第39話 エッジの娼館
ポオーッ!
センチュリーボーイが汽笛を鳴らし、それがオレたちの耳にまで届いてきた。
それに反応するかのように、オレとライラは窓から前方を見る。
前方に見えてきたのは、ダラヤ領スカサハ地方のエッジ。
刀剣類の製作が盛んに行われている街であり、騎士団に所属する騎士が持つサーベルを始めとした刀剣は、そのほとんどがここエッジで生産されている。
そしてこのエッジでは、1つ忘れられない出来事があった。
「エッジの街だ……」
「ビートくん、エッジに着いたら師匠に会いたい!」
ライラの云う『師匠』とは誰のことなのか。
それはメラという、黒狼族の娼婦だ。
エッジでの忘れられない出来事の1つが、メラさんとの出会いだった。
銀狼族の娼婦かもしれないと知り、娼館に確かめに行ったオレたちに、とても親切にしてくれた。
その日に、メラさんはライラに『旦那が一生浮気をしなくなる方法』を知りたくないかと、持ち掛けてきた。ライラはメラさんの弟子になり、メラさんを師匠と呼ぶようになった。
そしてたった一晩で、ライラはメラさんが持っている技術を全て習得し、免許皆伝を云い渡された。習得の速さには、メラさんも驚いていた。
おかげでオレは、毎日のように搾り取られることになった。あえて何がとは云わないが……。
オレは懐中時計を取り出した。
到着予定時刻は、13時頃の予定だ。
「ライラ、まだ昼間だ。娼館は開いてないかもしれないよ?」
「とりあえず、行くだけ行ってみようよ! 師匠に会えるかもしれないから!!」
ライラの答えに、オレは肩をすくめて、懐中時計をポケットに戻した。
今のライラは、きっとテコでも動かないだろう。
そんなオレたちを乗せて、アークティク・ターン号はエッジへと向かって行った。
エッジの駅に到着すると、出発予定時刻が告げられた。
「エッジに到着致しました。出発予定時刻は、明日の夕方17時となります。16時頃までには列車にお戻りいただきますよう、お願いいたします」
駅員さんが出発予定時刻を叫びながら、ホームを歩いていく。
メラさんと出会える時間は、多分にある。
オレとライラは個室に鍵をかけて、2等車からホームに降り立った。
向かう場所は、メラさんがいる娼館だ。
「ビートくん、師匠が待っているよ、急いで!」
「まっ、待ってくれよ!!」
すぐに駆け出していくライラを、オレは慌てて追いかける。
メラさんに早く会いたい気持ちは分かるけど、そんなに急がなくても……。
改札を抜けて駅の外に出ると、オレたちは娼館へと向かって進み始めた。
かつてライラと共に足を踏み入れ、メラさんと出会った娼館の前に、オレたちはやってきた。
娼館は初めて来たときと変わらず、近寄りがたい異様な雰囲気を醸し出していた。
エッジの男たちは、みんな一度は娼館のお世話になると云うが、それは本当に正しいのだろうか?
オレはエッジで生まれ育ったとしても、娼館のお世話になっていたかどうか、分からない。
そして娼館の入り口の近くには、客引きをしている娼婦の姿も見える。
昼間だというのに、濃い化粧をしていて、派手なドレスを着ている。正直、嫌でも目に入ってくる。
相変わらず、オレはこの雰囲気に馴染めない。
娼館に入ると、オレたちはすぐに受付に向かった。
「あら、昼間から女連れで娼館に来るなんて、珍しいねぇ」
受付にいる女性が云った。ネームプレートには「バビロン」と書かれている。それが本名か源氏名かは分からないが、おそらく何らかの関係はあるだろう。
「すいません、メラっていう娼婦は居ますか? 空いていたら、氏名したいんですが……」
オレは、バビロンに尋ねる。
しかしその後、予想外の返答がバビロンの口から飛び出した。
「あぁ、あの銀狼族だと云われているメラね。彼女ならもう辞めたよ」
彼女ならもう辞めたよ。
その一言に、オレたちの思考は一瞬だけフリーズしてしまった。
「……えっ?」
「……辞めた?」
オレたちは信じられず、確認するようにバビロンに尋ねた。
「あの……メラさんが辞めたって、本当ですか!?」
「本当よ。あんたのように、これまで何人もの男たちが、同じように驚いては肩を落として帰っていったよ」
バビロンの言葉に、嘘は無さそうだった。
メラさんは、どうやら本当に辞めてしまったらしい。
「あの、辞めた後はどこに行ったんですか!?」
オレが驚いていると、ライラが受付に身を乗り出して、云った。
「教えてください! どうしても師匠……いえ、メラさんに会いたいんです!!」
「悪いけど、それは教えられないよ」
バビロンは首を横に振った。
「どうしてですか!?」
「元娼婦のところに、かつての客が押しかけてしまうことになるかもしれないからね。辞めた後のことは、プライバシーを守るためにも、知っていても一切教えられないのさ。それに、本当のことを云うと、私たちにもメラが今どうしているのかは、分からないのさ」
寂しそうなバビロンの横顔に、オレは嫌な予感がした。
