階段を降りて、オレは引き戸式のドアを開けた。
「切符を拝見いたします」
鉄道員の制服を着た人族の男性が、ハサミを手に立っていた。
車掌に、間違いない。
「どうぞ」
オレが切符を差し出すと、降りてきたライラも切符を差し出した。
車掌はオレたちの切符に、ハサミを入れて返してくれる。
「ありがとうございます。そしてご連絡ですが、次の停車駅のモント駅では、36時間停車いたします」
「えっ、36時間!?」
突然の長時間停車の連絡に、オレは思わず叫んでしまう。
山の上の駅で、36時間も停車するなんて、聞いていない。完全に寝耳に水だ。
「ど、どうしてですか!?」
「ブルーホワイト・フライキャッチャー号を牽引する機関車に、異常が見つかりました。修理工の人手が足りていないため、どうしても36時間の停車は避けられません。申し訳ございません」
「そんなぁ……」
落胆するオレに一礼して、車掌は次の部屋へ切符の拝見に向かって行く。
オレはそっとドアを閉じると、ライラと共にベッドへと戻った。
またしても、長時間の停車時間を過ごさなくてはならないのか……。
オレは落胆した気持ちのまま、ベッドに寝転がった。
ブルーホワイト・フライキャッチャー号が、モント駅に到着した。
モント駅は山の頂上付近にあると聞いていたが、駅にある案内図を見ると、頂上はもっと上の場所だった。モント駅があるのは、ベーゲル山の中でも7合目辺りだった。全然頂上なんかじゃない。
誰だ?
頂上付近にあるとか云っていた奴は?
そんなことを考えていると、ブルーホワイト・フライキャッチャー号から機関車が切り離された。
機関車は入れ替え用の小型蒸気機関車に牽引されながら、引き込み線へ送られていく。引き込み線で、修理が行われるのだろう。
機関車が離れていくのを見届けると、オレはライラと共にモント駅から出て、宿泊できるホテルや宿屋を探すことにした。
狭い部屋で眠るのは、走っている間だけにしたい。
そんな思いから、オレたちはモントの町に出た。
モント駅の近くにある宿屋やホテル、そしてロッジは全て満室になっていた。
元から宿泊していた人々に加えて、ブルーホワイト・フライキャッチャー号の乗客たちが雪崩れ込んだためだった。空いている部屋は無くなり、オレたちの他にも断られている人が大勢いた。
元々、モントは山の中にある駅で、目立つような名物も観光名所もない。
「ビートくん、どこも満室になってるよぉ……」
宿屋やホテル、ロッジが並んでいる場所を歩いている途中で、ライラがため息をついた。
深紅のフードの下で、ライラの狼耳がペタンと下がっている。
「さっきの宿屋も、空いているのが外の折り畳みベッドだけだったな」
「ビートくん、今からでもあの折り畳みベッドにする?」
「いや、ダメだ。この辺りは夜中になると冷え込む。そんな中、外に置いた折り畳みベッドなんかで寝たら、風邪をひいちゃうよ」
オレはライラの提案を却下した。
気がつくと、オレたちはモント駅の前まで戻ってきていた。
ひと休みしようと、オレたちは駅の前に置かれたベンチに腰掛け、水が入ったビンを取り出した。
「やれやれ……これは列車で寝るしかないかもな」
コルクの栓を抜き、オレは水を飲んだ。
「残念ね……せっかく眺めがいい場所まで来たのに……」
「だけど、今の天気じゃあ……あんまり景色は望めないな」
オレは空を見上げて、そう云った。
モント駅に到着してから、空は雲に覆われている。所々晴れ間はあるが、どこを見ても絶景は望めない。見えるのは、深い霧に覆われた景色ばかりだ。そんなものを見ても、面白くもなんともない。
それに、もう時間も夕方になってきている。
オレたちは宿探しを諦めて、列車で寝ようかと思い始めていた。
そのとき、オレたちの前に1人の男が現れた。
「どうしたのかね?」
男の声に、オレたちは顔を上げた。
男は初老くらいの年齢で、革製の服を着ていた。頭には毛皮の帽子を被り、髭面だ。腰にはガンベルトを巻いていて、ガンベルトにはリボルバーが収められている。さらにオレのより大きなボウイナイフまで、指していた。背中には旧式ライフルを背負っている。
誰だろう?
ハンターかな?
