第4話 ライラの温もり
吹雪の中を、アークティク・ターン号は南へ南へと進んでいく。
強烈な寒さの中で、アークティク・ターン号に乗っている者は乗客も乗務員も、みな寒さに身を震わせていた。
それはオレも、同じだった。
「はい、お疲れ様でした!」
バイト代が入った封筒を受け取り、オレはその場で中身を確認する。
明細と実際の金額に間違いが無いことを確認してから、受領証にサインをしてコック帽を被った獣人族白犬族の男に、受領証を手渡す。
「また明日も、よろしく頼むよ!」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
オレは挨拶をしてから、食堂車を後にした。
食堂車で、オレは働いていた。
どうして食堂車で働くことになったのかというと、乗組員の中にあまりの寒さで風邪をひいてしまい、ダウンした者が現れたためだ。そしてその乗組員が働いていた場所が、食堂車だった。
食堂車に欠員が出てしまい、緊急で日雇バイトの募集がされ、応募したオレは見事に採用された。
仕事は皿洗いだと聞いていたので、楽勝だと思っていたが、それは甘い考えだった。
アークティク・ターン号の食堂車の調理室には、次から次へと空になった食器が運ばれてくる。それを次々に洗わないといけない。しかも水は貴重で、無駄遣いは許されなかった。水を節約しながら、次々に運ばれてくる皿を洗い続けるのは、なかなかの苦行だった。
昼間の食事時なんてまさに戦場そのもので、鉄道貨物組合で働いていた時の方が、よっぽど平和に感じられた。
こうして皿洗いの日雇バイトは終わった。明日も来ると約束はしたものの、オレの手は皿洗いで完全に冷え切っていた。
「冷た……」
真っ赤になっていた手が、今となっては真っ赤どころか真っ白になっていた。
いくら吐息を吹きかけても、手を擦り合わせても、手は温まってこない。
「くぅ~……これで大銀貨8枚だけってのは、安いなぁ……」
昼を挟んで、夕食の時間帯にも皿洗いをしたが、あまり儲けにはなっていない。
得られたものは大銀貨8枚の収入と、氷のように冷たくなった両手。
小さい頃のオレなら、冷たくなった手を見ては「なんでも凍りつかせる魔法を習得した、氷属性の魔法使いだ!」なんて調子に乗って友達に冷たくなった手を押し付けていたかもしれない。
しかし、今はそんなことを考えることはない。
「……こんな手で、ライラの手は握れないな」
自分の顔に手を当てて、オレは呟く。
身体を冷やすことは、良くないことだということは、オレも知っている。ましてや、女性にとって冷えは大敵だ。
ライラには、身体を冷やしてほしくはない。健康にも良くないし、風邪をひいてしまったりしたら大変だ。
だからオレは、ライラが冷えを感じないように気を使ってきた。無論、こんな冷えた手で、ライラに触れるわけにはいかない。
手が温まって体温を取り戻すまで、辛抱することをオレは決めた。
「ただいま」
「ビートくん! お疲れ様!」
個室に戻ってくると、ベッドで雑誌を読んでいたライラが、雑誌を置いて立ち上がった。
そしてそのまま尻尾を振りながら、オレに駆け寄ってくる。
オレはライラに触れようとして、手を伸ばした。
しかし、すぐにまだ手が冷たいことに気づいて、手を引っ込める。
「あれ? ビートくん……?」
ライラが、オレの行動に疑問を感じて首をかしげる。
無理もない。いつもはオレの手を取るか、もしくはオレの腕の中に飛び込んでくる。オレがライラに差し出した手を引っ込めたことは、これまでに一度だって無かったのだから。
「どうしたの? 一度出した手を、引っ込めるなんて」
「うん。実は今、手がものすごく冷たいんだ」
オレはベッドに腰掛け、これまでのことをライラに話した。
食堂車でのバイトで、ずっと皿洗いをしていたこと。
節約していたとはいえ、水を使い続けていたこと。
そしてその結果として、手が冷え切ってしまったこと。
このままの手でライラに触れたら、ビックリさせてしまう上に、ライラの身体を冷やしてしまうかもしれないと考えたこと。
オレはそれらを全て、ライラに話す。
ライラは最後まで、時折頷きながらオレの話を聞いてくれた。
「だから、今は触れないんだ……」
「そうだったのね」
ライラの言葉に、オレはホッと胸をなでおろす。
理解してくれて、良かった。
「オレ、これから温かいショコラトルを買ってくるよ。それを飲めば、きっと冷え切った手も温まってくると思うから……」
「ビートくん、ショコラトルが無くても大丈夫よ」
ショコラトルを買いに行こうと考えていたオレに、ライラはそう云った。
オレがライラの言葉に首をかしげていると、ライラがオレの手を包み込んできた。
オレはライラが何を考えているのか、分からなくなった。
ライラの身体を冷やしてしまうかもしれない。そんな考えから、オレは自分の手が温まるまでは、ライラに触れることを避けたかった。そうオレはライラに伝えて、ライラも納得してくれた。つい今しがた、ライラは理解したような言葉を発したばかりだった。
しかし、ライラはオレの手を握り締めてくる。
オレの考えが、伝わっていなかったのだろうか?
