第41話 ベルナ
エッジの駅に併設されたレストランで、オレたちは食事をすることにした。
エッジのレストランでも良かったが、エッジは刀剣類を製作している職人の街だ。肉体労働をする職人たちを支えるために、夜であっても高カロリーで量が多い食事を出してくるレストランが多い。
だが、今はそんなにガッツリと食べたい気分ではない。
そんな時には、駅に併設されたレストランが便利だ。
駅に併設されたレストランは、他の街にあるようなレストランと変わらないメニューを出している。
高カロリーで量が多い食事を出してくる、エッジのレストランとは違う。
「ビートくん、このパスタ美味しいね」
ライラがパスタを食べて、そう云った。
オレとライラは、パスタとサラダ、そしてスープのセットメニューを食べていた。あまりガッツリと食べたいと思わない日は、これくらいの軽めな食事がちょうど良い。
パスタには、ベーコンや季節の野菜が入っている。ベーコンがあるおかげか、ライラは満足そうにパスタを食べ進めていた。
「うん、味がしっかりしていて、美味しいな」
オレはライラの言葉にそう応え、パスタを食べた。
「ビートくん、食事をした後はどうする?」
「列車に戻って、シャワーを浴びたいな。その後は、個室でゆっくりしたい」
「ねぇビートくん、次の停車駅に到着したら、ホテルの部屋に泊ろうよ」
ライラがそう要望を出してくる。
「またビートくんと一緒に、シャワーを浴びたいの!」
「ちょっと、ライラ……!」
オレは顔を赤らめて、辺りを見回す。
レストランで他に食事をしている人は、誰もこちらに目を向けてはいない。
どうやら、聞こえなかったようだ。
「ライラ、分かったよ。でも、そういうことは2人だけの時に云って。恥ずかしいから」
オレが云うと、ライラはいたずらっ子のように笑う。
食事を終えた後、オレとライラは会計を済ませて、2等車の個室へと戻って眠った。
翌日の朝。
オレとライラは、駅前のベンチで新聞と雑誌を読んでいるベルナと出会った。
白猫族の少女で私娼のベルナ。
白猫族特有の美貌の持ち主で、正直私娼をしているのがもったいなく思えるほどだ。
ベルナは雑誌を傍らに置いて、今は新聞に目を通している。少し前までは雑誌にも目を通していたらしく、雑誌にはページをめくった跡が見受けられた。
「ベルナちゃん、おはよう!」
「あっ、おはようございます」
ライラが声をかけると、ベルナは読んでいた新聞を置いた。
「朝から何をしているの?」
「実はですね……」
ベルナは置いた新聞を手に取り、一部の記事を指し示した。
オレとライラは、ベルナが指し示した新聞の記事に目を通した。
目を通して、それが記事ではなく、求人情報だということにオレたちは気づいた。
よく見ると、傍らに置かれている雑誌も、求人情報誌だ。
「求人情報誌? 仕事でも探しているの?」
「はい」
オレの問いかけに、ベルナは頷いた。
「実は、私娼を引退しようかと考えているんです」
「それで、仕事を探していたわけか……」
オレが納得しながら頷いていると、ライラが尋ねた。
「私娼を引退するの? またどうして?」
「以前、ビートさんに大金貨を2枚も借してくれた時がきっかけです」
そう云われて、オレは思い出した。
初めてベルナと会った日の夜。ベルナはおカネが無くて、西大陸に帰る途中のアークティク・ターン号の車内で、私娼として客を取ろうとしていた。そんな時に、オレは客になりそうな男とみなされて、誘いを受けた。しかし、アークティク・ターン号の車内では、売春は禁じられている。それにオレにはライラがいるから、売春はできなかった。
だが、ベルナの境遇を知って、オレはベルナに同情した。
そしてベルナに当面の生活資金として、大金貨を2枚も貸した。返済期限も利息もつけず、返せるときになったら返すという、破格の条件でオレは大金貨をベルナに貸した。まだ返してもらっていないが、きっといつか返してくれるだろうと、オレは今も信じている。
「こんな私にも、何かできる仕事があるんじゃないかと、探してみました。でも、どれもこれも難しそうなんです。それに……」
ベルナは辺りを見回す。
不思議に思って、オレたちも見回すと、男の視線を感じた。
「どこに行っても、男の人の視線を感じるんです。面接に行っても、本当に男の人の見る目ってすごいんですね。私が私娼だって、すぐに分かっちゃいました」
いや、それはきっとその着ているドレスのせいじゃないかな?