オレがそう思っていると、男が口を開いた。
「どうやら、困っているみたいだね……」
「あなたは?」
「私はカルロス。人々は、ドン・カルロスと呼ぶ。何かあったのかい? 困っているみたいだが、よければ話してみてくれないか?」
「実はですね……」
オレはカルロスと名乗った初老の男性に、宿を探していることを話した。
宿屋もホテルもロッジも満室で、泊まる場所がないこと。列車で寝ることはできるが、できることなら別の場所がいいことなどを、カルロスに話す。
オレの話を聞いたカルロスは、頷いた。
「なるほど、よく分かった。それなら、私の家に来るといい。住んでいるのは私1人だけだから、気を使うこともないだろう」
「ライラ、どうする?」
カルロスからの提案を受けて、オレはライラに訊いた。
「ビートくんがいいなら、わたしはそれに従うわ」
「それじゃあ……お世話になります!」
オレたちは立ち上がり、カルロスに頭を下げた。
「わかった。ついてきなさい」
カルロスは頷き、オレたちはカルロスに続いて歩き始めた。
モントの町から離れ、オレたちはカルロスの後に続いて山道を進んでいく。
アルトムたちの山賊のアジトのように、カルロスの家も山奥にあるのだろうか?
「カルロスさんは、山奥に暮らしているんですか?」
「私は、人々からマウンテンマンと呼ばれている」
オレが尋ねると、カルロスはそう答えた。
マウンテンマンなら、オレも聞いたことがある。山の中で狩猟をする猟師だ。ただの猟師とは違い、孤独な環境で暮らしながら、山中で狩猟をして生活をしている。いつも山にいるから、マウンテンマンと呼ばれるようになるのだそうだ。ハズク先生が、そう云っていた。
「山の中で暮らすのは、寂しくないんですか?」
「孤独が好きだからね。そういう環境にいるのが、すごく心地良いものなんだ。別に人嫌いというわけじゃないよ」
確かに、人嫌いならオレたちに声をかけてきたりはしないよな。
オレが納得していると、急に視界が開けた。
視界が開けた先に広がっていたのは、山の上とは思えないほど広い草原だった。
まるで平野のような何もない台地が地平線まで続き、曇っていた空は、いつの間にか晴れて空が覗いていた。どこまでも続いていく道が一本、大地を通っていて、その途中に小さな家が見えた。
夕焼けの赤い空の下に広がる景色に、オレたちは心を奪われた。
「広い……!」
「こんな場所があったなんて……!」
オレとライラが景色に見とれていると、カルロスが小さな家を指さした。
「あそこにあるのが、私の家だ。もう少しだ」
オレたちはカルロスに後押しされるように、足を進めていった。
カルロスの家の中に、オレたちは足を踏み入れた。
入ってすぐの部屋が、居間兼台所だった。
キッチンはなく、暖炉に鍋が吊るされているだけで、暖炉の近くには薪と保存食らしき乾物が置かれていた。テーブルの上には、ランプと読みかけの本、銃の手入れ道具が置かれている。
カルロスはランプに灯りを灯した。
「そこのドアが、寝室になっている。ベッドは1つしかないから、狭いかもしれないけど、我慢してくれ。私の部屋はこっちだから、間違えないようにね」
「ありがとうございます!」
オレたちは寝室に、足を踏み入れる。
部屋の隅にベッドがあり、後はイスとテーブル、そしてソファーと棚があるだけの部屋だった。ベッドは1つだけだが、たとえ2つあってもライラはオレと一緒のベッドに入ってくるから、問題は無い。
ソファーに荷物を置くと、ライラがベッドに腰掛けた。
「ビートくん、見てこのベッド!」
ライラが右手でポンポンと、ベッドを叩いた。
近づいて見ると、ベッドには毛皮が敷かれていた。
「ここって、毛皮を使わないといけないくらい、寒いのかしら?」
「後で、カルロスさんに訊いてみよう。何か、分かるかもしれない」
オレはそう云って、居間に戻る。
すると、そこではカルロスが何かの肉を切り分けて、串に刺していた。
「カルロスさん、それは……?」
「ヤマオオナキネズミさ。私が狩猟で捕ったんだ。今夜の夕食だよ」
カルロスはそう云って、肉を刺した串を何本も手にした。
それを外に持って行く。後を追いかけると、庭にいつの間にか焚き火が焚かれていた。そして肉を刺した串を、焚き火の周りの地面に突き刺していく。
太陽はかなり沈んでいて、空には星が瞬き始めていた。
「すごいや……バーベキューなんて、久しぶりだ」
「普段はなかなかやらないけど、せっかくだから豪勢に行こうと思ってね」
カルロスは火搔き棒を手にして、焚き火の中にある薪の位置を調整する。火力が落ちないように、時折薪を足していく。手慣れていることが、オレにはよく分かった。
「それにしても、慣れていますね」
「焚き火そのものは、よくやるんだよ。獲物を解体したり、燻製を作ったりするために、火を扱うのは必須だからね。よく捕るのはヤマオオナキネズミだけど、それ以外にもこの辺りには獲物が居る。火とナイフとライフルの扱いを心得ておかないと、仕事にならないからね」
カルロスと話していると、オレの背後で足音がした。
振り返ると、そこにはライラがいた。