「私、お母さんから聞いたことがあるの」
「?」
シルヴィさんから?
一体、何を聞いたのだろう?
そんな疑問を抱きつつも、オレの冷たい手にライラの体温が伝わってくる。
ライラの手がこんなに温かかったなんて……。
「ビートくん、手のぬくもりは、大好きな人の手から伝わるの」
「大好きな人の手から……?」
「うん。お母さんも、お父さんや赤ちゃんだったころのわたしに、こうやって手を当てて温めてくれたんだって。こうすると、温かさが長いこと続くって、お母さんが云ってた」
ライラの云う通り、オレの手は少しずつ温められていった。冷え切っていた指先が、お湯に漬けられたようにじんわりと温まっていき、ポカポカしてくる。指が温まると、次は手のひらや手の甲が温まっていく。ライラの手が冷たくなるようなことは、全く感じられなかった。
なんて気持ちがいいんだろう。
ただ手を握られているだけなのに、ここまで気持ちがいいものだとは……。
温かくて、気持ちがいい。
オレは自然と眠気を感じてきたが、我慢した。さすがに立ったまま眠ってしまうわけにはいかない。
皿洗いをする前の手に戻ってきたな。
オレはそう感じ始めた。
「ライラ、ありがとう」
「もう大丈夫?」
「うん。体温が戻ってきたよ」
そう云うと、ライラはオレから手を離した。
オレの手は、ライラの体温で温められ、すっかり元に戻っていた。かじかんでいた指も、思うように動く。
手のぬくもりは、大好きな人の手から伝わる。
本当の事だったんだなと、オレは嬉しそうに尻尾を振るライラを見て思った。
「ありがとうライラ。おかげで手の冷たさはなくなったよ」
「良かった」
オレたちは、ベッドに腰掛けていた。
オレはライラにお礼を云い、ライラは尻尾を振りながらオレを見つめている。
「じゃあこれから、いっぱい触ってくれるのね?」
ライラは目をキラキラさせながら、尻尾を振り続けている。
頭を撫でてほしいというライラの気持ちが、表情に溢れていた。
ずっと一緒に過ごしてきたから、ライラの考えていることは手に取るように理解できた。
「いいの? 触っても?」
「うん! いっぱい触って!!」
ライラはそう云って、頭を下げてくる。
やっぱり、頭を撫でてほしいのは確実だ。
「それなら、遠慮なく……」
オレはそっと、ライラに手を伸ばしていく。
もちろん触るのは、ライラの頭――。
――などではない。
オレはライラの尻尾に、手を振れた。
「ひゃうっ!?」
尻尾を触られて驚いたライラが、変な声を上げる。
しかし、オレはそれで尻尾を放したりはしない。
「あぁ~、モフモフだぁ~」
「ひゃあん!!」
「ライラの尻尾、サイコー!」
手が冷たくて触れなかったから、思いっきり触りたい。
オレは両手で、ライラの尻尾を優しく掴んで、モフモフを堪能する。
「撫でてほしかったのにー!」
「後でいっぱい撫でるから、しばらく尻尾を触らせて!」
「もっ、もうっ!!」
ライラは顔を真っ赤にしながら、時折身体をビクンと震わせる。
オレは強く握りしめないように注意しつつ、ライラのモフモフした尻尾を堪能した。
アークティク・ターン号は、北大陸最南端の港町、ノルテッシモへと近づきつつあった。
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