第13話 ミッドナイト・ヨルデム
保安官事務所を出たオレたちは、夜のヨルデムの街を進んでいく。
初めてきたときは、ヨルデムの街にしばらく入れなかった。
切り裂き魔のジャック・リッパーが、逃走中だったためだ。オレたちはジャック・リッパーと戦い、最後にはガルさんがジャック・リッパーを捕まえ、街には平和が戻ってきた。
だから今は、ジャック・リッパーを恐れる必要はない。その証拠に、ジャック・リッパーが居た頃は休業していた酒場が、今はどこも開いている。酒場の中からは楽しそうな声が聞こえ、外には飲み過ぎて座って眠っている酔っ払いもいる。だらしがないが、外で寝られるほど平和ということでもある。
だが、オレたちは酒場に入る気にはあまりなれなかった。
酒が飲めないわけではないが、オレたちは酒に強いわけじゃない。どちらかといえば、弱い方だ。
それに獣耳美少女のライラを連れている状況では、酔っ払いが絡んでくるかもしれない。ライラも酔っ払いに対抗する武器は持っているが、トラブルは避けたい。
しかし、困ったことにヨルデムの街を歩いても、レストランが見つからない。
オレは、懐中時計を取り出した。
懐中時計は、夜の8時を指し示していた。
これ以上、レストランを探して歩き回るわけにはいかない。
ライラにひもじい思いをさせたまま、歩かせたくはない。
「ライラ、今日は酒場で食べていかない?」
「酒場で?」
ライラが意外そうな顔をして、オレに訊く。
「酒場って、食事もできた? お酒とおつまみしかないんじゃないの?」
「酒場のメニューにもよるけど、ちゃんと食事ができる酒場もあるよ。それにこれ以上歩き回っても、レストランが開いている時間に食事ができるか、分からない。ライラも、だいぶお腹が空いてきただろ?」
「うん。お腹は空いてきたけど……」
「それじゃあ、決まりだ!」
オレはライラの手を取った。
「あの酒場で、少しのお酒とステーキでも食べていこう!」
「ステーキ!? 食べたい!!」
ライラはステーキという響きに惹かれたらしく、尻尾を振りだした。
オレはライラの手を引きながら、酒場へと向かって行った。
酒場に入ると、そこには1人の貴族がいた。
「さぁさぁ、今宵は私の奢りだ! みんなドンドン飲んでおくれ!!」
貴族が酒場にいる客たちに、酒を振舞っているようだ。
「おぉ! 太っ腹!!」
「さすがは伯爵様だ。やることが違う!」
「よっ、お大尽さま!!」
酒を飲む客たちの中で、貴族があちこちから称賛を受けている。
オレたちはその貴族に、見覚えがあった。
間違いなく、ノルテッシモにいた、カリオストロ伯爵だった。
もしかして、オレたちと同じアークティク・ターン号に乗り込んでいる乗客だったのだろうか?
アークティク・ターン号では、一度も見なかったが……。
とりあえず、オレたちは夕食を食べに来たんだ。
酒を奢ってもらいに来たわけじゃない。
オレはライラと共に、カウンターに向かった。
空いているイスに掛けると、すぐに糊の効いたシャツを着たバーテンダーが、注文を取りに来た。
「いらっしゃいませ。何になさいますか?」
「えーと、ステーキを――」
「おや、君たちはトキオ国を目指す少年と少女のビートにライラじゃないか!」
オレが注文を取ろうとしたとき、聞き覚えのある声がオレたちを呼んだ。
振り返ると、そこにはカリオストロ伯爵がいた。
「あなたは、カリオストロ伯爵……!」
「おぉ、覚えていてくれたか! これは嬉しい!」
いや、あなたのような大食いで大酒飲みの貴族は、一度会ったら忘れられませんよ。
喜ぶカリオストロ伯爵を見ながら、オレは心の中で呟く。
そして、先ほどの客たちの言葉を思い出した。
「カリオストロ伯爵、もしかしてこの酒場にいる人にお酒を奢っているのですか?」
「鋭いな。いかにもその通りだよ」
思った通りだ。
予想が当たったオレは、さらに尋ねた。
「どうして、見ず知らずの人にまでお酒を奢っているのですか?」
「いい質問だね。よろしい、答えよう」
カリオストロ伯爵は、足元に設置されている足掛けのバーに片足を乗せ、オレたちの方を向いて片方の肘をついた。
