第123話 ルルティナのお礼
東の地平線が白帯を持ち、それから太陽が顔を出す。
台地が朝日を浴びて照らし出される景色は、世界が目を覚ましているように思えた。
もちろんそれは、ショートテイル・シェアウォーター号にもやってくる。
朝日を浴びるショートテイル・シェアウォーター号の廊下で、オレは太陽が昇る様子を見つめていた。普段は起きていない時間にしか、見れない景色。それを見つめるのは、なんだか特別な気がした。
ちょうどショートテイル・シェアウォーター号の廊下は、列車の東側にある。さらに廊下には、オレ以外には誰もいない。清々しい朝の時間と太陽の日差しを、独り占めしているような気分になった。
「んーっ、いい天気だなぁ……」
オレは晴れ渡った空を見て、呟いた。
どうしてこんな時間に起きてしまったのか。それはトイレに行きたくなったためだ。
当然、ライラは今も個室のベッドでぐっすりと眠っている。オレはもうすっかり目が覚めていたが、まだ食堂車も売店も営業していない。朝食を食べに行けるようになるまで、あと2時間はかかる。
それに個室に戻っておかないと、ライラが目を覚ました時にオレがいないことで、取り乱したりするかもしれない。置手紙などは、置いてきていない。トイレに行くだけなのだから、当然といえば当然だ。
「さて……個室に戻るか」
オレはそう呟き、個室へと向かう。
今日の午前中には、次の駅に到着するはずだ。
それまでは、個室でのんびりしよう。
ショートテイル・シェアウォーター号は、朝日を浴びながら北へと走り続けていった。
朝の9時過ぎに、ショートテイル・シェアウォーター号はガンズ領ゴブラ地方タルーダに到着した。
そしてこの駅で、昨日オレたちが相手した酔っ払い男4人が、鉄道騎士団によって強制下車させられる。
オレたちはその様子を、車内から見つめていた。貨物車から下ろされた男たちは、駅で待ち構えていた鉄道騎士団に引き渡される。この後、裁判を受けることになる。婦女暴行がどれくらいの罪になるのか、オレには分からなかった。しかし、もうこれでルルティナは安心だろう。自分を暴行した相手と同じ列車で旅を続けるのは、相当恐ろしいはずだ。
「ビートくん、これで一件落着ね」
「そうだな。オレたちの出番は、もう無いな」
オレとライラはそう云うと、個室に戻っていった。
タルーダの街には、オレたちが目を引くようなものは無かった。
それにタルーダの街は、臨時停車扱いだ。
臨時停車となると、通常の停車とは違って、停車時間が短くなる。
タルーダ駅での停車時間は、たったの4時間だ。
燃料と水、そして食堂車で使う食材や売店で販売する物品の積み込みで、出発時間がきてしまう。
こうした停車のときは、個室でゆっくりしているのがいちばんだ。
ライラにお願いして、尻尾をモフモフさせてもらおうかな。
それなら、出発時間なんてすぐにやってくる。
オレは先を歩くライラの尻尾を見つめながら、そんなことを考えていた。
コンコンッ。
個室で過ごしていると、ドアがノックされた。
「誰かしら?」
「鉄道騎士団が事情聴取に来たのかな? それとも車掌さんかな?」
オレは読みかけの本を閉じて、イスから立ち上がった。
扉の鍵を解除して扉を開ける。
「はーい……?」
扉を開けると、そこにはルルティナが立っていた。
「あれ? ルルティナ……?」
「ビートくん、ルルティナちゃんがいるの?」
ライラがオレの後ろから、訊いてくる。
「うん。そうなんだけど……」
「ビートさんにライラさん、実はお願いがあって来ました」
お願い?
一体、ルルティナはオレたちに何をお願いしに来たのだろう?
「ビートくん、中でゆっくりとお話を聴いてみようよ」
「そうだな、そうしよう」
ライラの言葉に、オレは頷いた。
ルルティナを個室の中に招き入れると、オレはそっと扉を閉めた。
「それでルルティナちゃん、お願いって何?」
「お礼をさせて、いただきたいんです」
ライラの問いかけに、ルルティナはそう答える。
お礼って……昨夜のことだろうか?
酔っ払いから助けてくれたから、その恩返しをさせてほしい。
ルルティナの考えとしては、これで間違いないだろう。恩を受けたから、今度はそれを返したい。その気持ちは、よく分かる。
だけど、ルルティナが恩返しするといっても、何をするのだろう……?
料理でも作ってくれるのだろうか?
しかし、この個室にはキッチンはない。
それなら、食事をご馳走してくれるのかな?
