第124話 ウルフズ・プライド
晴れ渡った青空の下を、ショートテイル・シェアウォーター号は勢い良く駆け抜けていく。
ショートテイル・シェアウォーター号の車内では、乗客たちが座席や個室、食堂車などで思い思いの時間を過ごしている。食堂車では沿線の料理が出され、その味に舌鼓を打っている。座席や個室では会話に華が咲き、新聞や雑誌をゆっくり読み、トランプを使ったゲームや賭け事が行われていた。中には景色をボーッと眺めている人や、領主の政治方針や貴族の在り方について議論を白熱させているグループもいた。
様々な形で、列車の中は平和な時間が流れていた。それは見回りを終えた鉄道騎士団の騎士が、デッキであくびをしていることからも、伺えた。
そして2等車のある個室では、オレとライラが、ルルティナと共に過ごしていた。
「それで、わたしとビートくんはこれまで旅をしてきたの」
「すごいです! ここまで壮絶な人生を歩んできた人を、初めて見ました!」
ライラはルルティナと会話に華を咲かせていた。
オレはというと、そんな2人を見つめつつ、新聞を読んでいた。
オレたちとルルティナは、すっかり仲良くなっていた。ライラはルルティナと気が合うらしく、昔からの友人のようにルルティナと接していた。ルルティナはグレーザー孤児院の出身ではないが、ライラと楽し気に話す様子を見ていると、ルルティナがグレーザー孤児院にいたように錯覚してしまう。
久しぶりに同じくらいの年齢の同性と話せて、いい気分転換になっているのかもしれないな。
ライラの様子を見てから、オレは再び新聞の記事に目を落とす。
「それでね、ビートくんってすごくカッコイイの」
ライラの言葉の中に、オレの名前があった。
オレは読んでいた新聞から顔を上げて、ライラとルルティナに視線を向けた。ライラから名前を呼ばれると、何をしていても意識がそちらに向かってしまう。
オレのことをカッコイイだなんて……。
「それに、ビートくんに頭を撫でられるとすっごく気持ちがいいの。お父さんとお母さんに撫でられるのと違って、ビートくんに頭を撫でられると、身体中がリラックスするの!」
「それはすごいですね。ビートさんは、マジックハンドの持ち主なんですね」
そう云うと、ルルティナが立ち上がった。
そしてオレの前にまで、歩いてきた。
「ビートさん、ライラさんから聞きました。それで、お願いがあるんです」
「えっ? もしかして、頭を撫でてほしいの?」
ライラとの会話から、オレはルルティナがそう考えているとしか思えなかった。
犬系の獣人にとって、頭を撫でられるのは、よくあるコミュニケーションの1つだ。親しい間柄はもちろん、多くの場面で日常的に行われている。特に人族から撫でられると、喜ぶ犬系の獣人は多いと聞く。
すると、ルルティナがオレに背中を向けた。
自動的に、オレの目の前には、ルルティナの尻尾が現れる。ライラとは違う、丸みを帯びてフワッとしていそうな尻尾だ。
「ビートさん、尻尾をモフってみませんか?」
「んあっ!?」
ルルティナの言葉に、オレは変な声が出てしまった。
尻尾をモフってみませんか、なんて云われたのは、これが初めてだ!
突然、ルルティナから尻尾をモフってみないかと云われ、オレは耳を疑った。
「頭を撫でられてリラックスできるのなら、尻尾を触られたら、どうなっちゃうのか……少し気になったんです」
「ちょっ、ちょっと、ルルティナ……!?」
オレは手から落ちかけた新聞を持ち直し、机の上に置いた。
しばらくルルティナの尻尾を見つめてから、オレはライラの尻尾の存在を思い出した。
「い……いや、それはできない!!」
オレは雑念を振り払うように、叫んだ。
「いくらなんでも、知り合ったばかりの女性の尻尾を触るなんてことは……!!」
「本当にいいんですか? 他の人は嫌がると思いますが、私は尻尾を触られるのには慣れているので、全然気にしません。触っても、いいんですよ?」
尻尾を触られるのに慣れているって、ルルティナはどんな生活を送ってきたんだ?
過去に付き合っていた人の中に、オレのように尻尾をモフモフすることが好きな男が居たのだろうか?
ライラとは違う、フワッとしていそうな尻尾。
触ってみたい気持ちはあるが、ライラの手前で触るわけにもいかない。
ルルティナの尻尾を触ったら、二度とライラが尻尾を触らせてくれなくなるかもしれない。それだけはオレは全力で避けたかった。ライラの尻尾は、オレが自由に触れる唯一の尻尾なのだから!
