第42話 ミレージュの洗濯広場
ポオーッ!
夜明けを告げるように、センチュリーボーイが汽笛を鳴らした。
その汽笛で、オレとライラは目を覚ました。
「ん……朝か」
「ビートくぅん……まだ眠いよぉ……」
ライラが寝ぐせのついた髪をはらい、大きなあくびをする。
インナーキャミソールが少しだけはだけていたが、あえて指摘しないでおいた。
「ライラ、次の停車駅が近づいてきたぞ」
オレがブラインドを少し上げて、窓の外を見て云う。ライラもオレの隣まで来て、外を見た。
すでにアークティク・ターン号は、街の中を走っている。
次の停車駅があるミレージュの街中は、まさにこれから動き出そうとしていた。
早くから仕事に行く人が現れて、通りを行き交っている。
そういえば、今日は天気がいい。絶好の洗濯日和だな。
「ビートくん、次の停車駅では何をする?」
ライラは目が覚めたらしく、早くもミレージュで降りて何かをしたいようだ。
そしてそれは、オレの言葉に掛かっている。
ライラはオレが望むことなら、どんなことでもしてしまいそうだ。
「えーと……それじゃあまず、着替えようか。今のままじゃ、個室から出られないから……」
「うん! じゃあビートくん、ちょっとだけ後ろ向いてて!」
ライラの言葉に従い、オレはライラに背中を向けた。
そしてオレたちが着替えを終える頃には、アークティク・ターン号は朝のミレージュの駅に到着した。
初めてミレージュに来た時は、射撃大会がやっていた。
その射撃大会で、オレたちは天才射撃少女のカラビナと出会った。八百長を得意とする博徒、ランス・スロットに祖父の薬を奪われて、八百長をさせられようとしていた。しかし、ランス・スロットの企みは、オレたちが潰した。ランス・スロットは逮捕され、カラビナと祖父は今も元気で暮らしている。
朝食を食べてから、オレとライラはミレージュの街に出た。
「ん……?」
駅前の広場で、何かが行われていることに、オレは気づいた。
見ると、女性が多く集まっている。朝市か何かが、開かれているのだろうか?
「ビートくん、あれなんだろう?」
「朝市かな?」
「なんだか、石鹼の匂いがしてくるの……」
石鹸の匂い?
朝市で石鹼の匂いがしてくることなんて、あったか?
「ビートくん、何をしているか、見に行こうよ!」
「そうだな……自分の目で見て確かめるのが、一番だな!」
確か、ケイロン博士もそんなことを云っていたような気がする。
自分の目で見るのが、一番確実だ。
オレはライラと共に、駅前の広場に向かった。
駅前の広場に集まっていた主婦に尋ねて、オレたちは何が行われているのか、ようやく理解できた。
駅前の広場で行われているのは、洗濯広場というイベントだった。
洗濯広場とは、ミレージュの街に暮らす主婦たちによる共催で行われるイベントだ。洗濯の道具を持っている主婦たちが道具や洗剤を持ち寄り、誰にでも貸し出して洗濯ができる。利用する場合は大銀貨1枚の料金を支払い、洗濯物を持ってくるだけでいい。洗濯をしたり、衣類を干したり、アイロンがけは自分たちで行う。セルフサービスだが、必要な道具や洗剤は使わせてもらえるし、最後は洗い立ての衣類が手元に戻ってくる。
洗濯の道具を持っていないオレたちのような旅行者にとっては、そうそう滅多に訪れないイベントだ。
アークティク・ターン号の中では、洗濯はできない。
これはまたとないチャンスかもしれないと、オレは思った。
「これは……大銀貨1枚なら安いぞ……!」
「ビートくん、これを利用しない手は無いよ……!」
ライラが尻尾を振りながら、目をキラキラさせている。
どうやらライラも、オレと同じことを考えていたみたいだ。
そうなると、もうオレたちの取るべき行動は、ひとつしか無かった。
「ライラ、列車に戻って、衣類を全て持って来よう! 今日は晴れていて洗濯日和だ!」
「もちろんよ!」
オレとライラは、駅へと向かって駆け出した。
旅行カバンに衣類を全て持って戻ってきたオレたちは、受付で大銀貨1枚を支払った。
「ありがとうね。今日は洗濯日和だから、きっとすぐに乾くはずよ!」
受付にいた女性からそう云われ、オレは空を見上げる。
太陽は高く昇っていて、空気はカラッとしている。確かに、これなら短時間で乾きそうだ。
オレたちは道具を借りて、早速洗濯を始めることにした。
洗い桶に、オレが水を汲んできて水で満たすと、ライラが衣類を次々に洗い桶に入れていく。そこに洗剤を入れると、すぐに泡立ってきた。