「本人からの連絡は無いし、むしろこっちが知りたいくらいなんだよ。あんたたちは、メラの知り合いなのかい? もしメラのことが分かったら、些細なことでもいいから、教えておくれよ。あたしたちはメラには世話になったからね。このまま一生の別れなんて、あまりにも寂しすぎるのさ」
「そうですか……」
ライラが残念そうに、耳をペタンと垂らす。
オレはそんなライラの肩を抱くと、バビロンに向き直った。
「ありがとうございました。僕たちは、メラさんを探しに行きます」
「そうかい。見つかることを、祈っているよ」
バビロンの言葉に背中を押されて、オレたちは娼館を後にした。
娼館をビートたちが去った後、バビロンはタバコに火をつけて、煙を吸い込んだ。
ゆっくりと吐き出すと、煙は空中に待って、霧のように消えていく。
「やれやれ……あの答えで本当に良かったのかね……メラ」
バビロンは、煙を見つめながらつぶやく。
「あんたのこと、あの子たちに教えることだって、できたのにさ……」
そう云うと、もう一度煙を吸い込で、吐き出した。
オレたちは娼館を出た後、駅まで戻ってきた。
「ビートくん……わたし、諦めきれないよ!」
ライラが、オレを見て云った。
「せっかくエッジまで来たのに、師匠に会わずにエッジを後にしたら、絶対に後悔しちゃう!」
「ライラの気持ちは、よく分かったよ。だけど、どうやって探せばいいのか、まるで分からない」
オレはそのことで、頭を悩ませていた。
メラさんについてオレたちが知っていることは、エッジの娼館に勤めていたことと、毛の色が薄い銀狼族のような黒狼族ということだ。連絡先などは知らない。
「それになんだか……嫌な予感がする」
あまり考えたくはないが、オレは娼館を辞めた後、元娼婦だった女性たちがどうなるのかある程度知っていた。
客として訪れていた男と結婚して妻になったり、貯めたおカネで新しい事業を起こしたり、ひっそりと余生を送っているのならいい。問題は、そうならなかった場合だ。
浪費癖が直らずに借金まみれになったり、病気を移されて私娼としても働けなくなることだってある。そして治療法がない病気を移された場合、行く場所はもう救貧院しかないということだって珍しくは無い。救貧院に行けば、当然治療は受けられないし、過酷で意味のない労働が義務付けられる。救貧院に入ると、もうそこから抜け出すことは難しいと云われている。だから救貧院に行きたい者など、いない。
そうなってしまうと、もう下手すると……。
「ビートくん!!」
ライラの叫びに、オレは驚いてライラを見た。
「考えていても、仕方ないよ! とにかく、師匠のことを知っている人を探そう! 師匠は人気娼婦だったから、エッジの男の人で、知らない人はいないはず!」
「そ、そうだな……! よし、とにかく聞き込みをしてみよう!!」
そうだ。最悪の状況ばかり考えていても、メラさんが見つかるわけじゃない。
そんなことを考えて、時間を浪費していても、何の得にもならないんだ。
それならライラの云う通り、考えていても仕方がない。
何か少しでも、メラさんを見つける手掛かりになることを得るために、動くほうがいい。
オレとライラは、早速動き出した。
夕方になって、オレたちは駅まで戻ってきた。
結果は、惨敗だった。
メラのことを知っている人は大勢いたが、娼館を辞めた後のことを知っている人は、誰ひとりとして見つからなかった。
ライラが、銀狼族だとバレるかもしれないリスクも冒した。
銀髪と狼耳を見せて「白銀の狼耳と尻尾を持った、銀狼族のようなメラという娼婦を知りませんか?」と尋ねたのに、徒労に終わった。
救貧院にも聞いてみたが、救貧院にも身持ちを崩した元娼婦はいなかった。
エッジを歩き回って、足が疲れたオレたちは、待合室にあるベンチに腰掛けた。
買ってきたビン入りの紅茶を飲んで、オレたちは一息ついた。
「師匠……どこに行っちゃったんですか……?」
ライラは姿の見えない師匠に向かって、つぶやいた。
「少しの時間だけで構いません。師匠、会いたいです……」
「ライラ……」
なんとかして、見つけてあげたい。
そんな思いとは裏腹に、オレたちのやっていることは、徒労に終わった。
もう諦めようかと思っていた時だった。
「あら? あなたたちは、もしかしてビートくんにライラちゃん?」
突然、オレたちの頭上から声がした。
「えっ?」
「はい、そうですが……?」
オレたちが見上げると、そこにはライラと同じ赤いケープを被った女性がいた。
「あなたたちが、メラっていう女性を探していると、聞いたんだけど……?」
「そうですが――」
オレが云いかけた時、ライラが立ち上がった。
そして何度か鼻をクンクンとさせて、匂いを嗅ぐ。
匂いを嗅いだライラは、目を丸くした。
「し、師匠――!!」
師匠!?
もしかして、この女性が――!?
「私は、黒狼族のメラよ。ついてきて」
メラと名乗った女性は、そう云って歩き出した。
オレたちは慌てて、女性の後を追って駅を出て、歩き出す。
そしてオレたちは、エッジの郊外まで、やってきた。
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