「これは、投資なんだ」
「投資?」
「ビートくん、とうしって何?」
ライラの問いに、オレはライラに顔を向けた。
「投資っていうのは、おカネとか人脈を獲得するために、自分の持っているおカネや貴重な価値を持っているものを提供することだよ」
「いかにもだ。よく勉強しているじゃないか」
カリオストロ伯爵はそう云うと、バーテンダーにウイスキーのロックを注文した。
バーテンダーがすぐに、グラスにウイスキーを注いで、カリオストロ伯爵の前に置いた。カリオストロ伯爵はそれを受け取ると、一気に飲み干してグラスを空っぽにする。
あんなに強い蒸留酒を飲んでも平気なんて、羨ましい。オレとはケタ違いに、酒に強いようだ。
「私は景気がいいときは、適当な酒場やサルーンに入って、そこでその場にいる者たち全員に酒を奢っているのだ。なぜなら、酒を奢った人は相手を忘れても、奢られた人は奢ってくれた相手を絶対に忘れない。そしていざという時には、力になってくれるかもしれない。味方を獲得するためには、いくらおカネをかけてもいい。そのかけた金額以上のものが手に入る。だから、これは投資なんだ」
すると、カリオストロ伯爵はバーテンダーを呼んだ。
すぐにバーテンダーがやってきた。
「良かったら、君たちも一杯いかがかな?」
「あの、オレたちは……」
夕食を食べに、酒場に入ったんです。
そう云おうとしたが、ライラが先に口を開いた。
「ありがとうございます。いただきます」
オレは驚いた。
ステーキを楽しみにしていたライラが、ステーキではなく、酒を選んだ。
「ライラ……!?」
「ビートくん、せっかく奢ってもらえるのに、断ったら申し訳ないよ。せっかくだから一杯だけ、奢ってもらおうよ」
「う、うん……」
ライラの云うことは、最もだった。
オレは頷くと、カリオストロ伯爵に向き直った。
「では、1杯いただきます」
「そうか、そうか」
カリオストロ伯爵は頷くと、バーテンダーに酒を注文した。
バーテンダーは2つのグラスにビールを注ぎ、オレたちの前に置いた。
「「いただきます」」
オレたちはグラスを手に、ビールを飲んだ。
意外にも美味しいビールに、オレとライラは舌鼓を打った。
「美味しい……!」
「本当だ……!」
「そうか、それは良かった。ところで……」
オレたちの反応に満足したらしいカリオストロ伯爵は、オレたちに訊いてきた。
「トキオ国についてのことなんだが、実を云うと最近は、トキオ国についてほとんど話を聞かなくなったんだ。私も今はトキオ国がどうなっているのか、分からない。もしかしたらもう、存在していないかもしれないんだ。それでも、君たちは長い時間を使って、トキオ国に行かなくちゃいけないのかね?」
「はい。今やらないと、一生後悔するかもしれないんです。だから時間がある今でないと、いけないんです」
そう答えると、カリオストロ伯爵は頷いてから、オレの隣に座るライラに目を向けた。
「奥さんは、それでいいのかね?」
「ビートくんのやりたいことが、わたしのやりたいこと! ビートくんの行きたいところが、わたしの行きたいところです!」
ライラは顔を赤らめながら、そう答えた。
少し酔いが回っているらしい。あれは照れた時の紅潮ではない。
「そうか……。色々とありがとう、今夜はゆっくりと飲んでいくといい。夜は長いからね。店主には、お酒をもう1杯注文してくれたら、フリーランチをつけることも伝えておこう。もちろんもう1杯も、私の奢りだ」
「フリーランチ?」
「無料のおつまみのことさ。ニシンの燻製にビーフジャーキー、冷肉の薄切りなどがあって、お酒2杯の注文で食べ放題になる」
「ビーフジャーキーに冷肉!? しかも食べ放題!?」
その言葉に、ライラが食いついた。
ビーフジャーキーに冷肉ときたら、ライラが聞き逃すはずがないなと、オレは納得した。
すると、ライラがすぐにバーテンダーを呼んだ。
「すいませーん、もう1杯! ウイスキーで!!」
「ライラ!?」
ウイスキーって、アルコール度数が高いぞ!?