「ビートくん、ここからはわたしに任せて!」
ライラが洗濯板を手にして、そう云った。
「お母さんから、選択のやり方は教わったから!」
ライラがそう云って、オレは過去のことを思い出した。
グレーザーで暮らしていた頃、オレたちは自分で洗濯をしたことが無かった。
グレーザー孤児院では、手伝いのおばちゃんたちが、オレたち孤児の衣類を洗濯していた。
そして働くようになってからは、外注の業者にお願いしていた。2人とも働いていて、さらにライラの両親を探すための旅費を稼ぐために、休日返上で働くこともあったためだ。汚れた衣類が溜まるようになり、どうするか相談した結果、外注の業者に洗濯をお願いしていたのだ。
ライラが初めてオレたちの衣類を自分で洗濯したのは、銀狼族の村で両親と再会してからだ。
シルヴィさんから洗濯を教わったライラは、再び旅立つその日まで、オレと自分の衣類を洗濯してくれていた。
洗濯は、ライラに任せよう。
「わかった。それじゃあオレは、何か必要なものを買い出しに行って来ようか?」
オレはライラにそう訊いた。
洗濯広場で洗濯物を持ち寄って洗濯しているのは、女性ばかりだ。その中で、オレはほぼ唯一の男性になっていた。正直、ものすごくアウェーな空気を感じている。
それなら、ライラに洗濯を任せておいて、買い出しに行っているのがいいだろう。時間の有効活用にもなるし……。
だが、ライラはそれを許してくれなかった。
「ビートくんは、わたしのそばに居て!」
「えっ……だけど、オレができることはもう……」
「洗い終わったら、洗濯物を干さなくちゃいけないから! それに、水を替えるときに、水を運んでほしいの! わたしじゃ力不足だから、ビートくんが居てくれないと、困るの!」
「わかった!」
そう云われたら、別の場所に行くのはダメだな。
ライラが洗濯してくれるのだから、できる限りの手伝いはしなくちゃ!
オレは頷いて、ライラの洗濯を見守った。
しばらく洗濯をしていると、ライラが洗濯板を置いた。
そして履いていた靴と靴下を脱ぎ、裸足になった。
「ライラ……?」
いったい裸足になって、これからライラは何をしようというのだろう?
オレが不思議に思っていると、ライラが云った。
「ちょっと落ちにくい汚れがあるから、踏んでみるね」
ライラはスカートを少しだけたくし上げて、洗い桶の水に裾が触れないように注意しながら、洗い桶の中に入った。
そしてたくし上げたまま、洗い桶の中の衣類を何度も踏みつけていく。
白い足を見せながら、洗い桶の中で洗濯物を踏みつけていく様子は、まるで踊っているようだった。スカートをたくし上げているせいで、太ももが半分ほど、露わになっている。
ライラの白い太ももに、オレはついつい目が行ってしまう……。
その時、オレは複数人の視線を感じた。
振り返ると、いつの間にかギャラリーができている。それも、洗濯広場にほとんど居なかった、男ばかりだ。
全員が、ライラを見て鼻の下を伸ばしている。
どうやらこいつらは、オレがライラの夫だと気づいていないらしい。
このままじゃ、ライラが洗濯に集中できないな。
オレはわざと、ライラと重なるように立って、男たちの方を見た。
「おい、お前――」
男たちの誰かが云ったが、オレはそれよりも先に、自分の婚姻のネックレスを指し示した。
「オレの妻に、何か用か?」
そう告げると、男たちはきまりが悪そうな顔をして、立ち去っていく。
ライラは見世物じゃない。
オレにとって、かけがえのない最愛の女性なんだ。
「ビートくん、ありがとう」
ライラの声に振り返ると、ライラが洗い桶の中で笑っていた。
「もう少しで終わりそうだから、終わったら脱水するからね!」
「わかった。ライラに任せるよ!」
オレがそう云うと、ライラは再び洗い桶の中で踊り始めた。
オレは周囲を気にしつつ、ライラのダンスを楽しんだ。
脱水してから、オレはライラと共に洗濯した衣類を全てロープに干した。
他の人が間違えて持って行かないように、目印となるリボンを、衣服に結び付けておいた。これで他の人が間違えて持っていくことも、自分の衣類を見失うこともない。
全ての洗濯物を干し終えると、オレたちが持っている衣類の数が分かった。
今着ている服を数に入れても、持っている衣類は少なかった。
「オレたち、これだけの衣服でやりくりしてきたんだな……」
「本当ね……でも、荷物が少ないのは利点ね」