可能性としては、それが最も高そうだな……。
オレがそんなことを考えていると、ルルティナが口を開いた。
「どうか私を、召使いにしていただけませんか!?」
「めっ、召使い!?」
ルルティナの言葉に、オレは耳を疑った。
その頃、鉄道騎士団の詰所がある車両では、騎士たちがコーヒーを飲みながら話していた。
「あの茶犬族の少女、大丈夫かな」
「えっ、どうしてだ?」
コーヒーカップを手にした騎士が云い、コーヒーを淹れ終えた騎士が問う。
「ああいう少女って、恩義を抱いた人に尽くそうとするもんなんだよ」
「どうして分かるんだ?」
「長年の勘だ」
騎士がコーヒーをひと口飲んで、さらに続けた。
「おまけに犬系の獣人だ。犬系の獣人は、人族に親しみを抱きやすい人が多いんだ。ほら、助けた2人の男女、男の方は人族だったろう?」
「そういえば、そうだったな。だけど、あの2人組は夫婦だったぞ。それによくは分からなかったが、妻の方はどうも犬系の獣人らしい。さすがに問題にはならないんじゃないのか?」
「どうかなぁ……。あの少女が何か、事を起こさないといいんだがな」
「きっと、大丈夫ですよ。何かあったら、また私たちで対処しますから」
もう1人の騎士が、そう云って淹れたてのコーヒーを口に運んだ。
「そうはいってもなぁ……俺たちは給料、歩合制じゃねぇんだぜ? いくら仕事をたくさんこなしたとしても、給料は変わらないんだ。だったら、事件は少ないほうがいいぜ」
騎士の言葉に、コーヒーを飲んでいた騎士が、顔をしかめた。
「それもそうですね……。砂糖とミルク、入れておけばよかった……」
オレとライラは、召使いにしてほしいというルルティナの言葉に、戸惑っていた。
召使いを雇ったことなんて、一度だってない。
そもそもこれまで、オレたちは召使いの必要性を感じてこなかった。グレーザー孤児院では、1人で身の回りの物事はできるようになりなさいと、ハズク先生から教わった。その教えを守り続けてきたオレたちは、自分のことは自分で行うようにしてきた。どうしても1人では難しいときは、ライラと協力してきた。
召使いとしてルルティナを雇ったとしても、そもそもお願いできる仕事がない。
どうすれば、いいだろう?
「ルルティナちゃん、そこまでする必要はないわ」
ライラが、ルルティナにそう云った。
「わたしたちは、ルルティナちゃんを助けたかっただけなの。困っている人を見捨てておけなくて、助けた。それだけなの。お礼や報酬目当てじゃないわ。だから、お礼を求めているわけじゃないの」
「そうですか……」
ルルティナは獣耳をぺたんと垂らし、残念そうに云った。
そんなルルティナを見ていると、罪悪感が沸き上がってきた。丁重にお断りしたつもりだったが、それでは問屋が卸してくれないようだ。
一難去ってまた一難、といったところか。
「ビートくん、どうしよう……?」
「うーん……お礼をしないと、ルルティナの気は済まないみたいだ。でも、召使いとして雇っても、お願いできる仕事は無いし……」
オレとライラは、腕を組んで考え始める。
ルルティナには申し訳ないが、召使いとしては雇えない。
それにこのままでは、年頃の少女が個室に2人となってしまう。オレはライラと一緒に居られるだけで、十分だ。もしもルルティナに何かあって、ライラとの信頼関係にヒビが入るのだけは、どうしても避けたい。
大人しく、目的地まで同行して話し相手になってくれるのなら、いいかもしれないな。
……ん?
目的地まで……?
「そうだ!!」
オレは叫んで、ポンと拳で手のひらを叩いた。
「ルルティナ、ちょっと訊きたいことがあるんだけど、いい?」
「はい! どんなことですか?」
「……ルルティナは、どこに行く途中なの?」
オレの問いに、ルルティナは一瞬だけキョトンとした表情になった。
しかしすぐに、元の表情に戻った。
「はっ、はい! カルチェラタンに向かう途中です!」
「カルチェラタン……あの学園都市のカルチェラタンで、間違いない?」
「はいっ!」
ルルティナは頷いた。
「私はカルチェラタンの出身で、オウル・オールド・スクールに物資を納めている、大商人の娘です」
「大商人の娘か。それなら是非、お願いしたいことがあるんだ!」
「ほっ、本当ですか!? それって、お礼になりますか!?」
「もちろん!」
オレが頷くと、ルルティナは満面の笑みになった。
オレはルルティナに頼んで、父親の大商人に化粧水を確保してもらうことになった。
化粧水とは、カルチェラタンで開発された美容効果のある水のことだ。ハッターさんが確かな情報として入手していて、オレはハッターさんから化粧水のことを聞いていた。1日に1回、肌に塗ることで美容に効果があることが実験で証明され、美しさに関心の高い女性たちの間で、話題になっているらしい。
それを手に入れて、オレはライラに贈りたいと考えていた。
なぜなら、ライラにはいつまでも美しくいてほしいというのが、オレの願いだからだ。
「分かりました! 父にすぐ手紙を書きます!」
「ありがとう。よろしくね」
「それと、代金はこちらで持たせて下さい!」
ルルティナの言葉に、オレは驚いた。
商人の娘が、そんなことを云うとは思えなかったからだ。
「いや、おカネは払うよ! 化粧水なんて開発されたばかりだから、高いのに!」
「私からのお礼の気持ちです」
ルルティナは、そう云って微笑む。
笑顔を向けらると、オレは強く出られなくなってしまった。
「……それじゃあ、お願いします!」
オレはルルティナに、頭を下げた。
汽笛が鳴り響き、ショートテイル・シェアウォーター号はタルーダの駅を出発した。
巨大な車輪が線路の上を進み、列車を進行方向へと進めていく。
太陽に見つめられながら、オレたちは再び北へ向かい、列車に揺られていった。
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