「ビートくん、なんだかすごくいい匂いがするけど……?」
「あぁ、お嬢さんも来たね。ヤマオオナキネズミも焼けたみたいだから、そろそろ夕食にしようか」
カルロスの言葉に、ライラの耳がピクンと反応した。
「これ、ヤマオオナキネズミなんですか!?」
「そうだよ、お嬢さん。ヤマオオナキネズミを食べるのは、初めて?」
「はいっ!」
ライラはそう云うと、被っていたフードを取った。
フードの下から、白銀の美しい髪と狼耳、そして美少女が現れる。
それを見たカルロスが、一瞬だけ目を見開くのを、オレは見逃さなかった。
「とってもいい匂い!」
「……そうか。それじゃあ、いっぱい食べていくといい」
カルロスはそっと、焚き火の周りに刺してある串を1本だけ、引っこ抜いた。
「これなんか、食べ頃だ」
「いいんですか!? いただきます!」
ライラはカルロスから串を受け取り、肉にかぶりついた。
「美味しい!!」
「ほれ、少年。君も食べるといい」
「ありがとうございます」
オレもカルロスが差し出した串を受け取ると、ヤマオオナキネズミの丸焼きを、口に運んだ。
肉にかぶりついて、口でちぎった肉を食べると、とてもネズミとは思えない味が口の中に広がった。
「美味しい……!」
「それは良かった。たくさん食べるといい」
カルロスの勧めに頷き、オレとライラはヤマオオナキネズミを食べていった。
お礼になるかは分からなかったが、オレたちは旅をしている理由と、目指している場所を話した。さらに旅をしてきた中で見聞きしたことや、出会った人々、絶景についても話していった。カルロスは表情こそ変わらなかったが、目が興味に満ち溢れていくのを、オレは見逃さなかった。
どうやら、オレたちの話を聞いて、楽しんでくれたみたいだった。
食後に、カルロスはコーヒーまで用意してくれた。
たき火の側で飲む濃いコーヒーは、オレたちの眠気を覚ますのに十分な威力を発揮した。
空には満天の星が昇っていて、天の川もよく見えた。
「あの、カルロスさん」
「なんだい?」
「その……どうして僕たちに、ここまで親切にしてくれるんですか?」
オレは、ずっと抱いてきた疑問を、カルロスに投げかけた。
ただ一晩だけ泊めてもらえば良かったのに、色々とお世話になってしまっている。アケド村のゲンとドウの時は、旅の話を聞かせるという交換条件で、オレたちは一晩の宿と食事を貰えた。
しかし、カルロスは何も要求せず、泊めてくれた。
そのことが、オレは不思議だった。
「……そうだなぁ」
カルロスはコーヒーを一口飲むと、夜空を見上げる。
「私はこんなところで暮らしているからか、時々人と話したくなるんだ。普段の話し相手といえば、山に森に獲物。そしてライフルと……このギターくらいだからね」
カルロスはそっと、ギターを手に取った。
ずいぶんと年代物らしく、骨董品のような臭いが微かに漂っている。
「君達には、色々と楽しい話を聞かせてもらった。お礼をしなくちゃな」
ボロンボロンと、カルロスは何度かギターの弦を指で弾いた。
ギターの調子合せを終えると、オレたちの前でカルロスはギターを弾き始めた。
カルロスのギターは、少しだけもの悲しくも、どこか明るさを感じさせるものだった。
オレとライラは、すぐにカルロスのギターが奏でる音色に、夢中になった。ギターが、カルロスの中に流れてきた歴史を、音色として外に出している。オレはそんな感じがした。
一曲弾き終えると、オレたちはカルロスに拍手を贈った。
「いい音色でした!」
「カルロスさんのギター、芸術的です!」
オレたちがそう感想を述べると、カルロスの口元が微かに上を向いた。
「それじゃあ、もう1曲弾こうか。今度は、アップテンポの曲にするかな」
「じゃあ、わたし踊ります!」
ライラが、そう云って立ち上がった。
「ほう、お嬢さんは踊れるのかい」
「少しですが、踊れます!」
自信を持って云うライラに、オレは思い出した。
グレーザー孤児院で、ライラは時々鼻歌を歌いながら、ひとりで踊っていた。特別上手というわけではなかったが、ライラが躍っている姿を見るのは、オレは好きだった。楽しそうに踊っていたし、スカート姿で踊るから、ライラの生足を合法的に拝めたからだ。
もしかしたら、グレーザー孤児院の頃のことを、ライラは思い出したのかもしれない。
「それじゃあ、お手並み拝見と行こうか」
「はいっ!」
カルロスがギターを弾き、アップテンポの曲を演奏し始める。
すると、ライラは焚き火の前で曲に合わせて踊り出した。
長い髪とスカートをはためかせながら、ライラは踊りを踊る。
プロのダンサーのように洗練された動きではないが、ライラにはそのほうが似合っているように、オレには見えた。
「ほう、なかなか上手じゃないか」
カルロスはそう云って、演奏を続ける。
オレもいつしか、手拍子をしながらライラの踊りと、カルロスのギターを楽しんでいた。
オレたちとカルロスは、そのまま夜が更けるまで焚き火を囲みながら、満天の星空の下で過ごした。
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