第53話 アルトとの別れ
オレたちは、列車からホームに降り立った。
今日は、アークティク・ターン号が出発する。
午前中には出発してしまうから、その前にアルト・フォルテッシモ楽団に別れを告げて、列車に戻らないといけない。
「ライラ、早くしないと出発までに戻れないよ?」
オレは後ろにいるライラに、そう云った。
ライラはまだ、アークティク・ターン号のデッキにいて、これから降りようとしていた。
もちろん今は、舞台衣装ではない、普段使いのドレスに身を包んでいる。
ライラがホームに降り立つと、オレはライラの手を取った。
「さ、ライラ。急いで――」
「待って!」
オレの言葉を遮って、ライラが叫んだ。
ライラは何度か、空気中の匂いを嗅いだ。
「……ビートくん、楽器の匂いがするよ?」
「えっ?」
ライラの言葉に、オレは疑問符が頭の中に次から次へと現れた。
楽器の匂い?
アルトは音楽の街だから、楽器なんてあちこちにある。
オレには分からないが、ライラには分かるのだろう。なんといっても、狼系の獣人や犬系の獣人は、よく鼻が利く。ライラは銀狼族だから、狼系の獣人に分類される。それは理解できる。
だけど、今それを云うことなのだろうか?
「ライラ、それがどうかしたの?」
「その楽器の匂い、アルト・フォルテッシモ楽団の楽器みたいなの。それも、すぐ近くから漂ってくるの」
「まさか!」
オレは驚いた。
ここは、アルトの駅だ。アマデウスホールからは、かなりとはいわなくても、2ブロックは離れている。しかも楽器は、建物の中に置かれているはずだ。匂いが漂ってくるなんてことは、考えられない。
しかし、ライラが嘘をつくとも考えられなかった。ライラは、オレの前では噓がつけない。
そのときだった。
「やぁ、おはよう」
聞き覚えのある声に、オレは振り返った。
「おはようございます……あっ!!」
そこに居たのは、ヨハンさんと、アルト・フォルテッシモ楽団の団員たちだった。
信じられないことに、アルト・フォルテッシモ楽団が、アルトの駅にいた。
しかも、オレたちがいるアークティク・ターン号が停まっているホームの、すぐ隣のホームだ。ホームが島式ホームのため、同じ場所にオレたちとアルト・フォルテッシモ楽団は立っている。
「ヨハンさん! それに皆さん!!」
「やぁ、昨日は本当にありがとう」
ヨハンさんが、オレたちに軽く頭を下げる。
オレたちも軽く頭を下げると、アルト・フォルテッシモ楽団の団員たちも、頭を下げた。
「ヨハンさん、どうしてここに居るんですか?」
「これから、東大陸で公演があるんだ」
ヨハンさんは、嬉しそうに云った。
「公演……まさか、昨日のことで依頼が来たんですか!?」
「ライラ、それはきっと無いよ」
ライラの言葉に、オレが笑いながら云う。
「きっと前々から、決まっていたことだよ。今日出発しないと、きっと間に合わないんだと思う」
「ビートくん、その通りだよ」
ヨハンさんが頷いた。
「この東大陸での公演依頼は、ずっと前に依頼が来ていたんだ。東大陸は人口が多いから、公演依頼も多くてね。これから、チャーターした列車が来るから、それに積み込んで出発するんだ」
「そうだったんですね……あの……」
ライラがそう云いかけた時、マリアさんがやってきた。
「団長! 全員、楽器を持って集まってきました!」
「うむ、わかった。これで後は、列車が来るだけだな。……あっ、ライラちゃん、何か云った?」
「あの……昨日の突然の公演で、準備に遅れが出ちゃったりしたんじゃないかと、思いまして……」
ライラが、不安そうな表情でそう云った。
「遅れが?」
「昨日の公演は、わたしが提案したようなものです。それなのに、その公演でもしも、皆様のスケジュールに無理ができていたりしていたら……」
「ライラちゃん、心配しなくても大丈夫よ」
マリアさんが、優しい声で云った。
その声はどこか、フルートの音色に似ているような気がした。
「気を遣ってくれて、ありがとう。でも、大丈夫。実はお2人がアルトに来る前に、準備はほとんど終わっていたのよ。楽器の準備も、列車の手配も、全てね……。だから後は、指定された日時にアルト駅に楽器を持ってくるだけだったのよ。ちょうど、その間で少し暇を持て余していたの」
すると、マリアさんがライラの頭に、そっと手を乗せた。