オレは慌てて、ライラに声をかける。
「ライラ、ウイスキーは度数が高い。水割りにしておいたほうがいいよ!」
「大丈夫、大丈夫!」
ライラがころころと笑っていると、バーテンダーがグラスにウイスキーを注ぎ、ライラの前にビーフジャーキーと冷肉の薄切りを置いた。
「こちら、フリーランチです」
「ありがとうございます!」
ライラはウイスキーを飲みながら、ビーフジャーキーを食べ始める。
その幸せそうな表情に、オレはそれ以上声をかけるのを止めた。
そしてオレも、バーテンダーにお酒とフリーランチを注文した。
オレの所に運ばれてきたのは、ジンとニシンの燻製だった。
「では、私はこれにて失礼するよ」
カリオストロ伯爵が席を立つと、オレはお礼の言葉を述べた。
「どうも、ご馳走様でした!」
「また会おう、ビートにライラよ」
カリオストロ伯爵はコートをなびかせながら、酒場の奥へと消えていく。
オレはライラと共に2杯目の酒を飲み、フリーランチをつまんでお腹を膨らませた。
そして、時が流れていった。
夜の10時を過ぎてから、オレはライラを連れて酒場を出た。
すっかり、遅くなってしまった。
そろそろ列車に戻らないといけない。
「びぃとくぅん、気持ちいいねぇ~」
ライラはすっかり酔いが回り、出来上がっていた。
「ライラ、列車に帰ろう。もう夜も遅くなってきたし」
「じゃあ帰ったらぁ! いーっぱい、チューしようよ!! あぁっ、びぃとくぅん、好きいっ!!」
「ちょっとライラ、今は止めて!!」
オレが左の頬でライラのキスを受け止めながら、千鳥足で歩くライラを補佐して歩く。
人目を気にせずに、ライラは抱き着いたり、キスをしてはオレの体温を上げてくる。
前にも似たようなことがあったが、ライラは酔っ払うとキス魔になってしまう。
おまけに普段よりもスキンシップが多くなり、人目を気にしてやらない場所でも、平然と行ってくる。
「びぃとくぅんもぉ! わたひを、抱きしめてぇよぉ!!」
「帰ったら、列車に帰ったらな!」
「えひぇひぇ~……にゃでにゃでぇ、しゅきいっ!!」
ライラとオレを見た人々が、生温かい視線を送ってくる。
――あの獣人女、相当出来上がっているな。
――きっと飲み過ぎだろう。あんなに顔が真っ赤なんだから。
――獣人女は娼婦かな? あんな上玉、そうそういないぞ。
――娼婦を酔わせて連れ込むなんて、見た目は若いのにかなりの手練れだな。
――マセガキめ、くたばれ。
おいっ!
ライラは娼婦じゃない!!
それに酔わせてないわ! ライラが自分で注文した酒を飲んで、出来上がっただけだ!!
そこのお前、誰がマセガキだ!!
オレはそう云い返したくなるのを抑えて、ライラを連れていく。
しかし歩いている途中で、ライラが思いっきりオレに身体を寄せてきた。
「わあっ!?」
オレはライラの体重を受け止めきれず、そのまま建物の壁に激突してしまう。
どうしていきなり、体重をかけてきたのか。
「ライラ! いい加減に……あっ」
オレはライラを叱ろうとして、なぜ体重をかけてきたのか、理解した。
ライラは酔いが回りすぎて、眠っていた。
「……しょうがないなぁ」
オレにもたれかかって眠るライラを、オレは地面に寝かせないように注意して、抱きかかえた。
荷物をほとんど持ってこなくて正解だった。
「このまま改札通れるなら、いいけど……」
不安になりながら、オレはライラを抱えて進んでいく。
しかし駅に到着したら、オレの不安は消し飛んだ。
駅員に事情を話すと、すぐに改札を通してくれ、2等車まで来てくれた。
さらに個室のドアも開けてくれ、ライラをベッドに寝かせる手伝いまでしてくれただけでなく、水が入ったボトルも2本オレに渡してくれた。
二日酔いになるかもしれないから、できるだけ水分補給をしておくように、ということだった。
「何かありましたら、すぐに車掌か駅員を呼んでください。医務室か救護車まで、運びます」
「すみません。色々とありがとうございました」
オレは駅員にお礼を云い、チップを渡した。
個室のドアを閉めると、オレはベッドに座った。
ライラは相変わらず、お酒の力で眠ったままだ。
カリオストロ伯爵の奢りだったとはいえ、飲み過ぎた。
オレは比較的安定していたが、ライラがすっかり出来上がって大変なことになった。おまけに途中で眠ってしまうなんて……。
オレがいなかったら、今頃ライラはどうなっていたか、分かったものではない。
今後はなるべく、お酒は控えよう。
取り返しのつかないことになったら、悔やんでも悔やみきれないからな……。
「……疲れた」
ベッドに座っていると、オレにも眠気が襲い掛かってきた。
本当はシャワーを浴びたいが、それよりも早く寝たくなってきた。
オレはライラの隣に寝転がると、いつしか深い眠りに入っていった。
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次回更新は12月14日の21時となります!