「今度、ライラのドレスを新調しようか。今のドレスも、少し傷んできたみたいだし」
「ビートくん、無理しなくてもいいよ! 破れてもまた縫い直せば、着れるじゃない!」
ライラがそう云うが、新しいドレスと聞いて、尻尾を左右に振っていた。
口では否定しても、尻尾は正直だ。
オレはそっと、ライラの手を取った。
「ライラ、洗濯で疲れただろ? 洗濯物が乾くまで、ショコラトルでも飲もうか」
「本当!? 飲みたい!」
狼耳がピクピクと動き、尻尾が勢いよく振られる。
このままだと、洗濯物に毛がついてしまいそうだ。自分たちのならともかく、人の洗濯物に毛がついたりしたら、大変なことになるかもしれない。
オレはライラを連れて、駅に併設されたカフェへと向かった。
カフェでショコラトルを注文して、オレたちは一息ついた。
窓際の席からは、洗濯広場の様子がよく見えた。新しく来て洗濯物を洗っていく人や、乾いた洗濯物を持って帰っていく人が見える。
取りあえず昼過ぎに一度確認に行き、乾いていたらアイロンがけをして持ち帰ろうと、オレたちは決めた。
「お母さんから洗濯を習っておいて、本当に良かった」
ショコラトルを飲んで、ライラがそう云った。
「今度は、オレももっと手伝えるようにするよ。ライラ、洗濯するだけですごく大変そうだったから」
「ビートくん、ありがとう。その気持ち、すっごく嬉しい」
ライラは笑顔で、オレにそう云った。
そんなライラの笑顔を見ていると、やる気が出てくる。オレが洗濯をできるようになれば、ライラはきっとかなり助かるだろう。ライラからの評価は良くなるし、どちらかが病気などで動けなくなっても、大丈夫だ。
そんなことを考えていると、ライラが口を開いた。
「でも、料理と掃除と洗濯は、わたしにやらせて」
「えっ……?」
さっきまでやる気になっていたオレだったが、その一言でオレは拍子抜けしてしまった。
やる気が飛んで、疑問が浮かんでくる。
「どうして?」
「もちろん、ビートくんの気持ちを否定しているわけじゃないの。でも、料理と掃除と洗濯はわたしがやりたいの」
ライラは少しだけ、顔を赤らめた。
「……いつか、ビートくんとわたしの間に子供が生まれたら、その子供にはわたしの手料理を食べさせてあげたいの。それに、いつも清潔な場所にするためには、掃除をしなくちゃいけない。子供の服も、わたしが自分の手で洗いたいの。お母さんとして、わたしが子供の頃に体験できなかったことを、わたしたちの子供にはさせてあげたいの」
ライラの言葉を聞いて、オレはライラと家族連れになった自分を想像した。
オレが子供の遊び相手をしている間、ライラは家事を行っていく。部屋を掃除して、洗濯物を干し、子供たちのために手料理を作って食べさせる。
きっといつかやってくる、平和な世界。
オレはなんだか、ライラの気持ちが少し分かったような気がした。
「わかった。料理と掃除と洗濯は、ライラに任せるよ」
「ありがとう、ビートくん」
「オレもいつか、そんなライラを見てみたい」
そう云うと、ライラは笑顔でショコラトルを飲み干した。
「いつか子供が生まれたら、好きなだけ見れるよ!」
そして昼過ぎ。
オレたちが洗濯広場に洗濯物を確認に行くと、洗濯物はすっかり乾いていた。
洗濯物を回収すると、ライラがそれを持って、アイロン台へと向かって行く。
乾いた衣服全てに、ライラは丁寧にアイロンがけをしていった。
おかげでオレのズボンにも、しっかりとしたセンタープレスが戻ってきた。
ライラのドレスやスカートからも、シワが消えて、美しい状態に戻った。
綺麗になった衣服を、オレたちは折り畳んで旅行カバンへと戻していく。
全ての衣類を収めると、旅行カバンを閉じた。旅行カバンを閉める時、まだ容量にいくらか余裕があった。今度、何か必要なものを買う機会があったら、ここに入れておこう。
「ビートくん、準備できた?」
ライラが、旅行カバンを手にして云う。
「あぁ、終わったよ」
そう云って、オレも旅行カバンを持った。
「列車に戻ろうか」
「うん!」
オレが歩き出すと、ライラはすぐにオレの隣までやってくる。
些細なことだが、子供がオレたちの間に生まれても、ライラはきっとオレの隣に来ることを止めたりはしないだろう。
列車に戻ったオレたちは、旅行カバンをそっと置いた。
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