オレはそう思った。
今のベルナは、肩を露出した丈の短いフリルが多いドレスを着ていた。さらにその上、コルセットをつけていて、足にはガーターベルトが見えている。それに赤いヒールの靴を履いている。
誰が見ても、ベルナは私娼そのものな恰好をしている。
「やっぱり私は、私娼として生きていく以外に、道は無いのかもしれません……」
少しだけ、伏し目がちになったベルナを見ていると、なんとかして力になりたいと思ってしまう。
それはオレだけではない。隣に居るライラも、悲しみの浮かんだ目をしていた。
なんとかして、力になりたいけど……。
「そうだわ!!」
突然、ライラが何かを思い出したように叫んだ。
「ベルナちゃん! 紹介したい人が居るの!!」
「紹介したい人……どんな人ですか?」
「わたしの、師匠よ!」
ライラの言葉で、オレはライラが何を考えているのか、すぐに理解できた。
ライラの師匠。
そうだ、あの方なら何とかしてくれるかもしれない!
「そうでしょ? ビートくん」
「そうだな……!」
オレはライラの言葉に、頷いた。
オレとライラは、ベルナと共に昨日訪れた一軒家の前に居た。
時刻は10時前。訪問する時間としては、早すぎず遅すぎずといった、ちょうどいい時間だろう。
「ここに、ライラさんの師匠さんが……?」
「そう! きっと力になってくれるわ!」
ライラはそう云って、ドアについている呼び鈴を鳴らした。
少ししてから、ドアが開く。
出てきたのはもちろん、黒狼族のメラさんだった。
「はーい、お待たせしました……ってあら、ライラちゃんにビートくん」
「師匠!」
尻尾を振りながら、メラさんを師匠と呼んだライラに、ベルナは明らかに驚いていた。
「えっ、ライラちゃんの師匠……!? あのエッジの娼館で人気ナンバーワンの、あのメラさんがライラちゃんの師匠なの!?」
「そうよ! わたしの師匠は、黒狼族のメラさん!」
「その白猫族の女の子は、ライラちゃんの友達?」
メラさんが訊くと、ライラはメラさんに向き直った。
「師匠! 昨日の件で、お話があって来ました!!」
「昨日の件……なるほど、そういうことね」
メラさんは微笑むと、ドアを抑えながら横にずれた。
「それじゃあ、中でゆっくりとお話を伺うわ。入って!」
「師匠、よろしくお願いします! ベルナちゃん、こっち!」
「あっ、あのっ!! ちょっと……!!」
ライラはそう云って、ベルナの手を引いて中に入っていく。ベルナが戸惑っていたが、そんなことはライラにとってはどうでもいいことのようだった。
オレも続けて中に入り、メラさんはそっとドアを閉めた。
オレたちは、メラさんから昨日掛けた応接スペースへと案内された。
応接スペースのソファーに掛けて、メラさんが戻ってくるのを待つことになると、ベルナが口を開いた。
「ビックリしちゃいました! まさかライラちゃんの師匠が、あのメラさんだったなんて!!」
「師匠は、わたしに持っている技術を全て教えてくれたんだ!」
「なるほど……ビートさんがライラさんに一途な理由が、分かりました」
納得したようにうんうんと、ベルナは頷く。
端に腰掛けたオレは、苦笑した。
いや、一途なのはそういう理由だけじゃないよ……。
たとえライラがそういうことに長けていなかったとしても、オレのライラに対する気持ちは変わらないから……。
「でも、ライラちゃんなら娼婦として働いたら、すごく稼げるんじゃないの? 銀狼族でメラさんのテクニックを持っているのよ!? 世界中の男たちが持っている大金貨を、自分のものにすることだって、夢じゃないよ!?」
「それはダメ! わたしは、ビートくんの奥さん。つまり、ビートくんだけの女だから、娼婦としては働けない! ビートくんだけが、わたしを自由にできるの!」
「ライラ、声が大きいってば……!!」
オレが呆れていると、メラさんがコーヒーを入れたカップを4つ持って来た。
コーヒーカップをオレたちの前に並べると、オレたちと向き合うように座った。机の上に置いてあったライティングボードと万年筆を手にすると、ライラに目を向けた。