そんなことを考えていると、ライラがルルティナの手を取った。
「ルルティナちゃん、ビートくんに勧めてもダメよ」
「ビートさんは、尻尾を触るのが好きじゃないんですか?」
ルルティナは、不思議そうに訊いた。
「人族の男の人って、獣人族の尻尾を触りたいと思う人が多いって、父から聞きました」
「ビートくんも尻尾を触るのは好きよ。でも、ビートくんに尻尾を提供するのは、わたしの役目なの!」
ライラがそう云うと、ルルティナは目を見開いた。
「えっ、それって本当ですか!?」
「そっ、そうよ……? ビートくんはモフモフしたものが大好きで、わたしの尻尾をよく触ってくるの。いつもわたしがいいって云う前に触って来ちゃうから、ちょっと困るけどね……」
ルルティナの言葉に、ライラはそう答える。
確かにオレ、いつもライラに許可を貰うよりも先に、手が尻尾に触れていたな。ライラは相手がオレだからあまり云わなかっただけで、やっぱり困っていたんだ。
オレが反省していると、ルルティナが再び口を開いた。
「それは驚きました!!」
ルルティナは、尻尾をピンと立てている。
「狼系の獣人で、尻尾を触らせる人に出会ったのは、初めてです!!」
「えっ、そうなの?」
ライラが目を丸くする中、ルルティナは頷く。
その表情は、真剣そのものだった。
「狼系の獣人は男性も女性も、どんなに気を許した相手であっても、尻尾を触らせることはないと思っていました!」
「いやいや、ちょっと待って!」
オレが、2人の会話に割って入った。
「ルルティナ、獣人族なら誰だって、基本的に尻尾に触られるのは嫌じゃないの?」
オレはそれが気になって、ルルティナに訊いた。
獣人族は、尻尾を触られるのは好きではない。
それはほとんどの人族が、半ば常識として知っていることだ。獣人族の尻尾に触らないようにすることは、獣人族に対する最低限のマナーでもある。
「基本的には、あまり好まれません。これはほぼ、全ての獣人族に共通しています」
ルルティナはそう答えた。
「しかし、中には家族や恋人などの親しい間柄の人には、触ることを許す人も居ます。後は娼婦など、触らせることを仕事にしている人も居ますね。特に触ることを許すことが多いのは、私のような犬系の獣人です。結婚したりと深い信頼関係を結んだ間なら、触っても怒らない人も多いです」
オレとライラは、ルルティナの言葉を興味深く聞いていた。
尻尾を触らせてくれる人は、意外と多いみたいだ。
「でも、狼系の獣人はまず触らせるようなことはありません」
「本当なの? わたしの師匠、黒狼族のメラさんは、触らせていたって云ってたわ」
「それはメラさんが娼婦だったからだと思います」
ルルティナはそう答えると、続けた。
「狼系の獣人は、たとえ深い信頼関係を築き上げていたとしても、尻尾に触れることは許しません。狼系の獣人は、そこだけは絶対に譲らないんです。まさに、ウルフズ・プライドといえます。それなのに、ライラさんはビートさんに、尻尾を触らせています。ビートさん、すごいですね」
「いや……それって、すごいことなの?」
オレは、よく分からなかった。
しかし、ルルティナは大商人の娘だ。オレよりもずっと多くの人を、これまで見てきたに違いない。もし父親の仕事に同行して手伝いなどをしていたとしたら、1年の間に接する人は、かなりの数になるだろう。
そんなルルティナでさえ、尻尾を触らせてくれる狼系の獣人は、見たことがないらしい。
「すごいことですよ。ライラさんは、好きな人のために狼系の獣人としてのプライドを、捨てているようなものなんです!」
「ルルティナちゃん、そんなプライドとかじゃないの」
ライラは首を横に振った。
「わたしはただ……ビートくんが喜んでくれるから、恥ずかしさとかくすぐったいのを我慢して……触らせていただけなの……」
ライラが、顔を紅くしながら云う。
最後の方は、声が小さくなっていって、聞こえにくくなっていった。
そうか……。
やっぱりライラは、オレのために我慢してくれていたんだ。
「ライラさん、大変ですね……」
「ううん、そうでもないの。何度も触られていたら、少しずつ気持ちよくなってきて……」
「ライラ、ありがとう」
オレは、ライラに頭を下げた。
「オレのために、我慢してくれていたなんて……本当にありがとう!」
「ビートくん……いいのよ」
ライラが、優しい声で云った。
「わたしは、ビートくんが喜んでくれるのなら、それで満足なの。ビートくんが喜んでくれるのが、嬉しいから」
「ライラ……!」
これからも、ライラへの感謝を忘れないようにしよう。
オレはそう心に誓った。
すると、オレの目の前にライラの尻尾が現れた。
これは、触ってくださいという、オレへの合図ではないだろうか!?
目の前の尻尾に手を伸ばそうとすると、尻尾が消えた。
顔を上げると、ライラが顔を紅くしてオレを見ていた。
「ビートくん、人前では恥ずかしいから、やめてよぉ」
ライラがそう云うと、今度はルルティナの尻尾が、オレの前に差し出された。
「ビートさん、もしよろしければ私の尻尾をどうぞ!」
ルルティナ、またか!?
もしかしてルルティナは、尻尾を触られるのが好きなのか!?
オレが目を丸くしていると、ライラが叫んだ。
「ルルティナちゃん、それはわたしの役目!!」
「それではライラさん、どうぞ!」
「だから、人前ではちょっと……!」
ライラとルルティナが、尻尾のことで揉める。
そんな光景を見ていると、オレはなぜか笑顔になれた。
オレ、好かれているんだなぁ。
ライラはもちろんのこと、知り合って日が浅いルルティナにも、もうすっかり好印象を抱かれているようだ。
せっかく結んだ縁だ。大切にしていこう。
そう思いながら、オレはライラとルルティナのやり取りを見ていた。
ショートテイル・シェアウォーター号は、東大陸の北西部を疾走していく。
その先には、次の停車駅がある街が見えてきていた。
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次回更新は、6月29日の21時更新予定です!
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