「だから、ライラちゃんの提案は、すごく嬉しかったわ。持て余していた時間を演奏に充てられて、公演のリハーサルも兼ねてできたの。それに、大金貨40枚以上の売り上げという、予想外の嬉しいこともあったわ。お2人には、感謝しなくちゃいけないことしかないのよ」
「うむ、マリアの云う通りだ。ビートくんとライラちゃんには、感謝しかないよ! 本当に、ありがとう!」
「ありがとうございました!!」
ヨハンさんが頭を下げると、団員たちも頭を下げた。
いきなりこんなに多くの人から感謝されると、なんだかちょっとだけ、照れてしまう。
「……あ、ありがとうございます!」
ライラが、尻尾を振りながら、笑顔でそう云った。
マリアさんが微笑み、ライラの頭に置いていた手を、そっとどけた。
そのとき、遠方から汽笛が聞こえてきた。
「むっ、どうやら来たようだ」
ヨハンさんが、懐中時計を手にして、そう云った。
それから少しして、貨客用の大型蒸気機関車に牽引された列車が、ホームに入ってきた。
列車には『貸し切り』の行先標が取り付けられ、半分が貨物車で、もう半分が客車の貨客編成になっていた。
貨物車に楽器を積み、客車に団員たちが載っていくのだろう。
「アルト・フォルテッシモ楽団様で、お間違いございませんね?」
機関車から降りてきた機関士と、客車から降りてきた車掌が、ヨハンさんに尋ねた。
「はい、間違いありません」
ヨハンさんが乗車券を見せると、内容を確認した機関士と車掌は、頷いた。
「確認しました。それでは、貨物車に楽器をお乗せ下さい」
車掌がそう云うと、ヨハンさんは団員たちに指示を出した。
団員たちは貨物車に楽器を積んでいく。丁寧にケースに入れられ、梱包された楽器を、団員たちは慎重に運び込んでいった。これまでに、何度もこうして各地に公演に行っていたのだろう。まるで鉄道貨物組合の労働者のように、手慣れていた。
オレが手際の良さに惚れ惚れとしていると、楽器を積み終えて、貨物車の引き戸が閉められた。
車掌が鍵をかけると、団員たちは列車に乗り込んでいく。
「では、我々はこれから出発するよ」
ヨハンさんが、オレたちにそう云った。
「アマデウスホールは、どうするんですか?」
「アマデウスホールの管理は、警備員と留守番組になった団員たちに任せてある。心配することはないさ」
オレの問いに、ヨハンさんが答えた。
「君たちも今日、アルトを旅立つんだったね。道中が安全であることを、祈っているよ。アークティク・ターン号でまたアルトに来た時は、是非アマデウスホールに寄ってもらいたい。うんとサービスするよ!」
「ありがとうございます」
オレたちは、ヨハンさんとマリアさんと、握手を交わした。
「それでは、元気で」
「また会いましょうね」
ヨハンさんとマリアさんが、そう云って列車に乗り込む。
2人が乗り込むと、機関士と車掌が信号を確認し、汽笛を鳴らした。
機関車が動き出すと、貨客列車もそれに続いて、動き出す。
「さようならーっ!」
「また会う日までーっ!」
オレたちは列車に向かい、手を振る。
アルト・フォルテッシモ楽団の団員たちが、それに応えて手を振り返してくれた。
オレたちは、列車がアルトの駅を出ていくまで、列車に向かって手を振り続けた。
「……行っちゃったね」
ライラが東大陸の方角を見ながら、つぶやいた。
「きっと、またどこかで会えるよ。アルト・フォルテッシモ楽団はあちこちに公演に赴いているから」
「そうね……ところでビートくん」
ライラが、オレに向き直った。
「わたしたちは、いつ出発するの?」
「オレたちは、午前10時だから……」
オレは懐中時計を取り出して、時間を確認した。
今の時間は、ちょうど9時だ。
「あと1時間だ!」
「そんなぁ!」
出発まで、そんなに時間がない。
そのことに気づいたオレたちは、買い物を諦め、列車の個室に戻ることにした。
出発の時間が来ると、センチュリーボーイが汽笛を轟かせた。
汽笛の後に、車輪が動き出し、アークティク・ターン号がアルトの駅を出発する。
オレたちはアークティク・ターン号の中で揺られながら、アルトを離れていった。
そして次の停車駅は、西大陸のオトモヒ領オトヤク地方ホープだった。
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