「ライラちゃん、その白猫族の女の子は、娼婦を引退したの?」
「正確には、引退を考えているところです」
「わかったわ。それじゃあ、自己紹介をお願いできる?」
メラさんは、ベルナに目を向けて問う。
ベルナは緊張した面持ちで頷くと、口を開いた。
「私は、白猫族のベルナといいます。西大陸で私娼をしてきました。でも今は、私娼を辞めて別の仕事をしようと考えています」
ベルナが自己紹介をして、メラさんは手にしたライティングボードに、万年筆で書き込んでいく。
「ベルナちゃん、これからいくつか質問をするから、答えてもらってもいいかしら?」
「はい」
「それじゃあまずは――」
メラさんがベルナに、いくつかの質問を投げかけていく。
ベルナはそれに、正直に答えていった。
メラさんが質問を投げるのを止めるまで、オレとライラは2人のやり取りを見つめながら、黙っていた。
「――ありがとう」
ライティングボードを見て、メラさんはベルナにそう告げた。
「ベルナちゃんは……男性から好かれる。自分の持っている技術で相手を喜ばせたい。相手のために尽くしたい。……そしてそれを、ずっと続けていきたいのね」
メラさんの言葉に、ベルナは納得したように頷いた。
だがオレは、そこから思い浮かんでくる職業は、ひとつしか浮かばなかった。
それは、ベルナが今やっている私娼。もしくは娼婦だ。
これまで私娼として大金を稼いだ経験のあるベルナが、今さら娼館で娼婦となるなんて、考えられなかった。そして私娼をするのなら、何のためにメラさんを頼ってきたか分からない。
一体ベルナは、どうしたいというのだろう?
オレが首をかしげていると、ベルナが口を開いた。
「私は、ビートくんのような素敵な男性の、お嫁さんになりたいです」
ベルナの言葉に、オレは驚いた。
お嫁さんになりたい?
しかも、オレのような素敵な男性の?
オレが素敵な男性かどうかはともかく、なりたいのがお嫁さんだって?
「わぁ、ベルナちゃんも、ビートくんが素敵な男性だってわかるの!?」
ライラの言葉に、ベルナは頷いた。
「はい!」
「ビートくんを素敵な男性だなんて、嬉しい! でも、ビートくんは渡さないわよ!?」
「もちろん、それは分かっています。ライラさんからビートさんを奪うなんて、考えていません」
笑いながら、ベルナは云った。
ベルナは再び、メラさんに向き直った。
「私はこれまで、私娼として多くの男性と接してきました。そしてほとんどの男性は、私に優しく接してくれました。でも、それは私が白猫族特有の美貌を持っていたことと、男性にとって都合のいい私娼だったからです。私の気持ちまで考えてくれる男性には、出会ったことがありませんでした」
「分かるわ。男の人って、身体目当ての人もいるからねぇ……」
メラさんがそう云って、うんうんと頷く。
「だから男性って、そういうものだと思っていたんです。でも、ビートさんに出会って、決してそういう人ばかりじゃないんだって、知りました」
「そうなの。ビートくんのどこを見て、そう思ったの?」
「私が西大陸に帰る途中で、おカネが尽き欠けた時のことです。私が孤児院出身で、私娼として稼いだおカネの多くを孤児院に寄付していたことを話した時、ビートさんは大金貨を2枚も貸してくれたんです。見ず知らずだった私を信用して、利子も返済期限もつけずに、貸してくれました。そして、私を応援してくれました。それは私の美貌を目当てにしたものでも、身体を目当てにしたものでもありませんでした。すごく温かくて、優しい気持ちで接してくれた、初めての男性がビートさんだったんです」
オレはベルナがそんなことを考えていると知って、驚いた。
オレとしては、困っている人を見捨てておけなくなって、それでなんとかしたいと思った。それだけのことだった。それがベルナにとって、初めて優しく接してくれた男性になっていたなんて……。
ライラは、どう思っているのだろう?
隣に居るライラを見ると、ライラはベルナの言葉に何度も頷いていた。
どうやらオレのことを優しいと評されたことに、満足しているようだ。
「だから私は、決めたんです。ライラちゃんのように一生にひとりだけ、本当に優しくしてくれる男性のお嫁さんになって、その男性を一生愛したいのです!」
ベルナの言葉に強さが入っていき、決断するかのように云い切った。
そしてベルナの目は、真剣そのものと化していた。それは、仕事が見つからないから結婚しようというような、安易な気持ちから出たものではない。誰かひとりの相手と結婚して、その相手を本気で愛していきたいという気持ちが全面に出ている。
「素敵な夢じゃない。1人の人を本気で愛したいなんて、素敵なことだわ」
メラさんは、ベルナの希望にそう答えた。
しかし、オレはひとつの疑問を抱いていた。
「あの、それってお仕事――」
オレが云いかけた時、誰かがオレの手を掴んだ。オレは反射的に、言葉を引っ込める。
手を掴んだのは、ライラだった。
「ビートくん、師匠は絶対になんとかしてくれるから」
ライラが、オレにそう耳打ちする。
オレはライラの言葉を信じて、頷いた。それを見て、ライラはオレから手を離してくれた。
「ベルナちゃん、心して聞いてね」
メラさんがそう告げ、ベルナの表情に緊張の色が浮かんだ。
オレとライラも固唾を飲んで、メラさんの言葉を待った。
「……実は1人だけ、とってもいい男性を知っているの。その人は今、西大陸に居るのよ。だから、紹介状を書くわね」
メラさんが微笑んでそう云うと、ベルナの表情が一気に明るくなった。それにつられるように、オレたちも笑顔になる。
ベルナのお嫁さんになりたいという夢が、叶うかもしれない!
オレたちにはそれが、無性に嬉しく思えた。
「ありがとうございます!」
「それじゃあ、早速紹介状を書くから、ちょっと待っててね」
そう云うと、メラさんは万年筆を持って、奥に置かれた事務机に向かった。
事務机の前に置かれたイスに腰掛けると、そのまま紹介状を書き始める。
オレたちは紹介状が出来上がるまで、しばらく待つこととなった。
「はい、これが紹介状よ」
数分後。
メラさんは封筒に入れた紹介状を、ベルナに手渡した。封筒には封蠟が施されて、中から書類が出ないようにすると共に、重要な書類であることがひと目で分かるようになった。
「ありがとうございます!」
ベルナは頭を下げて、メラさんから封筒を受け取った。
「私の方からも、先方に手紙を送って知らせておくわ。西大陸のオトモヒ領オトヤク地方の、ホープという街にいるわ」
「あ、あのっ、そこは――!!」
ベルナが何かを云おうとした時、外から時計台の鐘の音が聞こえてきた。
オレが懐中時計を取り出すと、お昼だった。
「ちょうどお昼の時間ね。みんなで何か食べに行きましょ。もちろん、私が奢るわよ?」
「師匠、ご馳走になります!」
ライラが尻尾を振って、立ち上がった。
「いいわね、ライラちゃん。食べることは、生きることよ。女の子は遠慮しちゃダメ。食べたいときには、思いっきり食べて、食事もデザートも楽しむのが一番よ」
メラさんがそう云って、オレたちを外へと連れ出した。
オレたちはメラさん行きつけのレストランで、満腹になるまで昼食をご馳走になった。
エッジの駅にまで、メラさんは送ってくれた。
「師匠、本当にありがとうございました!!」
「メラさん、お世話になりました!!」
ライラとベルナが、メラさんに頭を下げる。
「ライラちゃん、またいつでもお手紙を送ってね。ベルナちゃんも、幸せになってね。ホープに着いたら、お手紙ちょうだいね」
「はい! 必ず送ります!」
ベルナは、メラさんから貰った紹介状が入った封筒を手に、頷いた。
「あの、メラさん……!」
「あら、どうしたの?」
ベルナがメラさんに駆け寄り、耳元で何かを話した。
話し終えると、メラさんの顔が明るくなった。
「それはきっと、いいことがあるはずよ!」
メラさんはニッコリと笑い、そう云った。
「本当ですか!?」
「えぇ。大船に乗ったつもりで、居るといいわ! 何かあったら、いつでもお手紙で知らせてね!」
「はい!」
なんのことだろうと思ったが、オレたちには分からなかった。
夕方がやってくると、アークティク・ターン号の出発予定時刻もやってきた。
センチュリーボーイが汽笛を鳴らし、出発時刻を告げる。
信号が変わると、アークティク・ターン号はゆっくりと動き出した。
エッジの街を出ると、地平線まで続いている線路を辿り、次の駅へと向かって疾走を続ける。
次の停車駅は、ミレージュだ。
夕焼けの中、オレたちはアークティク・ターン号で西大陸へと向かって行った。
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